17年ぶりの護衛艦進水式に沸く
-造船の町玉野の熱気と興奮―

チャンネルNippon理事 山田道雄

―平成24年8月22日、翌日が処暑というこの日も全国的な猛暑に見舞われた。岡山県南端の瀬戸内海沿岸にある人口6万の小さな造船町、玉野市は異常な興奮と熱気に包まれ殊の他暑い一日となった。この町の中核を占める三井造船(株)玉野事業所の船台で17年ぶりに護衛艦ふゆづきの命名・進水式が行われたのだ。以下はその取材記である。―

護衛艦 ふゆづき(進水式記念絵はがきから)

 この日早朝、前日予約していたタクシーで自宅を出発し、横須賀線、地下鉄を乗り継いで新横浜から「のぞみ」で岡山駅へ。岡山からは民間乗合バスで造船所まで直行したが、バスは始発にもかかわらず満席であり、列の後方に並んでいた10数名の客は積み残しとなった。聞くところによれば、30分前の便にも乗れなかった者が数名いるという。隣の席に座っていた50代と思われる男性は、大阪から進水式を見るためにやって来たそうだ。
 約1時間後、バスが玉野市街に入るや激しい渋滞となり、結局20分近く到着が遅れた。地元の人の話ではこの付辺の道路が渋滞することはめったになく、その人もこの町で進水式は珍しくないが、今回だけはわざわざ見に来たという。
 玉野の町には個人的にも縁があり印象深い土地である。遠洋航海実習の直後砲術士を命ぜられた新品3等海尉は、この造船所で修理中の護衛艦たかなみ(先代)に着任した。四国出身なので宇高連絡船の本州側のターミナル、宇野港はよく知っていたが、玉野は初めて聞く地名だった。日本の高度成長期、昭和40年代中期の当時はいわゆる造船景気の最中で、造船所は昼夜兼行で新造船を建造しており、自衛艦も数隻が修理のため造船所に入っていた。
 着任後最初の仕事が巡察隊指揮官。市内の繁華街は上陸した海上自衛隊の制服で溢れかえっている。若い隊員が勢い酒に酔って放歌高吟や喧嘩をして一般の人に迷惑を掛ける事のないよう、艦内から自警団を編成して輪番で見回わる訳である。その巡察隊の指揮官が任官したばかりの若手幹部にお鉢が回ってきたという訳だ。今もこの制度があるかどうか知らないが、この巡察隊派出という制度もおそらく旧海軍の名残りであろう。何十隻という艦隊集合時には、憲兵を持たない海軍には必要不可欠な制度だったと思われる。その初めての任務で何があったのかすっかり忘れたが、制服に腕章、弾帯、脚絆といういでたちに緊張して出動したことと、異常なほど活気のある港町だったことが印象に残っている。
 それから30数年後、同じ造船所で大型の新型輸送艦が就役することになりその引き渡し・自衛艦旗授与式を執行するため、この町を訪れる機会があった。その頃の玉野の町は郊外には大型店舗が進出し始める一方、繁華街はすっかり寂れて夜間は殆ど人通りが見られない状況であり、まさに当時の日本国そのものの縮図を見る思いだった。
 元々この町は戦前から造船の町として栄え、昭和15年には玉野市となり、市の中核産業の三井造船は旧海軍の海防艦等を数多く建造して来た。大正6年創業の造船所の一角には、歴史的建造物が数棟残され歴史の重みを感じさせる。戦後は海上自衛隊の主力造船所の一つとして、護衛艦の他潜水艦救難母艦や音響測定艦等独自技術を発揮し多くの艦艇を建造して来た。特に旧態然だった護衛艦艦橋のシステム、省人化に着目し、新しい概念の IBS(Integrated Bridge System)を開発したことは、護衛艦艦橋近代化の嚆矢として高い評価を得ている。最近はLCAC(エアークッション艇)搭載の新型輸送艦や大型補給艦を建造したが、今回護衛艦の建造は21隻目、実に17年ぶりの受注となった。
 この日、造船所の正門には「祝-防衛省殿ご注文-護衛艦命名進水式」の大きな立て看板が晴れがましく掲げられていた。四国、関西はもとより遠くは九州から貸切バスを連ねてやって来て約3000名の見学者が来場し、入場出来なかった人は対岸の岸壁から見学したという。

 式典は定刻通り、執行者である山口呉地方総監の先導により防衛省代表一行の式場到着をもって開始された。命名式が終わるまで、船の名称はあくまで「平成21年度計画2247号艦」である。国旗掲揚の後、河野海上幕僚長が命名書を読み上げ、「ふゆづき」と命名される。この瞬間、音楽隊のファンファーレと共に艦首の艦番号「118」の上にかかる紅白の幔幕が引き上げられ、ここで初めて「ふゆづき」という艦名が現れる。

 続いて進水主任の指示により進水作業が開始され、号笛と表示旗、作業進捗表示板により、①進水作業開始 ②行止支柱取外 ③トリガ―安全装置取外の作業が整斉と行われ、「進水作業完了」が報告される。これで艦は自然滑走防止のための全ての安全装置が取り外され、式台に設置された細い支え綱1本によって支えられていることになる。引き続き河野海幕長の振り下ろす斧でこの支綱が切断されシャンパンが割れると同時に、音楽隊による行進曲「軍艦」が演奏され艦首の大きなくす玉が割れ、「ふゆづき」はゆっくりと船台を滑り始めた。観衆から思わず「ウオー」っと、大歓声が上がり拍手が続く。
 護衛艦「ふゆづき」の船体は徐々に加速され、200メートル強の船台をまっすぐ滑り下り見事に進水した。いつも感じることだが、行進曲「軍艦」いわゆる軍艦マーチは、この瞬間のためにだけ作曲されたのではないかと思うほどこの場面にぴったりする。

一見淡々と進められた進水作業であるが、実はその裏には造船マンの長年のノウハウの蓄積があり、失敗、やり直しは許されない場面である。ところが進水式における事故は意外と多く、最近も中国の造船所で進水した豪華客船がそのまま沈没した動画がインターネットで流されていた。

 無事進水を終えた「ふゆづき」は、沖合でタグボートに拘束されゆっくりとぎ装岸壁まで回航される。これから再来年3月の就役に向けて船体、機関、武器等のぎ装工事、海上運転が開始される。すでに北御門2等海佐以下数名のぎ装員(初代乗組員)が発令されているが、逐次ぎ装員も増員され船の魂が吹き込まれて行く。「ふゆづき」という名称は天象気象からとったという事であるが、先代の旧海軍駆逐艦「冬月」(基準排水量:2,700トン)は戦艦大和の海上特攻作戦からも生き残った強運の新鋭艦。
 海上自衛隊の「ふゆづき」(基準排水量:5,100トン)は、いわゆる19DD(平成19年度計画汎用護衛艦)「あきづき」型の4番艦として「たかなみ」型(基準排水量:4,650トン)よりも全般に機能強化が図られ、特に船体のステレス性や新型フェーズドアレー多機能レーダー(国産)の装備等により対空防御機能が向上している。全長151メートル、最大幅18.3メートル、速力30ノット、建造費726億円、乗員約200名。
 翌日、地方新聞各紙には専ら「17年ぶりの護衛艦の進水」という見出しで「ふゆづき」の華麗な写真が掲載されたが、同じ紙面には竹島、尖閣諸島の領土問題関連の記事が踊っていた。
 また、1週間後に国会では離島警備を強化するための海上保安庁法改正案等が成立した。瀬戸内の由緒ある港町玉野の今回の賑わいも、これら国内外の動向と無関係ではなさそうである。
 いずれにせよ、今後約30年にわたる「ふゆづき」の強運かつ華やかな一生と安全なる航海を心から祈念して取材記を終わることとする。(了)