深海からの救出:潜水艦救難の話

平成12年8月、バレンツ海で訓練中のロシアの原子力潜水艦「クルスク」が沈没するという事故がありました。
ご記憶の方もあると思います。この時、ロシアだけでなく外国からも潜水艦救難艇の派遣申し入れがあるなど、様々な努力がなされましたが残念ながら乗組員全員の命が失われました。

 昭和38年に沈没したアメリカの原子力潜水艦「スレッシャー」のように潜水艦が水圧によって押しつぶされてしまうような深さより浅い海域で事故が発生し、潜水艦が沈没した場合、乗員は艦内で生存している可能性があります。
「クルスク」の場合もそうでした。
この乗員をいかに救助するかが、潜水艦救難ということになります。

 明治43年4月に日本の国産潜水艦の第1号である第6潜水艇が岩国沖におけるガソリン潜航訓練中に沈没、潜水艇は翌日(翌々日との説もあります)に引き上げられましたが、艇長佐久間勤大尉以下14名が殉職しました。
大正13年、演習に参加していた第43潜水艦は佐世保沖で沈没、7時間後に救助隊と通信設定ができた後13時間にわたって通信が維持されたにもかかわらず、海上模様等のため救助活動が進展せず乗組員全員が殉職しました。

 このように、世界の海軍を通じ沈没した潜水艦から生存する乗組員を救助する方法は潜水艦そのものをサルベージするしかありませんでした。

 このような状況に革命的な変化をもたらしたのが潜水艦救難用チャンバー(Submarine Rescue Chamber:以後、チャンバーと言います)でした。
大正14年にアメリカ発生した事故でS―51という潜水艦が沈没、艦内に生存者がいるにもかかわらず救助することができず、結局33名の乗員が亡くなりました。その2年後、R-4という潜水艦で40名の乗員が窒息死するに及んでチャンバーの開発が開始されます。
中心的役割を果たしたのがスェード・モンセン大尉(当時)でした。彼の開発したチャンバーは、昭和14年に発生した「SQUALUS」の事故においてその実力を発揮します。71メートルの水深から23名の乗員が救出されたのです(チャンバーの開発、「SQUALUS」の救難については『海底からの生還』に紹介されています。)

 海上自衛隊が使用してきたチャンバーの構造は図1に示しましたように丁度お寺にある釣り鐘のような形をしており、これを母船から沈没した潜水艦の脱出用のハッチの真上に降ろし、乗員を収容しようとするものです。

図1 レスキュー・チャンバーの構造概要 (海上自衛隊提供)

 このため、第1段階として沈没した潜水艦はその位置を救出部隊に知らせるためのメッセンジャー・ブイというものを放出しますが、ブイは救難ワイヤーと呼ばれるワイヤー・ケーブルを引っ張りながら水面に上昇します。
この救難ワイヤーは潜水艦に2個所ある脱出用を兼ねたハッチの中心を通って出て行きます。

 現場に到着したチャンバーを搭載した潜水艦救難艦は図2に示したように潜水艦の真上に位置を固定するよう潜水艦の周囲4個所に錨をおろします。そして、揚収したブイからワイヤー・ケーブルを外し、チャンバーのドラムに接続します。
このワイヤー・ケーブルをドラムに巻いていけばチャンバーは脱出用ハッチの真上に到達することができます。

 潜水艦の甲板に到達したチャンバーは乗員の通路となる空間(図1では「救難ワイヤー」の矢印が示している部分)の海水を排水することによってチャンバーを潜水艦甲板に密着させチャンバー側、潜水艦側のハッチを開き、乗員を収容します。
海上自衛隊では昭和36年にはチャンバーを搭載した潜水艦救難艦「ちはや」を就役させ、呉に配備されました。さらに昭和45年には「ふしみ」が就役し、横須賀に配備され、常に潜水艦の救難体制を維持することができるようになりました。

潜水艦救難艦「ちはや(初代)」(海上自衛隊提供)

 このチャンバーによる救助にはいくつかの問題点、限界がありました。
その第一は救助した潜水艦乗員が一度大気圧にさらされるということです。通常の潜水艦内の圧力は略大気圧ですが、沈没した潜水艦の艦内では圧力が上昇している可能性があります。
そのような環境にあった乗員が適切な減圧を行わないで大気圧にさらされるといわゆる潜水病にかかる虞があります。

 チャンバーを搭載していた海上自衛隊の救難艦「ちはや(初代)」、「ふしみ」には再圧タンクが装備されていましたので、乗員を直ちに再圧タンクに収容し、処置することは可能でしたが、潜水病の危険を避けることはできませんでした。
このため、救出できる水深は制限を受けることになります。

 第二は、潜水艦艦内気圧が大気圧と同じであっても潜水艦からの救難ケーブルの長さによってチャンバーで救出できる水深は制限されます。

 第三に、チャンバーは救難ケーブルや救難艦側からのケーブルによって制御されているとはいえ、環境の影響を大きく受けます。強い海流があったり、潜水艦が傾いていたりすると使用できなくなります。
これらの問題を改善したのがDSRV(Deep Submergence Rescue Vehicle)と呼ばれる深海救難艇です。
DSRVの出現のきっかけとなったのはアメリカの原子力潜水艦「Thresher」の沈没事故でした。
同艦が沈没したのは水深2560メートルのニューイングランド沖でした。
この事故をきっかけにアメリカ海軍では深海潜水システム検討委員会が設置され、潜水艦救難深海潜水システムの開発が始められました。その結果、

図2 レスキュー・チャンバーによる潜水艦救難のイメージ図(海上自衛隊提供)

昭和46年にDSRV-1が就役し、潜水艦救難の新しい幕が開かれました。 海上自衛隊におけるDSRVへの取組は昭和50年に救難実験艇「ちひろ」が技術研究本部に納入されたときに始まったと言って良いと思います。
昭和60年にDSRVを搭載した潜水艦救難母艦「ちよだ」が就役し、横須賀に配備されました。さらに、平成12年には2代目の潜水艦救難艦「ちはや」が呉に配備されました。

潜水艦救難母艦「ちよだ」 (艦橋の後ろに白く見えるのがDSRVです。)(海上自衛隊提供)

「ちよだ」のセンターウェル上にセットされたDSRV(海上自衛隊提供)

DSRVの操縦室

DSRVの救難室(ともに海上自衛隊提供)

 海上自衛隊が装備するDSRVの構造は図3に示しますように水圧に対抗する球形の船体を3つつなぎ合わせ、その外側に動力源となる電池、推進器、スラスター、テレビカメラ、マニミュレータを装備し、これらを覆う船体と潜水艦に密着する(メイティングと言います)上で大切なスカート部などから構成されています。
DSRVの最大の長所はその名前が示すように、深海での救難にも対応できることにあります。

 どこまでを深海というかは問題がありますが、少なくとも潜水艦が水圧によって押しつぶされてしまう水深以上の深さまで安全に潜っていくことができると言えると思います。
アメリカの資料によればアメリカのDSRVは1,524メートルまで潜航することができると報じられています。
DSRVを搭載した潜水艦救難(母)艦が発見された沈没潜水艦の近くに進出すると、DSRVは台に乗せられ、救難(母)艦の船体中央にある開口部(センター・ウェル)から直接海中に降ろされます。

図3 DSRVの主要要目と構造の概要(海上自衛隊提供)

台から発進したDSRVは下降していき、事前に設置された発信器などを目印に潜水艦に近づきます。
潜水艦を確認したDSRVは必要であればマニミュレータ―を使用して障害物を除去し、予定の脱出用ハッチの上にメイティングします。メイティングが完了し、スカート内の海水を排除すると、潜水艦及びDSRVのハッチを開いて潜水艦乗員を収容します。

乗員を収容したDSRVは上昇し、救難(母)艦が降ろしている台の上に進入し、台とともに救難(母)艦に収容されます。潜水艦の艦内圧が上がっていた場合にはDSRVを救難(母)艦に装備されている再圧タンクに直接メイティングし、救出された潜水艦乗員が大気圧にさらされることなく、減圧の処置を行うことができます。
これもDSRVによる救難の大きなメリットの一つです。
DSRVによる潜水艦救難の流れのイメージは図4のようになります。

図4 DSRVによる潜水艦救難作業の流れ(海上自衛隊提供)

 潜水艦乗員を救出する方法はこれまで述べてきた潜水艦救難システムと呼ばれるチャンバーやDSRVによる方法だけではありません。
個人脱出と言って潜水艦救難システムによる救出を待つ余裕がないような状況では潜水艦の艦長の判断で潜水艦から乗員を脱出させます。

 個人脱出の歴史は比較的古く、昭和3年には先に紹介したアメリカ海軍のモンセン大尉が「モンセンの肺」と呼ばれる個人脱出用の装具を開発、実用化に成功しました。
イギリス海軍では昭和6年にデイビス水中脱出装具と呼ばれる装具を使用して潜水艦「Poseidon」から脱出に成功しています。
日本海軍の潜水艦においても2名用の艦外脱出区画が前後部に2個所設置され、簡便な脱出用アクアラングが装備されていました.しかし、日本海軍では使用された実績はありませんでした。

 個人脱出には自由上昇法と装具を使用したが方法とがあります。自由上昇法とは人間が持つ浮力に委ねて潜水艦から水面まで上昇していく方法です。この際、上昇するに従い水圧が下がってきますので、その分、肺は膨張し、息を止めていると最後には肺が破裂することになってしまいます。これを防止するため、口をとがらせ、ストローから息を吐く感じで途切れることなく息を吐き続け、かつ自分が吐いた息によってできる泡よりも早く上昇することがないよう注意しなければなりません。
装具を使用した方法として、海上自衛隊では長くアメリカで開発されたスタンキーフードを使用した方法を採用してきました。また、自由上昇法との中間に位置するものとして、救命胴衣だけを装着して脱出する浮力上昇法もあります。
スタンキーフードは下の写真のように膨張式の救命胴衣の上にチャックと防水テープでフードが取り付けられており、フードの中には逃気弁と呼ばれる弁が2個付いています。

スタンキー・フード装着の状況(海上自衛隊提供)

スタンキーフードを用いる方法では、潜水艦から脱出する時はフードをかぶり、救命胴衣を膨らませます。
上昇を始めると水圧の変化で救命胴衣の中の空気は膨張しようとしますが、逃気弁があるのでそこから空気はフード内に逃げていきます。言い換えれば、フード内にその水深水深にほぼ対応した圧力の空気が供給され、脱出する潜水艦乗員は呼吸を続けながら上昇することが可能になります。

もち論、呼吸を続けながらといってもかなりのスピードで上昇するため、特別な呼吸法が必要になります。
ただ、スタンキーフードによる脱出の欠点の一つは低水温による障害を避けることができないことです。写真を見てもわかるように乗員の身体そのものは直接海水に触れますので、海水温度が低い状況では水面に到達しても生存の可能性は限られたものとなります。

 第二の問題として、大きな水圧のかかった海底にある潜水艦から脱出するためにはそのハッチを開く必要があります。
このため、脱出に使用する区画の気圧を沈没している水深の水圧まで加圧しますが、その際、窒素酔い等を起こすことが避けられなくなります。

これらの問題を克服するため、「そうりゅう」型潜水艦からMkⅩ(マークテンと呼んでいます)という全身型の装具を導入しました。これにより脱出できる水深もより深くなり、より迅速に脱出することを可能にしただけでなく、装具自体が個人用浮舟の役割も果たすことから水面到達後の乗員の安全性が大幅に高くなりました。また、窒素酔い等の問題も改善が期待されています。