ホルムズ海峡における機雷戦の考察(第1回)

河村 雅美

 ジョージ・ワシントン大学のケイトリン・タルマッジ准教授(現在)が、マサチュセッツ工科大学の安全保障研究プログラムの一員として在籍中(2007~2008)に発表した論文「Closing Time-Assessing the Iranian Threat to the Strait of Hormuz」(*1) があり、この中に、今話題となっている「ホルムズ海峡における機雷戦」について述べられている部分がある。
 その内容は、ペルシャ湾における1991年と2003年の二度に亘る機雷戦を引き合いとして、包括的かつユニークな見積もりを行っており興味深いものがあるので、先ずはその部分を抄訳し紹介する。
 またその内容には、現場を知る者にとって、或いは、軍事作戦を知る者にとっては、机上の研究の域を超えないと思われるところも多々あることも事実である。しかしながら、そうした疑問や反論を通じて改めて再認識するところがあり大変参考となるので、その糸口とすべく考察を後段に加えた。

1. “Closing Time-Assessing the Iranian Threat to the Strait of Hormuz” By Caitlin Talmadge
International Security, Vol. 33, No. 1 (Summer 2008), pp. 82-117
2008 by the President and Fellows of Harvard College and the Massachusetts Institute of Technology

ホルムズ海峡における機雷戦
(Closing Timeからの抜粋・抄訳)

イランは、適当な機雷の在庫と、複数の機雷敷設プラットフォームを有している。鍵となる変数はイランが保有している機雷の数ではなく-機雷は比較的安価で取得できるので、むしろ発覚するまでにどれだけ多く敷設できるかだ。過去の米国の対機雷戦の事例に基づく予測では、もしイランに小規模な機雷敷設キャンペーンでも許してしまえば、ホルムズ海峡を再び啓開するには1か月若しくはそれ以上を要する。

イランの機雷戦プラットフォーム

 イランは、3隻のフリゲート艦、2隻のコルベット艦及び10隻の高速ミサイル艇のいずれからも機雷を敷設することができる。イランは、また、ペルシャ湾内に機雷敷設専用と見られる3隻の船舶と、未だ機能しているRH-53機雷敷設ヘリ3機を保有している。更にイランは、機雷敷設に適した200以上の小規模な沿岸哨戒兵力を有している。これらは迅速でレーダーに捕捉され難く、主にロケット、無反動砲及び小火器攻撃に役立つものである。イランは、タンカー戦争の際、この種の小型艇を機雷敷設に使った。イランは、ロシアからの比較的近代的な877型Kilo級ディーゼル・電気推進の潜水艦3隻を有している。Kilo級潜水艦はそれぞれ533mm(21inch)魚雷発射管6門を装備しており、この潜水艦は魚雷18発か又は機雷24個を搭載することができる。イランは、少なくとも1隻の機雷敷設ができる超小型潜水艦を保有していると言われているが、その他の詳細は殆ど分からない。一般に、潜水艦に関するイランの運用記録は一定ではなくむらがあり、修理・改装も遅れている。
 イランの潜水艦を使ったホルムズ海峡への機雷敷設は、不可能ではないが、幾つかの要因により問題がある。第一に、この海峡の海底地形が潜水艦にとって不利である。Kilo級潜水艦の隠密性と防護性を維持できる水深80m以上の所が限られるからだ。更に、ペルシャ湾内の海水は塩分濃度が高く湾外との海水の熱交換流がソナーの探知を阻害する。その結果、潜水艦は、自分自身の存在を暴露せずにパッシブ・ソナーを使用して水上艦船を探知することが難しい。潜水艦は、隠れれば使い物にならず、行動すれば見つかりやすい。何れにせよ対潜水艦(ASW)部隊が有利であり、イランは、これらの問題を認識し、潜水艦をオマーン湾に再配備しようとしている証がある。

イランの機雷

 イランは、少なくとも2,000個以上の機雷を保有していると考えられるが、この量は、歴史的な標準からすればたいしたものではない。例えば、第1次世界大戦では、ドイツのUボートを北海に封じ込めようとして米英は70,000個以上の機雷を敷設したし、冷戦時代には、米ソ共にそれぞれ数十万個の機雷を備蓄していた。しかしながら例え少量の機雷であっても、その存在が知れれば、海上交通を止めてしまうことができる。1972年、米国は、僅か36個の音響・磁気機雷を初度投下しただけで、北ベトナムのハイフォン港に出入りする全ての船舶交通を直ちに止めてしまった。1991年にイラクは、クウェート沿岸沖に僅か1,200個程度の機雷敷設により米軍の上陸侵攻を思い止まらせ、後にその内の2つに米艦艇が触雷した。1950年には北朝鮮が、50平方海里に僅か3,000個の機雷敷設により元山への米軍の上陸を遅らせた。これらの事例は、殆ど恐怖心が齎す力であることを示しており、合理的な脅威の計算結果より初期に発生した爆発による心理的効果による。
 イランの2,000個の機雷の約半分は、イランが3隻のKilo級潜水艦を取得した時にロシアから購入したものである。イランの他の種類の具体的な備蓄機雷や、どの種類の機雷がホルムズ海峡に使われるかは想像する以上のものはない。この海峡は、比較的浅く、かつ、潮流が速い。このことは、係維機雷の係維索が切断し流失した浮流機雷が機雷原から容易に拡散してしまい、イラン自身の兵力に危険を引き起こすことにもなる。実際、1980年代には、湾岸の西方でイランの機雷が発見されており、これは当初遥か東の荒い海域で係維機雷として敷設され、その係維策が切れたものらしい。
 かつてイランは、1908年の設計をベースとした北朝鮮で製造されたM-08係維機雷を使用したことがある。米海軍は、1987年にイラン革命防衛隊海軍をカタールの北でその様な機雷の敷設の現行犯として捕まえた。1撃は1987年にクウェートのスーパー・タンカー、ブリジットンに、その次は、1988年に米海軍のフリゲート艦USSサミュエル・ロバーツの船体に穴を空けた(何れも沈没しなかったが、大規模な修理を要した)。M-08の炸薬量は115kgであり比較的少ないが、これは水上艦船を目標として使われることを示している。そしてこの機雷の使用水深は6~110mであり、正にホルムズ海峡での使用に適している。

 ソビエト海軍は、M-08及び同種のM-26機雷を大量に生産したので、ロシアが、イランに対して最近の潜水艦の譲渡と共にそのどちらかの機雷を売却したということも、尤もらしい話だ。M-08もM-26も潜水艦から敷設することができないので、ロシアがイランに売却した1,000個の機雷の内、少なくともその一部は、異なる種類のMDM/UDMシリーズの沈底感応機雷の可能性が高い。恐らく多用途で威力のあるMDM-6であろう。この機雷はイランのKilo級潜水艦の魚雷発射管又は水上艦船の軌条或いは後部傾斜路のいずれからも敷設することができる。この機雷の炸薬量は、M-08の炸薬量より一桁多く1,100kg程度で、運用水深はM-08と同様に12~120mでありこの海峡に適している。MDM-6は、前述の触発機雷より精緻に設計されており、音響、磁気又は水圧に半径50~60m以内で感応し発火する。また、タイミング装置と航過計数装置を有し、より運用上の使い勝手が良い。

ホルムズ海峡へのイランの機雷敷設シナリオ

 イランがどの位の数の機雷を発覚する前に敷設できるか予想することは難しい。イランの即応性、能力、調整力及びステルス性について、特に想像力を働かせた仮定はないが、前述の情報から推測する直接的なシナリオは、次のとおりである。
 ・もしイランのKilo級潜水艦3隻のうち2隻が稼働状態であるとするなら、2隻で4つの機雷原にそれぞれ48個、計192個のMDM-6機雷を敷設することができる。この場合、各潜水艦はバンダレ・アッバースにおいて3度の機雷の再搭載を要する。
 ・イランは、4つの機雷原を海峡の最狭部、Tunb島の東、Larak島の真南に敷設することができる。機雷は、往復の航路と緩衝帯を含む航路筋の直ぐ外側に敷設されるだろう。
 ・イランは約170隻の小型船舶を用いて夜間、航路筋の西に機雷を敷設することができる。
 ・もし、これらの小型船舶が各々平均3個敷設できるとすれば計500個の追加機雷が敷設できる。これらの船舶はM-08機雷の様に旧式な各種係維・触発機雷を敷設するだろう。
 以上は、様式化したシナリオであり、イランがこれらの複雑な作戦を同士討ちの危険を避けつつ調和させられるかどうか疑問である。一方、イランが機雷敷設のために、この様な軍用船舶だけに頼るとも思えない。漁労用のダウ船及び他の民間船をこの様な作戦に参加させることは容易であろう。しかしその数を見積もることは難しく、より慎重かつ単純に考えるなら、イランの戦力組成(OB:Order of Battle)データに基づき、何個の機雷を敷設できるかということになる。加えて、このシナリオは、イランが相当量の触発機雷を追加敷設可能な機雷敷設専用の船舶及びヘリを利用できる要素を、加味していない。もし、イランがこれらの兵力をほぼ確実に探知され、破壊されるリスクを厭わないなら、更に機雷原を構築することができる。
 要するに、イランが数百個の機雷をペルシャ湾に敷設できると考えることは自然である。もし、前述のような状況が整っていれば、一例として、イランはトータル700個弱の機雷を敷設できるということだ。この数は特に大きなものではないが、ホルムズ海峡のように狭く、通商船舶が輻輳する海域では、タンカーが機雷に遭遇するまでに時間はかからない。MDM-6のタンカーに対する効果は未だ知られていないが、この機雷は、発火機構が精緻であり、1980年代に複数のタンカーに被害を与えた機雷の10倍の炸薬量を有していることから、タンカーの通航に与える脅威を容易には排除できない。もし、海運会社とその保険会社が、ホルムズ海峡の航路と周囲の海域に明らかに機雷が敷設され、タンカー戦争で使用された機雷より10倍の威力があるものもあると認識したなら、彼らは海運を止めるか減少させる可能性がある。
 最も重要なことは、通商に対するイランの機雷敷設戦が米軍の介入を余儀なくするとしても、イランの狙いを満たすことである。一般的には、この海峡を封鎖するのに2,000~3,000個の機雷を要すると言われているが、イランの目的を考えれば、その必要はないだろう。

ホルムズ海峡における機雷への脅威対処

 ホルムズ海峡における機雷以外の脅威はさておき、米国は、この機雷を排除するため何をなすべきか?そして、どの位時間を要するだろうか?この様な作戦の目標は、通常Qルート(機雷の存在が予想される海域内に設定する航路であり、最小限の対機雷戦努力で啓開できるように設定する)を、初めて通航する際の触雷公算(初期脅威率)を10%以上減少させるまで機雷を排除することにより 、対機雷艦艇自身を含む重要な通航を啓開することである。Qルートから幾つの機雷を排除しなければならないかは、機雷原の密度による。マイケル・グロスニーのレポートによれば、元山沖に設定されたQルートでは3,000個の内の225個の排除が必要であり、数としては10%以下であった。もし、元山の例を指標とすることができれば、この海峡のQルートの啓開には、トータル約700個の機雷の内、70個以下を排除する必要があるということになる。
 米国がこの海峡におけるQルートの機雷排除に成功したとしても問題は、このQルートが全通航量を再開する或いは石油市場の緊張を解くには十分なスペースではないことである。しかし、それでは石油の流れを復元することにはならない。より妥当な成功度の標準は、約700個の機雷全部かそのほとんどを排除することである。ただし、過去の事例からどのくらい時間がかかるのか予測するのも難しい。
 第1に、機雷排除の難しさは、機雷の種類によってかなり異なる。係維即発機雷は、一旦位置が判明すれば比較的容易に排除することができる。感応機雷は、類識別に時間を要し、無能化に練度を要す。このことは、何故、1950年の朝鮮戦争における元山では各対機雷艦艇が、素晴らしくも一日当たり0.67個の触発機雷を処分できたにもかかわらず、1982年の紅海では、英国の掃海艇が、一個の小型感応機雷を類識別し無能化するのに6日も要したかということを物語っている。
 第2に、対機雷兵力がかなり変化しているということだ。米国が元山における機雷排除に要した機雷艦艇の数と時間は、今日ではかなり異なるだろう。その後、無人ビークルや、高性能ヘリ或いは60年前には全くなかった新しい技術を用いて機雷排除が行われてきた。
 第3に、環境条件が、除去すべき機雷のスピードと容易さに影響することである。滝のような雨がガリポリにおける英国の掃海を阻害した主要因であった。ペルシャ湾では思いもよらないような障害があった。
 ホルムズ海峡の機雷排除に関しては、ペルシャ湾内における比較的最近の二つの類似例:1991年クウェート沖におけるキャンデッド・ハンマー作戦と2003年ウム・カッスル港に近いコール・アブド・アッラー水路における機雷排除である。両作戦共にイラクの敷設した機雷に対する作戦である。これら二つの作戦に関するデータの欠如と、技術及び適用した作戦概念の相違並びに機雷原の規模が異なる事実があるにもかかわらず、この二つの作戦は、ホルムズ海峡に於いて米国が約700個の機雷の排除にどの位の時間を要するかという大凡の見積もりを齎してくれる。

1991年からの見積もり

 1991年にイラクは、幾つかの機雷原に分け1,157個の機雷を敷設した。対抗策としてキャンデッド・ハンマー作戦では米国、英国、フランス及びベルギーからの1ダース以上の艦船が、概ね3月1日から4月20日までの間に、クウェート沖の1157個の機雷の内907個を処分した。但し、USSプリンストンとUSSトリポリが触雷した3個の機雷を除くと対象とした総数は1,154個である。キャンデッド・ハンマー作戦としては、確かに907個、78.6%の機雷を処分したことは事実である。作戦に要した日数は51日間であり、参加した艦船の隻数は、「1ダース以上」という報告上の表現から、15隻程度とすることができる。もし、907個の機雷が15隻の艦船により51日の間に処分されたとするなら、一日当たり17.8個の機雷が処分され、この作戦を通じ各艦船は平均60.46個、各艦船は一日平均1.18個の機雷処分となる。
 これは、素晴らしく高い機雷排除率であり、恐らく特別な状況下であったためであろう。
 第一に、対機雷チームは、既に何処に機雷があるか良く理解していた。連合軍は、1990年12月から機雷に遭遇しており、少なくとも初期の監視と機雷掃討を行う時間があった。
 第二に、停戦後の3月始めの交渉に於いてイラク軍から機雷原の地図が提供されたこと。
 第三に、連合軍は、航空攻撃或いは沿岸基地からの攻撃から対機雷艦艇を防御する必要がなかった。キャンデッド・ハンマー作戦では、対機雷艦艇は完全に無防備な海域でも自由に活動することができた。
 第四に、イラクは、比較的容易に処分できる係維触発機雷を多数使用していた。
 この様な有利な状況であった反面、連合軍は、対機雷ヘリの母艦であるトリポリが被害を受けたことで、この作戦から対機雷ヘリが除外された。その結果、キャンデッド・ハンマー作戦は、将来の対機雷作戦の長さを見積もるに際し、過度に楽観的でも、過度に慎重すぎるものでもない。つまり1990年代初頭の対機雷艦艇15隻を以てホルムズ海峡にて約700個の機雷を、キャンデッド・ハンマー作戦と同じ条件下で対応したとすれば、全ての機雷を除去するのに39日を要することになる。もし、キャンデッド・ハンマー作戦の場合と全く同じく80%の機雷を処分するだけで良ければ、32日となる。そうであるなら、このシナリオの条件下で、海峡を全面的に再啓開するには少なくとも1カ月あれば十分となる。Qルートの啓開を10%の機雷とすれば、僅か4日である。
 しかしながら、米国の対機雷能力は1991年以来、相当向上されてきた。キャンデッド・ハンマー作戦における米国は、同盟国船舶の種々の年代の組み合わせに頼っており、自分自身の対機雷艦艇もポスト・ベトナム戦争時代そのものと、2~3隻のアヴェンジャー級(MCM-1)掃海艦であり、これは当時兵力整備の途次にあった。そしてヘリコプターは利用できなかった。
 今日、米国は14隻のアヴェンジャー級掃海艦と8隻のオスプレー級沿岸掃討艇を有している。そして2隻のオスプレー級と2隻のアヴェンジャー級がバハレーンを恒久的な母基地としており、ここには4機のMH-53E航空対機雷戦(AMCM)ヘリが前方展開されている。両用戦強襲艦もこの地域に展開されており、航空対機雷戦の支援が可能である。

2003年からの見積もり

 2003年、ウム・カッスル港に通ずるコール・アブド・アッラー水路の安全を確保するため、米国はこの地域に配備している4隻の機雷艦艇とMH-53E1個飛行隊を展開した。4隻の英国掃海艇と1隻の機雷戦指揮艦も充当された。この合同部隊は約4日間で78個の機雷を無能化した。
 ここで、1日当たり1隻当たり何個の機雷が無能化されたか算出するのは適当ではない。何故なら、これらの艦艇は、航空機による誘導と防御なしに任務を果たしたわけではないからだ。(実際、キャンデッド・ハンマー作戦では2隻の主要艦艇が被害を受け、2003年の作戦では被害を受けていない)むしろ重要な計算は、合同部隊が1日当たり約19.5個の機雷を処分したことであり、キャンデッド・ハンマー作戦での17.8とあまり変わらないということだ。もし米軍(及び同盟軍)がコール・アブド・アッラー水路と同じ比率でホルムズ海峡でも機雷を排除できたとするなら、Qルートの啓開は4日できる。全ての機雷除去には36日、80%の機雷排除なら29日となる。

ホルムズ海峡への適用

 1991年と2003年のケースは、詳細な部分では相違があるものの、ホルムズ海峡を再啓開するのに略1か月を要するということを示唆している。更に、1991年と2003年の作戦で米国が有していた3つの利点は、ホルムズ海峡のシナリオでは享受できない。
 第一に、上記両作戦は、ホルムズ海峡より狭いエリアであった。
 第二に、イランは、恐らくイラクが用いたものより排除が難しい感応機雷を使うことができる。このシナリオで仮定した約700個の機雷の内の200個弱は、MDM-6感応機雷である。これらの機雷を排除するのにどれ程の時間延長を要するかによって、米軍は対機雷作戦に数週間を追加しなければならないかもしれない。例えば感応機雷の排除に2倍の時間を要するとすれば、約200個の感応機雷の80%を排除するのに1991年からの見積もりでは9日の追加、2003年からの見積もりでは8日の追加となり、トータルでは、それぞれ40日及び37日となる。Qルートの設定には、単純に数日の増加となる。
 第三に、1991年と2003年は、共に米国及びその同盟国の対処兵力が、機雷排除を開始すべき時期にその場に揃っていたということである。将来、米国が同盟国の支援をどの程度得られるか分からない。1991年及び2003年は、同盟国は恐らく関連する兵力の半分ほどを提供したと思われる。恐らく将来も彼ら同盟国は、同様に関心を持つだろう。ただし、米国が単独で作戦を遂行しなければならないなら、相当な時間増加となるだろう。
 将来に向け、米国はオーガニック(他の機能と共に一体的な機能として有機的)な航空対機雷兵力の開発と展開を計画しており、その能力は、対機雷専従の艦艇ではなく、空母打撃群及び水上行動群(SAG:Surface Action Group)に配備された航空プラットフォームからの機雷の類識別及び無能化を目指している。これらの能力は、向う5年位の間に運用可能になると思われるが、機雷戦は、歴史的に米海軍にとって優先ではなかった(或いはこれからも)ので、遅れることは十分あり得る。米海軍は、既に専従の対機雷艦艇を段階的に廃止している。最終的に、専従の対機雷兵力が実際の対機雷戦能力として寄与するかどうか定かではないが、変化の要は、将来、紛争の開始時点にその戦域に対機雷兵力が存在しているということだ。1991年及び2003年からの見積もりは、全ての兵力がその戦域にある状態で対機雷作戦の時間計測をスタートさせており、従って、例え作戦のコンセプトが変わったとしても、将来の対機雷作戦がどのくらいかかるかの見積もりにも適用できる。加えて、オーガニックな兵力はQルートの急速な設定に役立つが、専従兵力の能力である広い地域の作戦遂行には適さないことに留意しなければならない。
 機雷敷設に対する最善の防衛は、勿論未然防止である。米国及びその同盟国が、前述のシナリオをイランが開始すること、特にイランの潜水艦の行動を捕まえられれば、それだけ、海峡封鎖による被害を劇的に減ずることができる。加えて、対機雷作戦は、機雷が敷設された海域が反映・更新された水路図を入手できれば、遥かに早く遂行できる。海底の情報と全ての目標が記載された正確な海底等深海図は、機雷掃討艇が機雷かもしれない新たな目標を直ちに類識別するのに極めて役立つ。米国の対機雷戦チームは、戦闘任務の間に、その様なマッピングに多くの時間を費やしてきたと伝えられている。
 最後に、前述のシナリオに基づく諸計算は、対機雷作戦だけを分離して仮定したものであるが、現実には、他の事象も同時に起こるであろう。米国は、イランによる機雷の追加敷設を防ごうとするか、少なくとも1987年に行ったようにその行為を行っているイラン人達を取り押さえるであろう。米国は、恐らく、対機雷作戦遂行中にイランの艦船又は潜水艦がその母港を離れたら、それは戦争行為と看做し、外交上の措置宣言を発するだろう。
 但し、イランの機雷敷設への報復として、イランの石油とガスの二つのプラットフォームを破壊した米国のプレイング・マンティス作戦(カマキリ作戦)が開始された1988年当時、イランはこの種の警告を無視している。数隻のイラン艦船が海峡の中及びその周囲で米国の三つの水上行動グループ(SAG)と直面し、米国は、殆ど1日にも満たない戦闘でイランの戦闘艦艇2隻を沈め、イランの3隻のフリゲート艦の内の1隻に致命的な損害を与えて応えた。
 イランもまた対機雷作戦に従事している水上及び航空兵力を攻撃することができる。そして、これは機雷敷設戦の側面でもあり、対機雷兵力は、沿岸からの攻撃に対して、タンカーより脆弱である。米国は、この脅威に対して、対機雷作戦を開始する前に略完璧に無能化しようとするであろう。イラン沿岸からの攻撃の脅威を目前にして対機雷兵力を運用することは、あまりにも脆弱であり、高価であり、不安だと考えられているからだ。
(第1回 了)