「ある公認会計士の戦史研究」の配信に当たって

笹本 憲一

 筆者は一介の公認会計士で既に監査法人を定年退職し、社外役員や顧問等をやりながら気ままな研究生活をしておりますが、現役の会計監査人の頃から国際情勢や歴史に非常に興味があり、かれこれ40年近くそのような研究をしています。筆者の研究スタンスは世間の常識や一般的・教科書的な解説とかマスメディアの報道等を最初から疑うというもので、「本当はどうなのか、真実はどうだったのか」が常に研究テーマになります。また、歴史の研究で特に重要なのは戦争に関する知識です。人類の歴史はほぼ戦争の歴史といっても過言ではないと考えていますので、古代からの世界の戦争の歴史や武器・防具の発達過程、実際の戦いの現実等を継続して研究しています。この度筆者の研究成果をチャンネルNipponにて発信する機会を得ました。不定期の発表となりますが、様々な戦史等について私見を紹介してまいりたいと思います。

第1部 日本海海戦/日露戦争

 さて、第1部は日露戦争において生起した日本海海戦を取り上げます。目次は以下のとおりで、数回に分けて配信します。

(目 次)
1.イギリス様々― 日英同盟が導いた日本海海戦の大勝利
①装甲巡洋艦春日、日進の購入…親日国アルゼンチンの協力
②装甲巡洋艦春日と日進の暗黙の警護―英国及び英国海軍の協力
③バルチック艦隊(正式には第二太平洋艦隊)への様々な嫌がらせ
④三六式無線機開発の協力
⑤「一斉射ち方」の伝授と「変距率盤(計算尺)の提供」
⑥日英同盟のおかげでフランスの参戦を防げた

2.ドッガーバンク事件の真相

3.ニコライ2世とロジェストヴェンスキー提督は無能だったのか ―ロシアの驕り
①日本人をマカーキー(猿)と呼んでいたニコライ2世
②大津事件の意外な効果
③ロジェストヴェンスキー提督(中将)は無能だったのか
④ロシア軍は日本軍を舐めきっていたのか

4. バルチック艦隊の航路の予想 ― 東郷提督は最初から分かっていたのでは
①東郷平八郎提督の頭の中
②三井物産上海駐在代表 山本条太郎の活躍

5. そして世紀の大海戦は始まった
① 天気晴朗ナレ共波高シ」の意味 ― 何故「天気晴朗ニシテ波高シ」ではないのか
② バルチック艦隊は単縦陣できたのかどうか…軍事法廷でのロ提督の証言はウソか
③ 丁字戦法のウソと東郷ターン ―海防艦厳島(旧戦艦)からの報告の誤差
④ 第一戦隊が途中敵を見失ったというが真相は ―軍事素人作家の錯誤 
⑤ 連合艦隊の被害が比較的軽微だった理由 ―スーパーヘビー級対ライトヘビー級の戦い

6. 結論 ― 海戦勝利の要因は何だったのか
①黄海会戦の一発が運命の分かれ道だったか
②同盟国、友好国の支援
③国民国家日本と専制帝国ロシア
④様々な幸運
⑤人・人・人……




第1部 日本海海戦/日露戦争(その1)
はじめに


 毎年5月27日が近づくと必ず思い起こすことがあります。明治38年5月27日、そう、「日本海海戦」の日です(筆者の誕生日が5月25日ということもありますが・・・)。
 日露戦争は自分なりに相当研究して来ましたが、日本の歴史上最も完璧な戦争をやったなと感じています。国交断絶と同時にテオドア・ルーズベルトによる和平交渉の仲立ちを検討し、ハーバード大での学友の金子堅太郎を米国へ派遣して米国内の世論対策をしたり、明石元二郎に命じてレーニンを援助しロシア革命を煽ったりという深謀遠慮もさることながら、個々の戦場でも本当にすごい戦をしたなと感じ入っています。
 陸戦では黒木第一軍の鴨緑江渡河作戦から有名な旅順攻城の激戦、遼陽会戦や黒溝台での秋山支隊の奮戦、大苦戦の沙河会戦、花の梅沢旅団と歌われた梅沢道治少将麾下の近衛後尾歩兵旅団の白兵戦、そして世界の陸戦史上最大規模の奉天会戦。当時世界最強のロシア陸軍相手に本当に死闘を繰り返してなんとか判定勝ちに持ち込んだ明治陸軍にただただ感服するばかりです。
 しかしながらこの戦を終わらせ、ニコライ2世に和平交渉の決断をさせたのは何と言っても日本海海戦(ロシアでは対馬沖海戦と呼称)での完勝だったと確信しています。この海戦でロシア海軍は崩壊、皇室に対する民衆の離反を助長させてしまい欧州外洋での制海権も無くしてしまいました(唯一残った黒海艦隊は当時のパリ協定で地中海には出られませんでしたから)。それだけでなく19世紀から20世紀にかけて吹き荒れた西洋列強の帝国主義の時代の終焉のきっかけになった世界史上特筆すべき大海戦だったと思います。
 日本海海戦は多くの書籍で取り上げられ研究者も多く、また映画やTV番組にも何度も登場していますが、この海戦を今の日本人に一番よく知らしめたのは司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」だと思います。
「坂の上の雲」は戦後の出版界で大ベストセラーになり、日露戦争をこの書物で初めて学んだ人も多いはずです。しかしながらこの本はあくまで小説に過ぎないのですが、歴史上の事実とフィクションとがごっちゃになって司馬氏の主張することが歴史的事実と誤解されている点が多くみられます。特に乃木希典をボロクソにこき下ろしていますが、乃木将軍は近代要塞戦をドイツで学んだ当時世界でも最優秀な陸将でした。旅順要塞は落とすのに最低2年はかかるというのが欧州の軍人達の共通認識でしたが、多くの犠牲を払いながらもこれをわずか5ケ月で占領しました。
 日露戦争の陸戦は結局のところ乃木将軍Vsクロパトキン将軍の戦いだったと評する研究者もいるくらいですが、司馬氏は軍事に関しては全く素人であり、歴史に関する研究もおざなりと言わざるを得ません。
   (注:乃木将軍の評価については「乃木将軍と日露戦争の事実」桑原嶽PHP新書等を参照)
 日本海海戦に関しても随所に誤った記載が見られ、また、東郷ターンとか丁字戦法等、海軍の意図的な宣伝や後世の人達の創作による俗説が罷り通っているのも事実です。
 日本海海戦の顛末はすでに多くの書物などで紹介されていますし、海軍軍令部が編纂した「明治37、38年海戦史」等の公的資料も残っています。筆者もこれらの資料や書籍を研究しましたが、特に重要視したのは敵のバルチック艦隊戦艦アリヨール生き残りの主計長付給仕水兵ノビコフ・プリボイが出版した書物(注1)や、観戦武官として実際に日本海海戦の現場にいた外国の海軍軍人達の報告資料(注2)等です。この観戦武官の一人であるアルゼンチン海軍のマヌエル・ガルシア大佐は装甲巡洋艦日進に乗艦してこの海戦に立会い、のちにアルゼンチン海軍大臣になった優秀な軍人で、超日本贔屓な点を除いてもロシア海軍に対する鋭い批評と海戦の詳細な経緯を記載した膨大な報告資料を残しています。
 軍編纂の資料や当時の日本人の書いた書籍等は手前みそになりがちなので客観性を保つ上ではこれら違う立場の人の証言が有効と思います。
   (注1)「ツシマ(上・下)」(アレクセイ・シルイッチ・ノビコフ・プリボイ著、上脇進訳:原書房2004年刊)
   (注2)「日本海海戦から100年―アルゼンチン海軍観戦武官の証言」(マヌエル・ドメック・ガルシア著、津島勝二訳:鷹書房弓プレス2005年刊、日本アルゼンチン協会企画制作)

(その1配信 了)