「暁のブリーフィング」
-冷戦期・ある飛行隊長の1日-

元海自哨戒機パイロット 山田 誠

初のP-3C部隊

 第6航空隊(注)は、昭和58年3月、初のP-3C部隊として開隊、その年の海演では期待どおりの実力を見せて華々しくデビューを飾った。単機ではあったが観閲式にも参加した。あっと言う間の1年が過ぎた昭和59年6月、司令ほか多くの隊員はリムパック参加のため不在、残留部隊は副長の下、忙しい毎日を送っていた。

(注)第6航空隊:昭和58年3月30日、海上自衛隊最初のP-3C部隊として新編され第4航空群に編入。平成20年3月26日、第3航空隊と第6航空隊が統合され、第3航空隊と呼称される。

「隊長、お久しぶりです」3日前に始まった東シナ海におけるソ連新鋭潜水艦捜索のため早めに出勤したA 3佐はこんな挨拶をした。そう言えばA 3佐の顔を見たのはいつだったか隊長自身もはっきりした記憶がない。派米訓練部隊の歓送会には彼も出席していたからそれ以来とすると、かれこれ2週間になる。

 この1ヵ月余り、飛行隊のみならず、航空隊全員が揃うようなことはなかった。いつも誰かが飛んでいるし、そうすると本部も列線も歯抜け状態になる。隊長を含め勤務は不規則で、朝の課業整列等はどうしたのか、その時々の先任者が決めることなので恐らくまちまちであっただろう。隊長の頭の中はそういうことより飛行作業が円滑に進んでいるかということの方が優先事であったから、実はあまり気にしていなかった。

 隊長は2時間ほど前にオホーツク海の監視から帰ったばかり、今朝の北海道はいい天気だったが、東シナ海方面は気圧の谷が近づき下り坂である。「ほんと、久しぶりだな。天気はどうだ」隊長は挨拶に代えてA 3佐に聞いた。「はい、前直機のレポートでは丁度前線が掛かっていてシーリングは1,500ほど、ミニマムぎりぎりのようです」「そうか、梅雨の真っ最中だから気をつけてな」会話といえばこれだけであった。彼は早期に転換訓練を受けた一人、何でも任せられる優秀なパイロットである。これで十分だ。

 A 3佐が群のブリーフィングに出向いたところで疲れがドット出てきた。P-3Cになってから、北海道方面の監視ではいつも何かが起きる。今回も暗闇の中でソ連の戦闘機に追跡された。正直いって少々怖かった。帰って少し休もうか。夕方にはまた出勤しなければならない。

落雷

 昼間だから熟睡できないかと思ったが、電話の音で目が覚めた。FDO(飛行当直士官)からであった。「A 3佐機が帰ってきます。落雷です。スタンバイは機長H 1尉、1時間以内にテイクオフ 可能です。前直機のオンステーションを延長できるので穴はあかないと思います」「よし、すぐ出勤する。群は了解しているな」「はい」

 幸い4時間は熟睡できた。落雷は規模によっては大事に至るが、とんでもないこ とにはなっていないようである。だが飛行を継続する訳にはいかない。クルーのや りくりや危険報告などの処置を含めて隊長のやることはいっぱいある。飛行隊に着 くとスタンバイ機の機長H 1尉が待ち構えていた。A 3佐とはASWOC(対潜水艦戦作戦センター)で直接話をしたとのことで落雷の状況を報告してくれた。悪天候を避けながら前線の近くを飛行中だったらしい。積乱雲に入らなくても危ない訳でこれは貴重な教訓だ。A 3佐機の着陸は1時間後である。沖永良部の手前から戻ってくるので重量は着陸に支障のない状態になる。天候もまあまあだからむしろスタンバイ機を順調にオンステーションさせることが大事だ。H 1尉も転換訓練を終了して1年を経たパイロット、S2F出身というところがユニークだが安定した技量の持ち主だ。このクルーはTACCO(戦術航空士)、理論派で有名なS2尉、現場はホットということだからうまくスワップしてくれることだろう。急ぎ足でP-3Cに向かうH 1尉の姿が機内に吸い込まれるのを見届ける。呼集を開始して1時間少々で離陸できそうだ。マーク保持者を寄せ集めて飛行前準備を実施させたFDOの判断も素晴らしかったが、クルーが集まるのも早かった。これは褒めてやってもいい。

 H 1尉の離陸を2階のタラップから見送った。隊長は書類の整理等が忙しくても必ずタラップから見送るようにしている.この日は南の空に点になるまでそうした。

 程なくしてA 3佐機が帰ってきた。機内点検は異常なし。外部も見える範囲では大丈夫とのことだが、徹底的に調べる必要がある。よくあるのが外板に黒い痕跡が残ることだが、今回はラダーとエレベーターにかなり激しく残っていた。P-3Cの艶のある塗装にあばたのような瘢痕は似つかわしくない。これは結構強い雷だったようだ。

 その時、機体前部を点検していたFE(機上整備員)が驚いた口調で報告した。「レドーム(注)がやられています」A 3佐ともども駆け寄って見ると、一目ではわからなかったが、レドーム下部が裂けている。リブ(レドーム頂部は滑らかだが、機体との接合部付近には前後にリブ状の補強部分がある)に沿って見事に切り裂かれていた。よく見るとその先の機体の接するあたりが黒く焦げていた。雷がどのように落ちるか、正確な説明を聞いたことはないが、どうやら機体前部から入って後部に抜けたらしい。落ちたところは多分ノーズだから、その衝撃でレドームがやられたのだろう。幸いこの他に被害はない。だがレドームがこんなになってしまったのは初めてだ。どのように処置すべきかちょっと考えた。P2Vの頃からを含めても珍しいことだ。危険報告電報を打とう。

(注)レドーム:レーダー・ドームの略。機上装備のレーダーを風雨等から防護するためのドーム状のカバー

 H 1尉機が無事オンステーションした。期待通りホットスワップだった。対潜戦のポイントは如何に探知するかだが、次いで大切なのはこれを絶やさないことつまり追尾を続けることである。前直のM 1尉機はTACCO機長である。A 3佐機との交替ができなかったため随分長い追尾になったが、素晴らしかったのは一度もこれを絶やさなかったことである。パイロット、TACCO、センサーマン全てが一丸にならないとなかなかできることではない。H 1尉機にもそれを期待しよう。ASWOCからの情報では安定した追尾が続いているようである。少しばかり気持ちが楽になった。そこへ安全幕僚が顔を出した。彼は雷にやられたA 3佐機の被害の状況を細かく調べた上で電報の起案に取り組んでいる。A 3佐と主要なクルーを呼んで協力する。電報は全軍放送だ。迅速に発信することはもちろん、正確かつ役に立つものでなければならない。見直すといろいろ出てくるもので、納得できるものにするには結構な時間が必要だった。特に悩んだのが再発防止のための方策についてである。100パーセント落雷を避ける手立てはないが、教訓という意味では何かあるはずだ。NAVがいいことを言った。「落雷の10分ぐらい前からRadioに雑音が入りました。これが予兆と言えるかもしれません」P-3Cが導入されこれまでにない高高度を飛行するようになってから初めての落雷である。雷が近くにあると雑音が入ることは誰でも知っているが、10分前というとずいぶんな距離で、常識を超えている。そうか、これは書いておこう。雷から遠いと考えられても、少しでも雑音があったらその空域を避けることである。

 そろそろM 1尉機が帰ってくる。飛行時間は11時間を超えている。オンステーション中はロイターシャットダウン(4発のエンジンのうち1~2発を停止すること)して燃料を節約したはずなのでその点心配はないが、早朝というより深夜からの飛行作業だったからクルーの疲労は察するに余りある。隊長は出発機を見送ったと同じようにタラップに出てまもなく着陸するM 1尉機を待った。

 夕方5時といえば、人々は一日の仕事を終えて帰宅の途につく。6月のこの時期、まだ太陽は高いが基地内にもそんな気配が感じられる。第6航空隊の前にある道路にも車の列ができていた。だが、航空隊の駐車場に止めてある車には動く気配が全くない。もう3日ほどそんな状況が続いている。開隊以来むしろこの方が当たり前になっていた。

ソ連潜水艦を追尾

 GCA(地上誘導着陸施設)ダウンウインドに入ったという知らせを受けてから5分、北の空にM 1尉機が姿を現した。パイロットも疲れているだろうがもう一つ重要な仕事を片付けなければならない。順調に近づいてくる。いいぞ、急速に機体が大きくなり、着地した。リバースに移行する。成果が大きければ疲れなどなんでもない。いつもと変わらない安定したいい着陸だった。ランプインした機体からクルーが降りてきた。飛行隊に向かって来るのは機長とパイロットだが、群司令部の方向に向かって行くのはNAV(航法通信士)そしてSSl/2・3( 音響・非音響センサーマン)である。足並みが軽やかなのはいい追尾ができたからだろう。M 1尉は帰投報告もそこそこに新型のソ連潜水艦をここまで追尾できたことに興奮を隠し切れない様子でオンステーション中の出来事を話した。確かに凄いことであった。前年の海演で見事な成果を挙げたと言っても味方の潜水艦である。初探知賞など随分頂いたが、本物を相手に、探知はおろか追尾など全てが驚くほどうまくいったという事実は、賞を頂く喜びのレベルを遥かに超えていた。機関銃のようなM 1尉の話を聞くにつれ、ついこの間まで抱いていた無力感が嘘のように失せて、これならやれるという自信に変わっていくのが実感できた。

 これはP-3Cの最大の得意技ダイファーの威力が大きい。探知と同時に音源つまり潜水艦の方向が分かる。最低2本のダイファーに探知があればフィックスを得ることができる。もちろんセンサーや解析機器の能力も改善されているから探知距離も延びて余裕のある追尾が可能になったことも大いに貢献している。相手はほとんど変針しなかったようだが、それでも数回あった小変針の際はその兆しをつかんだら間髪をいれずソノブイを追加して恐ろしい失探をなんなくクリアーした。

 デブリーフィングがやけに長かったがASWOC勤務員が皆集まってきて、興奮しながら何度もミッションリプレイを繰り返すものだからこんなに時間が掛かってしまったということであった。今朝というより昨日の夜から飛行作業に掛かっているというのにクルーはあちこちで目を輝かして話をしている。全員がブリーフィングルームに揃った時にはもう日は落ちて暗くなっていた。隊長は明日早朝からフライトだ。今度は北海道ではなくこの新鋭潜水艦に会うことができる。そろそろ対馬海峡にさしかかるから難しい追尾になるが、それも含めて胸がわくわくする。オンステーション中のH 1尉機は順調のようだ。次のクルーもすでに準備にかかっていて問題はなさそうだ。隊長機はその次直ということになる。そろそろ休まなくてはならない。そういえば熟睡した矢先に電話で起こされたのだった。頭がボーッとする。フライト前にそれではいけない。帰宅して床に就くや、瞬時に眠ってしまった。一杯のビールがこれほど効くのも珍しい。

 目覚ましに起こされた。熟睡したから夢を見るはずはないが、ソ連潜水艦のこと、コクピットのこと、フライトディスプレイに浮かび上がったシンボルマーク等が頭の中に鮮明に残っている。人間は思いが強くなると夢でなくてもそれをイメージとして頭に焼き付けるのだろう。最近こういうことがよくある。

 暗い中の出勤だ。気持ちは早、東シナ海を北上中の潜水艦に向いている。厚木基地の正門を抜けロータリーを回る。ゴルフ場付近は薄暗いが、4空群司令部の建物はこうこうと灯がついて昼間のようだ。先ほど帰投したはずのH 1尉クルーのデブリーフィングの最中かもしれない。第6航空隊の周辺も他に比べると一段と明るくてやはり昼間のようだ。飛行作業の始まりは離陸時刻の3時間前ということになっているが、もうソノブイの積み込みなど準備にかかっているのだろう。駐車場も何故か車で一杯だった。あれ、飛んでいる隊員の他にはいないはずだが、ちょっと気掛かりだ。列線や飛行隊事務室が明るいのは当たり前だとしても、一つも消灯しているところがない。.隊長は、当直士官に声をかける間もなく階段を上がった。飛行隊事務室はさすがにガランとしていたが、隊長クルーのNAVやセンサーマンがいて書類などの準備に余念がない。その時である。廊下を挟んだ反対側のブリーフィングルームから、ハッキリとした声が聞こえた。低いが張りのあるM 1尉の声である。まさかと思ったが、隊長が声の主を間違えるはずはない。続いてNAVのU 3尉の声が耳に入った。昨日彼らを残して帰宅したのが9時を回った頃であったから通常なら居るはずはないのだが何をやっているのだろうと思いつつブリーフィングルームの扉を開けた。

暁のブリーフィング

 「あっ隊長!」とやっぱりM 1尉であった。黒板は隙間のないほど真っ白、プロジェクターまで持ち出して昨日の成果の整理をやっていたのである。彼らの勤務は不眠不休のまま24時間をとっくに超えている。隊長はつぶやいた。「ばかな奴等だ。隊長機がしんがりになるだろうから、この後出撃することはないが、この忙しい時に体を壊したらどうするんだ」といいながら、指揮官として誇らしい気分になったことは否めない。いい部下を持ったものである。

 「暁のブリーフィング」、この時のことを指して、そう呼ぶようになった。第6航空隊、否、P-3C部隊の伝統はこうして築かれて行く。

 オホーツク海の監視と東シナ海のソ連新鋭潜水艦に対する追尾、少ない人員でこなしたこのオペレーションでは多くのことを学んだ。とりわけ、手探りの部分の残っていたP-3Cの運用という目標について、大きく前進する手掛かりを与えてくれたことはむしろ感謝したいくらいである。この月、大半の搭乗員の飛行時間が100時間を超えた。

 定刻の0630、隊長機は離陸を開始した。135,000ポンド、最大離陸重量の機体はゆっくりと力強く加速してゆく。リフューザル! ローテーション! 地上を離れ上昇に移る。天候もいい、目指すのはソ連新鋭潜水艦である。水深が十分でないからもしかしたら逃がすかもしれないという不安を抱えながら、そして帰ってきたら再び「暁のブリーフィング」になることを予感しながら、隊長は操縦桿を強く握り締めた。(了)

(「うみどり会会誌第25号(平成16年12月)」から転載)