海上自衛隊潜水艦の歴史

山内 敏秀(やまうち としひで)

1948年 兵庫県生まれ
1970年 防衛大学校卒業
海上自衛隊入隊
主として潜水艦部隊で勤務
1988年 潜水艦艦長
1992年 海上自衛隊幹部学校教官
1996年 青山学院大学国際政治経済学研究科修了
1999年 防衛大学校海上防衛学教室助教授
2000年 防衛大学校国防論教育室教授
2004年 海上自衛隊退職
2006年 横浜商科大学講師(非常勤)
2009年 チャンネルNippon事務局

 動画コーナーの潜水艦「うんりゅう」の紹介を見ていただいたでしょうか。
 「うんりゅう」は国産潜水艦で見ると8番目のタイプになる海上自衛隊の新しい世代の潜水艦、「そうりゅう」型潜水艦の2番艦になります。そこで、今回は海上自衛隊の潜水艦の歴史をたどってみたいと思います。
 草創期の海上自衛隊において最も重要視された作戦能力の一つが対潜水艦作戦でした。その大きな理由が大東亜戦争の反省に基づくものでした。
 大東亜戦争の全期間を通じ、日本は約810万トンの商船を失うこととなりましたが、そのうちの約60パーセントに当たる490万トンの喪失が潜水艦の攻撃によるものでした。さらに航空母艦9隻、戦艦1隻、重巡洋艦4隻など失われた海軍艦艇全体の約30パーセントが潜水艦の攻撃によるもので、これらの戦果は米海軍のわずか1.8パーセントを占める潜水艦部隊によって挙げられたものでした。商船隊の喪失は、資源が日本へ入ってこなくなることを意味し、米国のM・プリロが書いた『第2次大戦中の日本の商船隊』によれば昭和20年には石油の92パーセント、鉄鉱石の95パーセントが日本に着くことはありませんでした。さらに、食料にも深刻な影響を及ぼし、農業に従事していない国民が必要とする最低限のカロリーを12パーセントも下回る食糧事情となっていました。
 海上自衛隊が重視した対潜水艦作戦能力を向上させるためには訓練において目標となる潜水艦が必要でした。しかし、草創期の海上自衛隊は潜水艦を保有していなかったため、米海軍の協力を期待するしかありませんでした。このため、昭和29年の初め頃から訓練目標となる潜水艦の国内建造が構想され、昭和31年度予算において1,000トン型潜水艦の建造が承認されました。この国産潜水艦は昭和32年に川崎重工業神戸造船所において起工、34年5月の進水式において「おやしお」と命名され、翌35年6月に就役しました。

国産潜水艦第1号「おやしお」(初代)
(海上自衛隊提供)

 しかし、海上自衛隊の潜水艦部隊の始まりは、この国産潜水艦の就役よりもう少し遡ることになります。訓練目標として潜水艦を必要とした海上自衛隊は昭和29年に成立した日米艦艇貸与協定に基づき、米海軍の潜水艦USS Mingoが貸与されることになり、翌30年に受領、USS Mingoは「くろしお」と命名され、海上自衛隊の隊員によって自衛艦旗が掲揚されました。最初のいわゆる母港は横須賀で、横須賀地方隊に編入され、自衛艦隊の新設に伴い、自衛艦隊の指揮下に移りました。

潜水艦「くろしお」(初代)に初めて翻る自衛艦旗
(海上自衛隊提供)

 これに先立ち、潜水艦の乗組員を養成するため、横須賀市田浦にある術科学校教育部に潜水艦科が設立され、潜水艦要員の教育が開始されていました。
 昭和34年、呉地方隊の指揮下に潜水艦基地隊が新しく編成されると、その指揮下に潜水艦教育部が設けられ、術科学校にあった潜水艦科が担当していた潜水艦要員の教育はこの潜水艦教育部に引き継がれました。その後、潜水艦教育部は潜水艦教育隊として独立し、「潜水艦術科の殿堂、潜水艦乗りのふるさと」と呼ばれるようになります。
 呉に潜水艦基地隊が編成されたことを受け、「くろしお」も自衛艦隊の指揮下のまま呉に転籍、すなわち母港を呉に変えることになりました。
 先にも述べたように国産潜水艦の第1号である「おやしお」が昭和35年に就役し、翌36年には潜水艦救難艦「ちはや」が就役、

海上自衛隊最初の潜水艦救難艦「ちはや」(初代)
(海上自衛隊提供)

さらに750トン型潜水艦「はやしお」が37年に就役し、潜水艦部隊も逐次その勢力が大きくなってくると、潜水艦の管理、運用及び教育訓練を一元的に行うことが必要となり、第1潜水隊が昭和37年に新編され、翌38年に自衛艦隊に編入されました。さらに「はやしお」の2番艦以降である「わかしお」、「なつしお」、「ふゆしお」の就役、水上艦も編入されてきたことから、潜水隊司令の業務が増大したこと、潜水艦の運用には作戦と支援の両機能を備えた一つの部隊が必要であること等の理由から第1潜水隊群が陸上司令部として昭和40年2月1日に新編されました。その翌年、潜水艦部隊の草創期を担った「くろしお」は支援船に艦種が変更になり、昭和45年にはすべての役割を終えて、米国へ返還されました。
 少し話は遡りますが、昭和37年からの第2次防衛力整備計画では侵攻してくる敵の威力圏下においても作戦行動が可能で、多用途性に優れている1600トン型潜水艦の建造が決定され、「おおしお」及びその改良型である「あさしお」型潜水艦が潜水艦部隊の戦列に加わってきた。さらに、第3次防衛力整備計画では、対潜攻撃を主たる目的とし、対上陸作戦における要撃等にも転用できるよう、水中性能を重視した「うずしお」型潜水艦の整備が決定されました。

潜水艦「うずしお」(海上自衛隊提供)

 この「うずしお」型潜水艦は時代を画期する潜水艦で「涙滴型」と呼ばれる船型を採用しています。これにより水中での運動性能が大幅に向上し、また艦首には大きなソナードームが装備されました。これに伴い、ソナーによって目標の音を聞くことを邪魔しないようにこれまでは艦首部にあった潜水艦の深さをコントロールする潜舵と呼ばれる舵はセイルへ、発射管は船体中央付近に装備されることになりました。「うずしお」型潜水艦は、潜航持続力の向上、新装備搭載等により能力を向上させた2,200トン型の「ゆうしお」型潜水艦、さらに2,400トン型の「はるしお」型潜水艦へと発展していきます。
 海上自衛隊の潜水艦の新しい時代の幕を開けたのは「はるしお」型潜水艦に続く「おやしお」型潜水艦と言って良いのではないでしょうか。

「おやしお」型潜水艦(海上自衛隊提供)

 ソナー・システムの能力向上のため従来の艦首部に装備していたソナー及び曳航式ソナー・システム(S-TASSと呼ばれています)に加え、船体側面にフランク・アレ-・ソナーを装備するため船体の一部を単殻式にしており、またソナー・ドームをラバードームにすることなどによって発射管の雑音がソナーの及ぼす影響を局限できるようになったことから発射管は艦首部上部に、ソナーはその下部に装備されるようになりました。また、上部構造物の形状の変化、無反響タイルの装備等によってステルス性能も向上しました。この結果、外観はこれまでの涙滴型とは異なるものとなり、「葉巻型」と呼ばれるようになりました。
 この「おやしお」型から発展したのが「そうりゅう」型潜水艦です。
「そうりゅう」型潜水艦の特徴の第一に挙げられるのは、命名の基準が新しくなったことです。これまでは海の事象、特に潮に関係する名前が付けられてきました。しかし、「そうりゅう」型からはその名前が示すように想像上の動物も命名の基準として取り上げられるようになりました。第二は、水中での行動力を向上させるためAIPシステムが採用されたことです。AIPはAir Independent Propulsionの頭文字をとった略語で、ディーゼルエンジンのように動力を得るために空気に依存することがないため、ディーゼル電気推進の潜水艦にとって不可欠のスノーケルを局限することできます。スノーケルの機会が減ることは潜水艦が敵から発見される機会を減らすことを意味します。AIPとしてドイツが採用している燃料電池、スエーデンが採用しているスターリング・エンジンが主流となりつつありますが、日本では独自のスターリング・エンジンを開発し、

「そうりゅう」型潜水艦(海上自衛隊提供)

 平成13年から「あさしお」で試験を重ねてきました。第三の特徴は艦尾に装備されている縦舵と横舵の位置が変えられたことです。従来の潜水艦では、縦舵と横舵は船体に対して十文字の形に装備されていましたが、水中運動の安定性、安全性を向上させるため45度回転させ、丁度アルファベットの「X」と見えるような形に変更されました。これら以外にもソナー・システム、戦闘指揮システムなども大きく向上しています。
 海上自衛隊の潜水艦の軌跡を図示してみると下図のようになります。

海上自衛隊の潜水艦の変遷(海上自衛隊提供)

 最後に、潜水艦部隊の編成について触れておきたいと思います。
 昭和40年に第1潜水隊群が編成されたことまで、お話ししました。その後、潜水艦部隊の整備が進展していく中、その指揮、管理機能を強化する必要があると認識され、第3次防衛力整備計画中の昭和45年及び46年に潜水艦隊の新編計画が提案されました。しかし、防衛庁において、「艦隊」という呼称に対し、その実際の勢力が小さすぎる等の理由から時期尚早と判断され、潜水艦隊の編成は見送られ、替わりの案として自衛艦隊の指揮下に第1潜水隊群と並列に第2潜水隊群が新編されることとなり、同隊群は、昭和48年10月に新編、自衛艦隊に編入された。潜水艦隊の新編は、結局、昭和54年度予算において認められ、防衛2法成立の関係から実際に編成されたのは昭和55年であり、初代司令官に安部祐三海将が着任しました。その後、いくつかの変遷を経て、現在、潜水艦隊の指揮下には呉に司令部を置く第1潜水隊群、横須賀に司令部を置く第2潜水隊群、第1練習潜水隊(呉)、潜水艦教育訓練隊(呉)、横須賀潜水艦教育訓練分遣隊(横須賀)の各部隊があります。第1潜水隊群には司令部の他に直轄艦として潜水艦救難艦「ちはや」、第1、第3、第5潜水隊と潜水艦の後方支援を行う呉潜水艦基地隊があります。第2潜水隊群も似た編成で、司令部の他、直轄艦として潜水艦救難母艦「ちよだ」、第2、第4潜水隊と横須賀潜水艦基地隊がその指揮下にあります。各潜水隊には3~4隻の潜水艦が所属しています。
 次回は、潜水艦救難についてお話ししてみようと思います。