「忠犬ここに眠る―救助犬金剛丸の殉職」

NPO法人救助犬訓練士協会(RDTA)
山田 道雄

 東日本大震災から1年。昨年の暮れ、呉市吉浦で参加した小さな追悼式を思い出す。当時の林呉造修補給所長の発案で始まった警備犬追悼式は、毎年開隊記念日の12月8日に行われこれで3回目になる。小雨の中、貯油所構内にある立派な警備犬慰霊碑周辺は隊員の手で掃き清められていた。
 式典は泉三省呉地方総監を迎えて定刻に開始された。執行者の西川貯油所長により霊名簿が奉安される。この年亡くなったのはタイソン、武蔵、吉祥丸、金剛丸、ラッシュの5頭。それぞれの犬の来歴書と首輪が担当訓練士により奉納される。3.11震災に出動直後から衰弱死した金剛丸には「殉職」相当として功章(首輪)が授与され、ハンドラーの松元訓練士により奉納された。
 功章奉納の後、参列者全員が脱帽、黙とうをした。そのあと「忠犬ここに眠る」と西川所長が追悼文を奉唱する。それによれば、この吉浦には旧海軍、進駐軍時代から警備犬が配備され、昭和37年頃から本格的な訓練士養成が始まり、現在警察犬協会公認の2等訓練士2名3等訓練士2名を擁するまでになる。東日本大震災においては、金剛丸、妙見丸の2頭がいち早く現場に派遣され、全国に先駆けて救助犬としての新たな任務を立派に果たした。これらの活躍は先代から築かれた労苦の賜物であり、改めて忠犬の御霊に対し謹んで哀悼の意を表し、5頭が安らかな眠りにつく事を祈る、と追悼の言葉は結ばれた。続いて総監以下参列者総員が献花をし、式典は滞りなく終了した。
 今回特別に作成された「功章」は、旧軍軍人の金鵄勲章に相当する軍犬功章甲号に倣った立派な物。靖国神社にはジャーマンシェパードを象った軍犬慰霊像がある。満洲や南方で将兵と共に戦い、遂に1頭も故国に帰る事もなかった軍犬の偉勲を永久に伝えその忠魂を慰めるため、20年前の動物愛護の日(3月20日)に有志により建立された。その際、甲号功章が逗子市延命寺から靖国神社に奉納された。この功章は軍人に勝るとも劣らぬ働きをした軍用動物―軍馬、軍犬、軍鳩に「大臣功章」を授けて栄誉を顕彰する制度が始まった昭和8年、軍犬「金剛」「那智」に最初に授与された物。境内の遊就館では毎年3月20日前後にはこの功章が展示されるという。「金剛」「那智」は、満州事変の激戦で伝令犬ながら味方将兵に先んじて敵陣に突進し、数発の弾丸を受けて戦死した。「犬のてがら」と題して小学校の教科書にも掲載され当時の学童たちに深い感銘を与えたという。
 ジャーマンシェパード犬のコーラス・フォム・エービッフィヴィント は、平成19年4月11日宮城県で生まれた。平成20年2月1日海上自衛隊呉地方総監部に警備犬として調達され、当時の杉本正彦総監(現海上幕僚長)により金剛丸と命名される。  金剛丸は以後吉浦貯油所の警備犬として基本的な訓練を受けつつ順調に成長した。吉浦貯油所は毎年1回、NPO法人救助犬訓練士協会(RDTA)と定期的合同訓練を実施していたが、平成20年秋の訓練から試行的に災害救助犬の訓練を取り入れることになり、金剛丸と妙見丸の2頭が救助犬候補として選ばれた。2頭は救助犬としても順調に練度を上げ、平成22年春までには世界救助犬連盟(IRO)認定の国際救助犬試験において、金剛丸は瓦礫捜索B段階(上級)、妙見丸はA段階(中級)にそれぞれ合格を果たす。訓練開始から2年足らずの資格取得はプロの救助犬顔負けの異例の早さである。2頭は、その後吉浦貯油所の救助犬出動体制の整備に伴い各種の防災訓練に参加し、平成22年秋にはRDTAの2頭3名と共に輸送艦「くにさき」に乗艦して、高知県で行われた消防庁主催の中国・四国ブロック緊急消防援助隊合同訓練に参加した。高知港での上陸は、当初予定していた防災ヘリによる輸送がスターンランプからの移乗を伴う作業艇による輸送に変更されたが、人犬共に初動展開の良い訓練機会となる。また、この夜は陸上で官民合同の野営訓練となったが、相互に装備や後方支援体制の検証を行う事が出来、大変有益な成果を得た。
 その5ヶ月後の東日本大震災では救助犬資格を有する金剛丸、妙見丸に非常呼集が掛かり、吉浦貯油所から2頭6名がその夜のうちに岩国経由厚木に進出。一方、警察庁からの要請によりRDTAからは6頭8名が出動、翌12日厚木において偶然同じMH-53E輸送ヘリに乗り合わせることになった。以後3月17日の厚木帰投まで仙台市霞目飛行場、宮城県警察学校と行動を共にし、金剛丸の故郷宮城県の海岸地区の災害現場で捜索活動に従事する。地震と津波の2重被害による凄惨な現場は、一見して生存者が期待出来ないほど人にも犬にも過酷であった。幸運にも2階で動けないでいた老夫婦1組を発見救助したものの、救助犬による成果はゼロという犬にとっては心身共疲労困憊する連日であった。12日の朝厚木で会った時、金剛丸がいやに痩せていたが、出動前からやや体調を崩していたらしい。
 連日猛暑が続いたこの年の8月9日、出動直後から闘病中の金剛丸は遂に4歳4カ月という若さで亡くなった。詳細な死因は知らないが、あの厳しい環境での捜索活動の影響は否定できない。同じ現場で元気に活動したRDTAのランディ号も帰投後体調を崩し急逝している。
 年が明けて間もなく、吉浦から安芸号の訃報を受けた。命名してから10年、享年10歳のはず。安芸2号とは対照的に小ぶりで気弱な性格だった。彼女は警備犬任務よりも子犬をたくさん産むことで貢献したという。命名式の時抱き上げたら手足だけ異常に太かったのを覚えている。大型犬は短命なので飼い主は同じでも犬は頻繁に代る。3年前安芸2号が急逝した時二度と飼わないと思ったが、結局今我が家には癒し犬の「甲斐」(甲斐犬)と救助犬予備軍の「大和」(シェパード)の2頭が居る。
それにしても、短い犬の一生で千年に一度の大震災に遭遇し、救助犬として活動した金剛丸の生涯は正に天命というべきか。同じ「金剛」ゆかりの功章とともに安らかに眠れ。
(24.3.11記)

編集部注:金剛丸の物語は桜林美佐著のノンフィクション、「ありがとう金剛丸-星になった小さな自衛隊員」として3月9日(株)ワニブックスから刊行されました。