救助犬大和の挑戦(1) – 初めての国際救助犬試験

さすらいの老ハンドラー  矢見野 降男

 我が家に大和が来てから1年が過ぎた。山梨県甲州市大和町の中央高速道の橋梁付近にある警察犬訓練所で生まれた、立派な血統書つきのジャーマンシェパードの牡だ。2歳10カ月の「フリッツ」は、その日から「大和」と呼ばれるようになる。前の広島県呉市生まれのシェパードは「安芸」と命名されたので、本来「甲斐」となるところだが、生憎先任者がいた。同じ山梨県塩山生れの甲斐犬が1年半前から飼われていたのだ。そこで単純に出生場所の町名をとり「大和」、他意はない。
 大和は、雌ながら図太かった安芸とは対照的に繊細な性格で、来た時から腸が弱いのが気になった。それでも頻繁に獣医に通い寄生虫の駆除や慎重に餌を選定する等の処置をして、老飼主夫婦の愛情を一身に受けて逞しく成長した。かわいい盛りの仔犬ではなく基礎訓練の入った成犬を飼うことにしたのは、飼主の年齢もさることながら災害救助犬の任半ばで急逝した安芸号の無念さがあったかも知れない。全くカミサンの理解は得られていないが、早く一人(一犬?)前の救助犬になってくれという飼主の勝手な願望か。
 何かにつけて安芸と比較すると、「大和がかわいそうだからやめなさい」とカミサンにたしなめられる。その安芸は4歳の後半で初めて国際救助犬試験に合格したが、それは試験に挑戦してから4回目のことで、合計約1年半かかった。大和も訓練を始めてから約1年経ったので、昨年秋箱根での救助犬適性試験を受けた。結果、「服従・熟練」は合格したが、「捜索」で不合格。それから半年後、早春の八ヶ岳山ろくで行われた国際救助犬試験の瓦礫捜索A段階に挑戦することにした。訓練士はまだ早すぎると難色を示したが、受験も訓練のうちと考え強引に申し込んだ。
 「災害救助犬」と呼ばれる犬は日本には300頭以上いると言われているが、実際の地震等の災害で現場に出動してくるのはせいぜい10頭前後。あの未曾有の大災害だった昨年の3.11東日本大震災でさえ40頭前後であり、海外から応援に駆け付けた救助犬の数とほぼ同じである。しかも、公的機関で正式の「災害救助犬」を保有するところが無く、殆ど民間の自発的活動(ボランティア)に頼っているのが現状である。わずかに警視庁が国際緊急援助隊用として数頭、海上自衛隊が「国際救助犬」を2頭保有しているが、それも正式には「警備犬」であり、その転用をしているのが実状である。
 ここで国際救助犬とは国際救助犬連盟(IRO)/世界畜犬連盟(FCI)の定める試験規定に基づく試験に合格した犬のこと。この試験規定に基づき、IROの公認審査員による試験が毎年3回行われているが、これがかなりの難関で平均合格率は約20パーセント。従って、救助犬の国内認定基準のないわが国では家庭犬や救助犬の団体が独自に試験を行い認定しているというのが実状である。
 このように「防災大国」(最近はその表現もあやしくなりつつあるが)日本の災害救助犬の態勢は官民共にお粗末な状況にある。同じ東南アジアでも韓国や台湾では官としては消防が災害救助犬を保有し、育成や出動体制を整備している。
 台湾は1999年に台湾大地震(いわゆる9.21大地震)を経験し、初めて海外から救援に駆け付けた救助犬を目の当たりにして体制の整備を急ぎ、現在各消防局が数頭の救助犬を保有し、高雄政府消防局などはIROにも加盟し熱心に救助犬の育成にあたっている。
 一方、我が国では平成7(1995)年の阪神大震災で、初めてフランス、スイスから派遣された災害救助犬の活動を知ることになるが、国や自治体の整備は進まず、民間のNPO等約10団体が自主活動として細々と救助犬の育成、出動体制を維持しているにすぎない。
 このような情勢下、難関のIRO国際救助犬の試験に挑戦するなど無謀と言えば無謀、とても年金生活者の企てることではなく、家人の理解など得るのは至難の業だ。それでも志深い犬の訓練士や飼主(所謂オーナーハンドラー)が挑戦し、最近の試験では毎回50頭の出場犬頭数を数えている。
 IROに加盟するNPO法人救助犬訓練士協会(RDTA) が主催する第16回国際救助犬試験は、平成24年4月20日から22日まで長野県富士見高原リゾートで実施された。ゼッケン番号5番の大和号は第1日の「捜索」と3日目の「服従・熟練」に出場。捜索は山野で行方不明になった人を捜索する「広域捜索」と、家屋等の倒壊した現場で埋もれたりした行方不明者を捜索する「瓦礫捜索」の2種類あるが、大和号はもちろん地震等の災害を前提とした「瓦礫捜索」に出場した。
 試験のグレードは難易度の順にB段階(上級)、A段階(中級)、適性検査(初級)とあり、今回はA段階に挑戦した。B段階の受験にはA段階に合格していることを要するが、A段階には適性検査に合格している必要はない。昨年11月は雨の中で適性試験を受け、服従・熟練はかろうじて合格したものの、捜索は零点に近かった。
 1日目の「捜索」は富士見高原にあるRDTA管理の捜索訓練場で行われた。国内では最も難しい瓦礫捜索の会場であり、大和にとっては初めての場所。実は事前訓練を計画したが、試験3週間前を過ぎていたので試験規定上使用できなかったのである。A段階の瓦礫捜索は仮想被災者2名を15以内に発見できれば合格である。しかし、200点満点の27点という悲惨な結果に終わった。
 いつもの訓練はもっと平易な倉庫の周囲やその中で主として被災者の発見告知の訓練で、被災者の発見は比較的容易であり告知の咆哮訓練に主眼があった。被災者を発見した犬はその場所にとどまり、連続咆哮により発見をハンドラーに告知しなければならない。これが簡単なようで意外と難しい。全く現場の風景が異なり、足場の劣悪な場所での捜索は土台無理であり、初めての大和は全面に広がる木の根っこの山に圧倒されて捜索現場に入りきれなかった。それでもチェコからから来た本職は楽団のチェロ奏者という、IRO審査員S氏は辛抱強く待ってくれ、給水して気分転換を図ろうとするハンドラー(飼主)にチャンスを与えてくれた。大和は何度も「探せ」「前へ」の声符、指符、体符を連発するハンドラーの指示を一切無視、早く終わりたい一心である。鷹揚な審査員も遂に試験中止の宣告。
 3日目の「服従・熟練」はいつもの広い町営球技場で行われたが、ここも大和は初めての所。一般に公開練習が計画されるが今回公開練習はなく、しかも今年から試験規定が大幅に変更となり、国内では新規定での最初の試験となる。従来は「服従」「熟練」と別の科目で、それぞれ50点の配点だったのが、「服従・熟練」と合併し配点は100点。それに伴い試験内容も計9種目に変更され複雑かつ困難になった感がする。それでも、大和は2種目不成功だったが他の種目で頑張り、かろうじて70点で合格した。オーストリアから初めて来日したという本職ミリタリードッグハンドラーのH審査員は、特に大和の休止が素晴らしいと講評で賞賛した。因みに休止は最も配点が多く20点。
 試験の合格犬は「服従・熟練」「捜索」ともに70%以上を獲得しなければならず、結局今回の合格犬は適性2、A段階5、B段階9の合計16頭。例年になく好成績である。総合点270点(得点率90%)以上が世界選手権の出場資格が与えられるが今回は1頭のみだった。
 試験期間中は、出動時を想定して車内で生活をした。昨夏買い換えたばかりのプリウスαは、大小の犬2頭と糧食装備品を収容し快適とまではいかなかったが、気候も厳しくなくてさほど苦にはならない。場所が変わったせいか我が家恒例の大和・甲斐格闘訓練は見られなかったが、会場近くには「信玄の棒道」と称する旧跡というか絶好の散歩道もあり、人犬共に気分転換には最適だった。
 今回の試験結果をみる限り、災害救助犬への道は厳しく遼遠である。救助犬大和の挑戦はまだ始まったばかりだ。(了)

大和号(4歳春)