「犬と軍神」―12月8日、二つの慰霊祭

NPO法人救助犬訓練士協会(RDTA)国内渉外担当・防災士 山田道雄

この数年、12月8日は私にとって特別な日になりつつある。昭和16年12月8日は大東亜戦争開戦の日。
開戦劈頭の真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇搭乗員たちの慰霊祭が毎年行われ、5年前から参加している。

かつてその訓練基地だった三机という瀬戸内海の辺鄙な港町にある「大東亜戦争九軍神慰霊碑」の前で、特別攻撃隊員として戦死した青年と同じ年代の地元青年団の若者たちが、彼らの命日の夜、その仕事が終わってから慰霊追悼式を執り行う。
同じ日に、2年前からもう一つの慰霊行事に参加している。
三机と瀬戸内海をはさんで対岸にある港町、吉浦にある海上自衛隊の燃料貯油所で行われる警備犬の追悼式である。

海上自衛隊の警備犬というのは燃料庫や弾薬庫を警備する犬で、犬種は全てジャーマンシェパード犬。
呉地区では吉浦の貯油所が警備犬の育成訓練所になっており、その一角に立派な警備犬慰霊碑が建っている。
式典はこの碑前で宗教色を排し、簡素ながらも執銃の隊員警護の下に厳粛に行われる。
碑の下には私の愛犬だった安芸号も眠っている。

今から9年前の寒い日、安芸はこの吉浦の犬舎で生まれた。しかし、警備犬の予算定数オーバー等の事情から紆余曲折を経て、生後二ヶ月の安芸は私の退官とともに里親として引き取られることになる。
その後安芸号は順調に成長、その我儘ながら好奇心旺盛な性格を生かして3歳から災害救助犬の訓練を受けることになり、5歳の時私がハンドラーとして国際救助犬試験に合格、遠くオーストリアの世界選手権に出場するまでになった。
さらに、翌年は神奈川県警の嘱託災害救助犬に委嘱され、平成20年岩手・宮城内陸地震に自主出動、初めて実際の災害現場で捜索活動を体験。

しかし、それから一年もしないうちに急逝し、7年間の短い一生を終えた。
夕食後突然嘔吐し苦しみ始めたので動物病院に搬送したものの、一晩中出血と下血を繰り返し明け方私の腕の中で息を引き取った。
死因はショック性の循環不全という訳の分からない病名だが、その前々年の夏、胃捻転を患い延べ5時間に及ぶ全身麻酔の大手術から生還した強運犬にしてはあっけない最期だった。
実際の災害出動や欧州、韓国での救助犬試験への遠征等太く短くも華やかな一生であった。
それだけに、第二の人生の良きパートナーを突然失った私の喪失感は想像以上のものだった。

安芸の縁で私の所属するNPO法人と吉浦の貯油所との交流が続いていたが、死後まもなくして部隊の創立記念日の12月8日に行われる警備犬慰霊祭に参加することになる。その際、家内には反対されたが、それまで手元に置いていた安芸の遺骨を生まれ故郷に還してやることにした。

当時の軍部とマスコミが真珠湾攻撃で戦死した日本海軍の特殊潜航艇の搭乗員9名を、死を恐れず勇敢に戦った対米英戦争最初の戦死者として、「真珠湾九軍神」の称号をもって英雄的に祭り上げ全将兵の模範とした。
また、この攻撃隊を日露戦争時の軍神広瀬中佐の旅順閉塞隊に因んで「特別攻撃隊」と呼称、後の航空機等によるいわゆる「特攻隊」のルーツとなる。これらの隊員たちの殆どは、自ら志願した二十代の青年たちである。
敗戦後二十余年を経た日本の高度成長のさ中、搭乗員たちと交流のあった三机の人たちが中心となって浄財を募り、湾内の公園に立派な慰霊碑を建立した。その後地元の人たちの志は三机青年団の若者に引き継がれ、毎年12月8日の夜慰霊祭が行われている。

69回忌に当る今回の慰霊祭も、北西の寒風が吹きわたり、青年団スタッフの焚く9個の迎え火が幻想的な雰囲気を醸し出す中、粛々と執り行われた。数十名の参列者の殆どは地元の人々で、かなり年配の老人から小学生まで大変幅広い。この行事がこの町の文化として自然に溶け込んでいる感じだ。
青年団の若者は、家庭や学校で国難に対処し先陣を切って突入した若者たちの話を聞いて育ち、その霊を慰めていくのが代々自分たちの当然の務めと思っている、茶髪やピアスを付けた普通の若者たち。

元来軍神とは戦勝や武運長久を祈願し、聞き届けてくれるといわれる神を指す。
近代日本において軍神と称された軍人としては、陸軍の乃木希典大将、海軍の東郷平八郎元帥が著名である。
当初は公式のものではなく、主にマスコミが尊称として用いていたが、昭和になって軍が公式に指定するようになり、軍神に指定された軍人の生家には「軍神の家」という表札が掲げられるようになる。

この軍神の家には学校の生徒、婦人会、青年団が連日列を成して詣でた。それが終戦とともに一転してあたかも戦争に加担した罪人のような扱いを受け、遺族は肩身の狭い思いをしたという。
戦後軍神達の死は、極端な言い方をすれば「犬死に」扱いされたわけである。
安芸が若くして急逝した時も、死因は過酷な訓練のせいだと飼主兼訓練指導手の私は家内始め周囲から極悪非道者扱いにされた。

12月に入って直ぐ、今回の警備犬追悼式は吉浦の業務の都合により1週間前倒しで実施された。
警備犬霊名簿奉安、黙祷の後、この1年で死亡した2頭の警備犬の遺影と遺品の首輪が担当ハンドラーにより奉安される。
うち1頭は安芸の母親メッシュ号である。

碑の裏側に貼られた安芸の銘板が両側を兄弟の松之助号と母親に挟まれ仲良く並んでいた。名前も分らない警備犬も含めて50頭以上が合祀されている中で、警備犬の子として生を受け災害救助犬の任務を全うした安芸号はきわめて異色であるが、生まれ故郷で家族や仲間とともに安らかに眠っていることだろう。
現役時代「統率」について未熟だった私は、第二の人生で図らずもその補習をさせられる羽目になったが、犬には「義」や「使命感」といったものはない。
もちろん「利」や「出世」もない。ただ飼主や指導手(ハンドラー)に褒めてもらいたい一心で、与えられた任務を忠実かつ嬉々として遂行するだけ。

これまで真珠湾攻撃直後には海軍部内で、また戦後は乗艇が発見引き揚げられる度に九軍神の「戦果」論争が起こっている。
しかし、そんなことは些末な議論であり、彼らの最大の「戦果」は国難に処しての若者の生き様が連綿と70年間も伝え継がれているという事実である。
その意味で彼らの死は決して「犬死に」ではない。僭越だが私の安芸の死もそうだと確信している。毎年この時期には、いろんなことを考えさせてくれる。
今年も又、12月には西に旅立つことになるだろう。(完)