第1部 日本海海戦/日露戦争(その6-Ⅳ)
そして世紀の大海戦は始まった

笹本 憲一

④ 第一戦隊が途中敵を見失ったというが真相は ―軍事素人作家の錯誤

 27日午後2時58分、猛炎を噴き上げていた旗艦スワロフが突然北へ舵を取り、これを見た東郷提督は日本艦隊の後ろをすり抜けて北進するものと考え、これを追うとして「左八点一斉回頭」を命じたといわれています。その時、二番艦以降のアレキサンドル三世やボロジノはスワロフに追従せず、そのままの進路を取ったため東郷提督の第一戦隊はアレキサンドル三世やボロジノとは遠ざかっていった。ところが第二戦隊旗艦出雲の佐藤鉄太郎参謀長は「スワロフは舵が故障したのだ」と見抜き、上村提督に進言して第一戦隊には従わずそのまま残りの第二戦艦隊に砲火を浴びせ続けた。しばらくして事態に気が付いた第一戦隊は慌てて引き返してきた。
 司馬氏の坂の上の雲では「東郷が午後2時58分に「左八点の一斉回頭」をやるという失敗を犯したために、これをあと二度やらなければもとに復せず、敵にも近寄れないという格好になった。(中略)戦いはたけなわで、いわば敵を逃がすかせん滅するかの正念場であるはずだのに、東郷はそののんびりした艦隊ダンスに熱中していなければならなかった。」と記述しています。
 ここは軍事素人作家で歴史を知らない司馬氏の全くの誤りで、ド素人がプロ中のプロに発した暴言です。司馬氏は昭和の軍人黛治夫(元重巡利根艦長)の著作等から引用しているらしいですが、そもそも明治時代の大口径砲に関する知識がなさ過ぎると思われます。当時の20~30センチクラスの大口径砲には「膅発(膅内爆発)」という恐ろしい現象がありました。続けて多数の砲弾を打ったら砲身が高温で真っ赤に焼け、次弾を装填した時高熱で信管が誤作動して砲内で爆発を起こすというものです。大体試射から28発目くらいで膅発は起こりやすく「魔の28発目」等と恐れられていました。
 実際にこの日の戦闘では装甲巡洋艦日進の前部主砲が二門同時に膅発し、高野(山本)五十六候補生の左手の指2本を吹き飛ばしました。また、戦艦三笠の後部主砲一門も膅発で吹っ飛んでいますし、のちに捕獲された戦艦アリヨールの主砲一門も膅発にあっています。


27日午後5時頃、装甲巡洋艦日進の前部主砲が二門
同時に膅発(観戦武官マヌエル大佐の報告による)

戦艦三笠後部主砲一門が膅発


 東郷提督は膅発の危険ラインを25発目と設定していたようで、2時58分というと海戦開始からほぼ50分以上が経過しており、日本海軍の大口径砲の発射速度はだいたい2~3分に一発ということから、かなり危ない状況だったと思います。
 東郷提督は灼熱の砲身をホースで海水をかけて冷却するため、いったん敵戦艦隊の射程距離外へ戦列を離れたものと考えます。


戦艦アリヨールの主砲一門も膅発

 けっして艦隊ダンスを楽しんでいた訳ではありません。
 明治37、38年海戦史では「第一戦隊ハ(中略)同58分左八點ノ一斉回頭ヲ為シ第二戦隊ト分レテ北東ニ向ヒ発砲ヲ中止シテ(後略)」とあります。このとき第二戦隊の佐藤参謀長がスワロフの回頭は舵の故障なのでこれに従わず、残りのアレクサンドル三世やボロジノに対して引続き頭を押さえながら砲撃し、巡洋艦が戦艦を撃沈するという世界初の快挙を成し遂げました。これについては「第二戦隊はよく第一戦隊に追従しなかった」とか「本当は命令違反で問題だった」とかの識者の意見もありますが、もともと東郷艦隊はロ提督の艦隊と異なって艦隊ごとに独自の判断で行動することが認められていて、別に命令違反でも何でもないと考えます。また、このとき東郷提督は濃霧と煤煙のためにロ提督の第一戦艦隊を見失ったと言われていますが、決してそんなことは無かったと思います。第一戦隊が二度の左八点一斉回答をしてそのあと、第二戦隊に再度合流できたのは偶然ではなく、第二戦隊からの無線連絡で敵主力艦隊の位置は逐一把握していたからだと筆者は考えます。
 いずれにしても司馬氏のいう東郷提督は「艦隊ダンスを踊る失策をした」というのは素人判断の間違いで、わざと1時間くらいの砲身冷却の時間を取ったということです。
 それでもかなり膅発事故がありましたが……


(筆者の私見)
 昔の話を知るためには今現在の常識は捨てなければいけないと思います。明治の軍艦のことを昭和の時代に昭和の軍人に聞くならば、もっと時代考証を綿密にする必要があると思います。筆者は歴史の研究をしていて今の常識で過去を見ることの誤りによくぶつかります。例えば日本海は今は大海原でも5000年前にはたくさんの島が在り、縄文時代でも大陸との交易が大変盛んだった等です。明治時代の大口径砲は昭和の時代のものとは鉄の素材や製造方法等が大きく劣っていて、調子に乗ってバカスカ打っていたらとんでもないことになるということでした。

(その6-Ⅳ配信 了)