第1部 日本海海戦/日露戦争(その3)
ドッガーバンク事件の真相

笹本 憲一

 この「ドッガーバンク事件」は「ハル事件」とも言われ当時のヨーロッパでは大事件となり、以後バルチック艦隊は「狂犬艦隊」と呼ばれてイギリス政府のみならずイギリスの世論まで激昂させ英露戦争の一歩手前まで行きました。
 明治37年10月15日、何とかヨタヨタしながらリバウ港を出港したバルチック艦隊は一路ジブラルタル海峡のタンジール港を目指して相変わらずモタモタ進んでいました。このとき日本政府の陰謀工作かどうか分かりませんが「日本海軍がバルト海に機雷を敷設した」とか「日本の潜水艇が待ち伏せしている」とか根も葉もないうわさが飛び交っていたようです。バルト海からドーバー海峡にかけての水路は潮流が複雑で濃霧が多いにもかかわらず、魚の宝庫なので各国の漁船がいたるところで操業していました。ロ提督はこのような場所では日本の水雷艇等が漁船に紛れ込んで待ち伏せしている可能性があると判断したようで、艦隊の各艦に厳戒態勢をとるよう命令していました。またバルト海峡を通過後も不信な2個の気球を目撃したりして日本の水雷艇や駆逐艦が付け狙っているという疑心暗鬼がますます膨らんだようです。日露開戦直前に日本の駆逐艦と水雷艇が旅順港に停泊していた旅順艦隊を夜襲攻撃して、戦艦等を座礁着底させて大損害を与えたことが提督の頭から離れず、日本の「水雷艇部隊の影」に怯えていたのかもしれません。

 10月21日の午後8時45分、霧中航行で後方に落伍していた工作船「カムチャーツカ」からロ提督へ「駆逐艦複数わが艦隊を追跡しつつあり」の無線が入り、さらに午後10時10分カムチャーツカから「四周から攻撃を受けている」との無線があり、全艦戦闘体制を取りました。日にちが変わり22日午前零時45分に連続三発の信号弾が上がるのが見え、探照灯で照射すると数隻の船影が見えたため、零時50分旗艦スワーロフが真っ暗な海面の中へ向けて火蓋を切りました。後で分かったことですがこの信号弾は漁船が一斉に網を上げるときの合図だったとのことです。
 事の真相は、当時イギリス東岸スパンヘッドの東北200海里の海域で漁労をしていたイギリスのハル市ゲームコック船隊の漁船約30隻で、まさに魚網を一斉に引き上げる信号弾を発射した直後、北方から現れたバルチック艦隊の集中砲火を浴びたと言うことでした。この砲撃で漁船クレーン号に命中弾が一発あり、スミス船長とロッゴッド操舵手は即死、他の乗組員も全員重軽傷を負い同船は沈没しました。他の漁船数隻も数箇所に弾丸が当たり負傷者が多数出ました。

 後日、戦艦「アリヨール」だけで、一五センチ砲弾一七発、小口径砲弾五〇〇発を発射していることがわかりました。そのうち数発は味方の巡洋艦「アウローラ」に命中したようで、「アウローラ」は一五センチと三〇センチの命中弾四発あり、と報告しています。巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」も命中弾をうけていて、負傷は二人でいずれも「アウローラ」艦上でした。艦隊全部でものすごい砲撃をやった割には被害が少なかったのは、やはり寄せ集めで訓練不足のセミプロ水兵で構成されている艦隊だったからでしょう。
 この後バルチック艦隊は溺れている漁民たちを無視して一隻の救助艇も出さずその場を立ち去りました。
 事件後、激昂したイギリスロンドンでは市民がトラファルガー広場でロシアとの開戦を求めるデモまで出現しました。事件直後イギリス海軍省は「ロシアからの満足すべき説明が無い限り、バルチック艦隊の東航を阻止する」として、地中海艦隊と本国艦隊に出動命令を出していました。
 ロ提督の艦隊は錯誤とはいえとんでもないことをしでかし全ヨーロッパを敵に回すような大失態を演じたわけですが、実はこの事件の数日前にも間違ってドイツの漁船を砲撃しており、さすがに同盟国のドイツの新聞でさえ非難の記事を書き立てたました。死亡した漁師の住んでいたハル市では盛大な葬儀が執り行われ、そこに東京市長からの弔電が届いたこともあって、イギリス国民の親日・反露の感情は決定的なものになったようです。
 実はドッガーバンク事件の真相は日露戦争が終結した2年後に明らかになりました。
張本人はなんと「ドイツの駆逐艦」でした。
 明治40年8月8日、ロシア極東新聞に「ハル事件の張本人」と言う記事が掲載され、事件の張本人である水雷艇は実はドイツの駆逐艦3隻であったという証言が明らかになりました。
 記事はドイツ海軍将校のパートリー氏によるもので、「自分はフォン・W司令が指揮する駆逐艦3隻のひとつに乗艦していて、ロ提督の艦隊がドイツの領海を出るまでドイツ海を巡回していた。そのW司令が好奇心でバルチック艦隊を追跡して接近し、我を名乗る信号を艦隊に数度送ったものの艦隊は信号に気がつかなかった。その後ハルの漁船群の中を航行中に突然砲撃を受けたので退散した」(「日本海海戦100年目の真実」菊田愼典著)と言うものでした。
 もしこの事件が国際的な大事件になって紛糾したらW司令の処罰にもつながるため今まで黙っていたが、事件は早期にロシアの謝罪と賠償金の支払で決着し、日露戦争も終結したので名乗り出たということでした。
 やはり工作船カムチャーツカの「駆逐艦が接近している」と言う無線は事実だったようですが、残念ながら日本のではなくドイツの駆逐艦だったと言うのがこの事件の真相のようです。


(私見として)
 ドッガーバンク事件の「不祥事」で敵対国のイギリスを激怒させ、そのお粗末さ、海軍としてのレベルの低さから世界中の嘲笑を浴びたロシア。特に溺れている漁民達をほったらかしにした態度、つまり不祥事の後始末の酷さがこれに輪をかけました。恨み重なる宿敵ウラジオ艦隊のリューリックを撃沈した後、その乗組員たち627名を海上から救出した上村提督とのこの大きな差。
 不祥事を起こす恐ろしさとその対応の巧拙がいかに大事か、「みんなが良く見ている」と言うことを忘れてはいけない、現代の企業経営者も肝に銘じて頂きたいと思います。


(その3配信 了)