ホルムズ海峡における機雷戦の考察(第2回)

河村 雅美

考  察

イランの機雷に関して

 タルマッジは、「1980年代の後半に湾岸の西方でイランの機雷が発見されており、これは当初遥か東の荒い海域で係維機雷として敷設され、その係維策が切れたものらしい」として、ホルムズ海峡付近で敷設された係維機雷が浮流化してペルシャ湾内に拡散したかのような表現をしているが、これは次図に示されるとおり湾内に敷設されたものであろう。

 ここで注意すべきは、タンカー戦争に於いてイランは、ペルシャ湾内と湾外のオマーン沖に機雷を局地的に敷設しており、ホルムズ海峡には機雷を敷設した形跡が全くないことである。しかもペルシャ湾内では、航路筋で目標を見定めてその前程に機雷を敷設したとするレポート(*2) もある。
 このことは、機雷敷設の効率は高いが、米軍等の厳しい警戒監視下におけるホルムズ海峡での作戦を避け、成果を上げる方法を選択したことを示唆している。結果として、スーパー・タンカー及び米艦艇の数隻に被害を与え目的を達したものと思われる。

2. “Gulf of Conflict-A History of U.S.-Iranian Confrontation at Sea”, P19
Policy Focus #95 | June 2009, By David B. Crist

機雷敷設シナリオに関して

 ホルムズ海峡は、最狭部が21海里弱(40km弱)でありイランとオマーンの領海が重なり、20万トン以上のスパー・タンカー(VLCC)が輻輳するとういことを勘案すると比較的狭い海域と考えるべきだろう。加えて複雑な地形であることから通航船舶特にVLCCのような巨大船が安全に航行できるよう変針を伴う最峡部は、分離通航方式が採用されている。航路帯はそれぞれ2海里(1海里=1852m=2000yds)の幅があり、かつ2海里以上の緩衝帯が設定されている。この様な場所に機雷が敷設されたら、忽ち巨大船は被害を受けることになるだろう。タルマッジの機雷敷設シナリオに基づき、VLCCに対する初期脅威率を求めると68~78%程度となり、かなり高いものとなる。
 因みに1991年クウェート沖の機雷原の場合、約150kmの円弧上に敷設された1157個の機雷による初期脅威率は40%程度であった。つまり、ホルムズ海峡の場合、700個程度の機雷敷設でも比較的狭い所なので初期脅威率が極めて高くなるということだ。

脅威対処について

(1) Qルートの啓開
 先ずはQルートの啓開について、タルマッジは、マイケル・グロスニーのレポートを引用して「元山沖に設定されたQルートでは3,000個の内の225個の排除が必要であり、数としては10%以下であった」としている。
 次図、元山に通ずる永興湾の入り口の広さ約12海里を可航幅とすれば、機雷の密度は、1海里当たり250個となり225個は1800ydsに相当する。つまり600ydsの水路であれば3本を啓開したことになり、軍事作戦として兵員や物資を元山港に送りこむためのQルートとしては十分であろう。ここで忘れてはいけないのは、この対機雷作戦中の僅か1週間の間に米国の掃海艇2隻、日本の掃海艇1隻、韓国の掃海艇1隻が次々に触雷し沈没してしまったことだ。

 タルマッジは、更に、元山沖の事例がホルムズ海峡に適用できれば、約700個の内70個を排除すればQルートを啓開したことになるとしているが、果たしてどうだろか?
 機雷の密度からすると70個の機雷処分を得る啓開幅は2海里強となる。この幅が、広いか狭いかは、Qルートの目的によるだろう。
 ホルムズ海峡が重要なのは、世界の石油がここを通じて供給されているからであり、Qルートの目的も先ずはVLCC(全長約300m、船幅50m、喫水20m)を通すためである。とすれば分離通航帯の幅2海里を2本確保したいところである。つまり70個の2倍は処分しなければならないことになる。この点については、タルマッジの論文の中でも十分理解していることが伺える。

(2) 係維機雷の除去について
 係維即発機雷は、一旦位置が判明すれば比較的容易に排除することができる。その反面、係維機雷は時間経過と共に係維索が切れて浮流化するのが過去の戦訓であり、これが大変厄介であることを忘れてはならない。タルマッジは、上記の背反する事実を十分理解しながらも、処置の面では、浮流機雷に対する配慮に欠けている。
 1991年の例では、半年の間に係維機雷の20%が浮流化しペルシャ湾内に広く拡散した。1950年の朝鮮戦争の例では、元山沖で使用されたソ連製の係維機雷が浮流化し我が国の日本海沿岸に数年の間に数百個も漂着し被害を与えた。問題は、浮流化した機雷が自滅しないで生きていることだ。
 自動触接海底水雷(機雷)の敷設に関する1907年のハーグ条約の第1条第2項は、「係維を離れたる後直ちに無害とならざる係維自動触発水雷を敷設すること」を禁じている。この国際法条約は、日露戦争の海戦に於いて、日露の主要戦艦数隻が相次いで触雷沈没した事実が世界を震撼させ策定されたものであるが、今日まで、あまり遵守されてこなかったことも事実である。

1991年からの見積もり

 キャンデッド・ハンマー作戦では米国、英国、フランス及びベルギーからの1ダース以上の艦船が、概ね3月1日から4月20日までの間に、クウェート沖の1157個の機雷の内907個を処分したとしているが、実際の処分数は700個程度であったと思われる。
 その後、対機雷兵力は、オランダ、イタリア、ドイツ、サウジアラビア及び日本が加わりピーク時には9カ国、29隻の機雷艦艇と10隻の支援艦艇となった。つまり4月20日から西欧同盟WEUが作戦を終了した7月20日までの3カ月が、最も兵力が多くなった時期でありこの間に500個以上の機雷が処分されている。
 なお、この期間には対機雷ヘリの母艦トリポリも戦列に復帰し、航空対機雷戦を再開するとともに、ドイツもまた救難ヘリをバハレーンから展開運用して浮流機雷の捜索等に従事している。

 ここで注意しなければならないのは、兵力量と機雷処分数及び時間の経過は、必ずしもリニアーの関係にないことである。つまり見つけ難い、処分し難い機雷が後になるほど残るという事実である。このことについて、当時の米中央軍海軍司令官であったテーラー少将は「最初の100個に比べ、最後の100個の機雷の捜索は極めて難しいものとなるだろう」と述べている。
 また、1991年9月10日までに処分された機雷の総数は1281個に達し、1157個より1割多いのが実際の作戦結果であった。
 以上からタルマッジの1991年からの見積もりは、相当に甘いものだと言わざるを得ない。事実、国連安保理決議 686号に基づくクウェートへの船舶の航行の安全確保のための作業を終了(5港10水路の啓開)したのは7月20日であり、カフジ沖の海底油田の操業が再開されたのは日本の掃海部隊が作業を完了した9月10日以降である。また、イラク沖のオイルターミナルに隣接した機雷危険海域MDA10の機雷除去もこの日に終了した。
 つまり、湾岸原油の流通が元の状態に戻るまでには相当な時間を要したのである。

2003年からの見積もり

 1991年に湾岸戦争における戦闘が終結した後も、米国の対イラク戦争が終った訳ではなかった。2003年の「イラクの自由作戦:Operation Iraqi Freedom」が開始されるまでの12年間、ペルシャ湾では、米海軍及び同盟国の一部海軍により、対イラク禁輸措置に関する国連安保理決議に基づいた海上阻止作戦(MIO: Maritime Interdiction Operation)が継続して行われてきた。そしてイラクの自由作戦の緒戦段階で、同盟国海軍は、北部ペルシャ湾において徹底した不審船舶の捜索、臨検を実施し、イラクによる機雷敷設を未然に防ぐことができた。このことは、先の湾岸戦争の教訓を活かすとともに永年に亘るMIOの経験が功を奏したものと言える。

 その結果、2003年のイラクの機雷敷設は、ウム・カッスル港に通ずるコール・アブド・アッラー水路などの内水域に限られたものであった。
 ウム・カッスル港は、イラク最大の荷揚港であり、イラクの穀物の85%がこの港から陸揚げされている。また野菜等の食料品及び一般貨物も扱われており、所謂生活必需品を供給する港である。従って、人道上この港までの航路を速やかに開くことが急務であったのである。
 クウェート領のブービアン島とイラク南部の極めて限られた沿岸の間にある河口域のコール・アブド・アッラー水路は、殆どが300yds程度の狭い水路(浚渫水深12.5m)であり、その外側は10m以浅の浅瀬が多いところである。このため、対機雷艦艇や掃海ヘリコプターの機能発揮ができないところもあった。そこでは現実的な機雷排除法として、機雷の位置局限には良く訓練された米海軍のバンドウ・イルカ、位置局限後の爆発物処分には米、英、豪海軍の爆発物処分員(EODT : Explosive Ordinance Disposal Team)の ダイバーが当たり、短時日に任務を完遂した。
 因みに、EODTによる沈底機雷の処分は、ホルムズ海峡では水深が深すぎて実施できない。

【写真:米海軍Web-Siteから】

 つまり、この水路の対機雷作戦は、局地的に限られた極めて特異な作戦であり、ホルムズ海峡の対機雷作戦の見積もりに反映するには無理があると思う。

ホルムズ海峡への適用

 シナリオのとおり沈底機雷約200個、係維機雷約500個がホルムズ海峡最狭部付近の西側に敷設されたとする。VLCCの通航を再開させるための航路啓開を目的とするなら、分離通航方式の航路幅2海里の上り下りの航路を確保しなければならない。また係維機雷は浮流化する恐れがあるので、航路幅だけでなく全ての敷設機雷を可及的速やかに排除する必要がある。この考えの下に、敢えて時間的な見積もりをするなら、1991年の3月1日~7月20日の作戦を参考とするのが妥当であろう。7月20以降は、日米の掃海部隊だけで最も難しいとされた海域の機雷排除に当たっており平均値を求めるには適さないので割愛し、
  3月 1日~4月20日(51日間) 兵力15隻      処分機雷数700個
  4月21日~7月20日(91日間) 兵力22隻(15+29)/2 処分機雷数500個とすると、
1日1隻当たりの平均機雷処分数は0.434となり、15隻の場合は、一日当たり6.51となる。
沈底機雷は、10個/海里程度の密度なので上り下りの航路を合わせると4海里で40個となる。係維機雷は500個全てを処分対象とするので、総数は540個となり、15隻の掃海部隊で対処するとすれば、約83日の3カ月弱ということになる。タルマッジの見積もりの2倍強である。

最後に

 所詮見積もりは、諸々の仮定の上での試算に過ぎない。この種の事態は、近い将来起こり得るかもしれない事態として予測しながら、不測事態対処計画(Contingency Plan)などと呼ぶのも一理ある。実際場面では予測がつかないようなことが次々と起こるからだ。
 唯一頼りになるのは、過去の先例であり、この場合は機雷戦史と言うことになる。
 機雷が一旦敷設されてしまうと、その処理に大変な労力と犠牲が伴うことは、大東亜戦争後の我が国周辺海域における航路啓開、朝鮮戦争における朝鮮水域の掃海並びに湾岸における機雷除去を通じて、我々日本人が直接経験してきたことである。
 その経験からすると、最も重要なことは、先ず機雷が敷設されたらどうするかではなく機雷が敷設されないようにするにはどうすべきかである。その方策については、一案を前に示した「ホルムズ海峡の状況と我が国として取るべき措置」の通りである。
 停戦が成立していることを前提に遺棄された機雷の除去なら可能という考え方は、最善策から最もかけ離れた知恵のない結論であろう。我が国船舶の安全のために、少なくとも遺棄された機雷を除去できることは、必ずしも停戦成立が必要条件ではない。係維機雷が浮流化したものをイランに遺棄した機雷かどうか確認するまでもなく、我が国が遺棄機雷と判断して処分しても何ら問題は無い筈である。この判断は、我が国としてもイラン・イラク戦争当時に行っている。
 そもそも停戦は、戦争を前提にしているが、イランがホルムズ海峡に機雷を敷設するに際して、領域を接するオマーンやその他の国々に対して宣戦を布告するかどうか疑問である。オマーンが、国際海峡に対する機雷敷設は国際社会に対するテロ行為だと非難したとしても、オマーンに対するイランの戦争行為だとは中々言い切れないだろう。戦争にならないなら停戦もない。要するに国際テロは、非対称な不正規戦であり、従来の戦争の概念では処することができないのである。

(第2回了・完)