元第7艦隊司令官 Bird中将退官に伴う米国訪問記

元自衛艦隊司令官  泉 徹

(日米ネービー友好協会会報第43号(平成25年1月1日)より転載)

 2012年の5月、米国駐在武官の池内1佐からBird中将の退官が夏らしいという事を聞いた。2009年の自衛艦隊司令官時代、北朝鮮のテポドン発射に対して我が国の本土防空いわゆるBMDに大いに貢献し公私共にお世話になった司令官だけに、是非とも退官記念行事には参加しなければと考えていた。その後、8月2日に彼の退官記念行事が行われることを知り、家内共々行事に参加することにした。一番の目的は勿論、退官記念行事に参加することであるが、前第7艦隊司令官で現在、人事部長(N-1)であるVan Buskirk中将やCNOのGreenert 大将にお会いできるだけに、「ともだち作戦」のお礼と日米の更なるインターオペラビリティ向上を申し上げたいと思った。  以下はそういう思いを描きながらの家内との弥次喜多道中記である。
(1)7月31日(火)
 1205成田発にて渡米、現地時間の同日1030ワシントン ダレス空港に着く。有難いことに空港には池内駐在武官と奥様に出迎えて頂き恐縮しつつ、そのまま着替える暇もなくBird中将を表敬した。リタイア前の忙しい彼の予定から池内武官が彼を表敬する時間を見つけてくれていた。  Bird中将は統合参謀本部との駆け引きや海軍作戦部の各部長を統括するN-0のポジションであるが8月2日にそのポジションを交代し国防総省付きとなり、正式には10月1日リタイアするという事であった。ペンタゴンの彼のオフィスを表敬したが、部屋には何もなく片付けられていた。話はもっぱら第7艦隊司令官時代の話となり、日本で楽しく勤務できたこと、海上自衛隊とのNAVY TO NAVYの繋がりを心強く思ったことを率直に話してくれた。Bird中将は杉本前海幕長ともCTF74時代及び自衛艦隊司令官時代に付き合いがあり、予め、杉本海幕長(当時)から預かってきた親書と海幕長の記念メダル(大)を渡した。大変懐かしがり、CTF74時代も含め充実した日本での勤務だったようである。  その後もオペレーションの話に終始した。特に、北朝鮮のテポドン発射の際には、お互いのホームランドディフェンスという事で緊密に連携できたことを誇らしく述べてくれた。我が国としても彼が米海軍の衛星データリンク活用の道を開いてくれなければ日本海と太平洋における目標移管は難しいものになったに相違なく、Bird中将の海軍内での努力に敬意と感謝を述べた次第である。又、東日本大震災のお礼も言ったが、それはBird中将の後の第7艦隊司令官 Van Buskirk中将の功績であると言っていた。しかし、池内駐在武官からは彼が如何にペンタゴンにて日本支援に奔走したかを話してくれた。これも日本での勤務や多くの日本人との繋がりがそうさせたものと感じた。その後、Bird中将から日本の原子力発電は必要と思うが現状はどうか等の質問があった。まじめな彼の気質が伺えるが彼が原子力潜水艦のリアクターを研究した経験からも被災した原子力発電について興味があったようである。


 その後何とかホテルにて着替え、海軍省N-1の配置にある前第7艦隊司令官 Van Buskirk中将を午後表敬訪問することが出来た。彼の勤務場所は元々ペンタゴン内ではなくペンタゴン西側の建物(Navy Annex)にあった。しかし、その建物の近くにあるアーリントン墓地が手狭になり墓地を拡充するため元々の建物を壊す必要から、別な建物に引っ越したばかりであるらしい。米国では、アフガン戦争等による戦死者の報道が毎日なされているようで、常に戦いの日々にあるアメリカの側面を窺い知ることになり、オスプレイの問題で揺れる日本との温度差を感じざるを得なかった。
 東日本大震災の時の米海軍の「ともだち」作戦についてお礼を申し上げたところ、これまでのつながりを考えれば当然のことをしたまでで、多くの兵士がそのように思っていると話してくれた。その後もオペレーションの話に終始したが1年間の勤務で第7艦隊司令官の職務を離れなければならなかったのは非常に残念で少なくとも2年は任務に就きたかったと言っていた。それにしてもVan Buskirk中将からは丁寧なもてなしを受けた。当方が現役時代に海賊対処部隊の1次隊を出しその激励も含め中東諸国を訪問した際、ジブチでお世話になったカータ中将(当時少将で、各国海賊対処部隊の指揮官(アフリカの角作戦指揮官))を予め招いて会うことが出来た。又、その時の第5艦隊司令官のゴートニー中将や昔からの友人のHarris 中将についても触れ元気にしていることを告げてくれた。 又、事務所が移転し別な建物になったことからか、わざわざ建物の前で出迎え、挨拶終了後も見送ってくれた。彼の配慮の深さと人柄の良さを感じた次第である。


 その後、今回、統合参謀本部勤務で旧知のHarry B Harris中将の表敬も準備していたが、残念ながら彼はクリントン国務長官に随行し不在であり会えなかったのは非常に残念であった。しかし、彼が居ない中、予定されていたとはいえ彼の自宅にてBird中将夫妻、Van Buskirk夫妻、池内夫妻及び当方夫妻を招いての歓迎夕食会を奥様のBruni夫人(元海軍大佐)が主催してくれ楽しい時間を過ごすことが出来た。 Harris中将とは、当方が海幕の副官時代に在日米海軍司令官(CNFJ)の副官をしており古くて懐かしい人物である。又、Harris中将は大佐の時TF72部隊の上瀬谷のVP-4に所属したこともあり、厚木で何回か会った。夕食会では、Harris中将の思い出話となり彼のくしゃみが聞こえてくるようであった。余談ながら、その後、お礼のメールと写真を送ったがHarris中将から丁寧なメールの返事があり、必ず次は会おうと言ってくれた。


(2)8月1日(水)
 元米海軍情報部長(N-2) Porterfield 元少将にも表敬することが出来た。彼も既にリタイアしているが現在情報機関の外郭団体である情報調査研究所の部長として米海軍を側面から支援していた。
 彼は当方が調査部長の時のカウンターパートでいろいろ情報業務に関し知見を広めることが出来た人物である。9.11の際もペンタゴンにて勤務しており、最初の情報では彼が参加していた会議室にハイジャックされた航空機が突っ込み、彼は、死者の名簿の中に入っていた。これは大変なことになったと思っていた矢先、被害は内側の会議室までは届いてなく彼は生きていることを知り、安堵したのを覚えている。訪問の時には池内駐在武官も同行してくれたが、このような情報を支援している民間組織(シンクタンク)を訪問する機会はなかなかなく、非常に貴重で有難い機会であるとの事であった。そのシンクタンクの建物は他のいくつかの軍関係のシンクタンクとも同じ場所に位置しておりペンタゴンとは毎日、定期的にバスが運行される等、情報支援を強力に推し進めていることが伺えうらやましい限りであった。特に、この組織はサイバー攻撃対処について、訓練環境も作為する等の支援をしているという事である。なお、これは蛇足であるが、米海軍には1943年対潜水艦戦部隊ながら陸上に作った第10艦隊をもじり、2010年、サイバー攻撃対応部隊としての第10艦隊を再編成した。この艦隊は同じく洋上の艦隊でもなく、実動部隊も持たない陸上部隊であり、別名をU.S. Fleet Cyber Commandと言い陸軍・空軍・海兵隊のサイバー部隊と共に一翼を担っている。
午後は、翌日のBird中将退官記念行事に備え、アナポリスに移動した。
(3)8月2日(水)
 Bird中将退官記念行事の日である。前日にアナポリス海軍兵学校内の宿舎に宿泊したがワシントンの高級なホテルより身近にチェサピーク湾が見え、窓際をアヒルが行きかう景色と自然を目の当たりにし、アナポリス兵学校内のホテルで落ち着いて過ごすことが出来た。しかし、朝からは家内の着物着用を手伝う等、忙しい朝になった。それでも、池内駐在武官が迎えに来るまでには、家内の着付けも含め当方の服装を整え待つことができた。温度は高いが湿度は低くほんとにクリアな清々しい行事日和となった。
 退官記念行事は、歴史ある海軍兵学校のマハン ホールにて行われた。米海軍の慣例として退官あるいは表彰等においては退官者あるいは被表彰者が希望すればその場所で行事を行うことができるようで、Bird中将はアナポリス マハン ホールを希望したようである。
 我々もマハン ホールに赴くと前列から3番目あたりであろうか、席が用意されていた。式を始めるアナウンスと共に司会(大佐)から「サイドボーイ」と唱えると、何とVan Buskirk 中将を含む中将、少将8人(N1~N8の各部長等)が席から起立し、会場の入り口に向かうのである。参加者から驚きとどよめきの中、粛々と日本でいう徒列員の場所に立ち出迎えるのである。当方も中将、少将の徒列員を見たのは初めてであるが、形式に囚われない自由な思いやりのある送り方は米海軍らしく思われた。その中を米海軍トップのCNO Greenert海軍大将がホイッスルと共に入場、引き続き、Bird中将が入場してきた。そしてご存知のごとく、神父(大佐)が着席している横にそれぞれ着席し、米国旗が厳かに入場し国歌が流され国旗への礼を尽くした後、神父のお祈り、そしてスピーチに入る。スピーチは退官行事ともなると湿っぽい話になるのではと思い、英語力もない当方にとってしばらく我慢かと思いつつ聞いてみることにした。しかし、CNO Greenert 大将(75年卒)からBird中将(77年卒)紹介に移ると同じ潜水艦乗りで期別も近い先輩・後輩であるためか、潜水艦時代の思い出話とBird中将の奥様であるNonie夫人との結婚の裏話もあり皆の笑いを何度も誘うもので、明るく楽しい行事となった。そして、何よりも米海軍のトップであるGreenert 大将が日本から来た当方と安藤氏(神奈川県逗子在住のロータリークラブ員)を紹介し、日本及び海上自衛隊との繋がりの強さを各国海軍士官が居る中で述べてくれた事は日米の繋がりの強さを示す好機となった。その後、Bird中将のスピーチになったがこれも大いに皆の笑いを誘うものであった。中でも、奥様のNonie夫人の話になると高校時代、まさか自分と結婚するとは思わなかったがNonie は自分が偉くなることを確信し結婚したとか皆の笑いを誘っていた。又、当方も全くその通りと思うが、最後にBird中将は奥様の内助の功に触れ感謝の言葉を述べていた。スピーチも終わり、神父の祈り、国旗退場も終了し、CNO及びBird中将の退席時期になると又もや、司会が「サイドボーイ」と唱え、海軍作戦本部の幕僚である中将、少将が起立し徒列員として並び、その中をCNO共々、Bird中将が皆の拍手の中、見送られていった。


 その後、同じマハンホールの建物内の中庭に面したホールでパーティが行われた。翌日からお世話になるはずのKelly元少将(元CNFJ)も来ており、楽しいパーティになった。CNOのGreenert 大将にも直接お会いし、東日本大震災の絶大な支援に対するお礼を伝えると共に、日米の緊密なインターオペラビリティの維持向上についてもお願いしておいた。Greenert 大将は第7艦隊司令官を務めたのみならず、第7艦隊参謀長や太平洋艦隊副司令官も経験し、日本に対する思い入れも特に強いようで、池内武官からGreenert大将が多数の集まるスピーチの席上海上自衛隊を「カイジョウジエイタイ」と親しみ込めて呼ぶ姿を一度ならず接したことがあると言っていた。このようにGreenert大将は日本にとっても海上自衛隊にとっても大変貴重な存在である。
 最後に、Bird中将ご夫妻に感謝の気持ちを申し述べ、池内駐在武官共々、何か清々しい気持ちでマハン ホールを後にした。
 その夜は、アナポリスから再度、ワシントンに戻り池内駐在武官宅にて、ノーフォークから駆けつけてきてくれた当方の友人でもあるハウザー夫妻と過去、当方の副官をしてくれた雨宮2佐(ノーフォーク連絡官(現在帰国))及び関野武官補佐官共々楽しい夕食会を催して頂いた。何から何まで、池内駐在武官ご夫妻には大変、お世話になった。


(4)8月3日(金)~5日(月)
 主な目的でもあったBird中将退官記念行事も終わった後、多くの海自幹部を含む日本人の方々が良くご存知のKelly元少将(元CNFJ)の家にご招待して頂いた。有難いことにKelly元少将からは、1泊ではなく2泊すべしと言われ、言葉に甘えて2泊した。New Portにある海軍大学校にて学部長として勤務しており、間もなく夏休みでSeattle に帰る前の忙しい時に、奥様のAmyさん共々暖かく迎えて頂き旧交を温めることが出来た。奥様のAmyさんとJim(Kellyさんの通称)さんは海軍大学近くのプール付の家を借りており、最近プールを泳げるように治したばかりで、我々がプールで泳ぐ最初のお客らしかった。その翌日もKelly 夫妻からNew Portの知らないところを案内してもらい、ドーベルマンのエマとナイトの2匹の犬とも一緒にプールで泳ぐ等楽しく過ごすことが出来た。
 去る日も朝早くからボストン空港に車で送ってもらい、何から何までお世話になり、感謝に絶えない。


(5)8月5日(日)~6日(月)
 朝早くから一日かけてボストンからヒューストン経由、サンディエゴに飛んだ。目的は、これも艦長時代からの友人であるAnthony J Kopacz元大佐夫妻に会うためである。Tony(Anthony の通称)も以前、心臓に関する病気で入院した事もあり、心配しながらの訪問となったが、元気で趣味のカーレースにも出ており2台のポルシェを保有し試合会場を飛び回っているようで安堵した。一緒に夕食をとり、旧知の中での楽しいひと時となり、やはり話は、艦長時代の古い話に終始し、海の上でのSea Storyで締めくくりとなった。

 多くの旧知の人々にお世話になり、翌日、日本に帰投した。
 今回の訪問は、元第7艦隊司令官 Bird中将退官に伴う訪問であったが、当方、退官後約3年余りの経過があったにも係らず、多くの米在住の友人に親しく会うことが出来、方々で温かいもてなしを受けた。そして、これほど強い繋がりやきずなを感じたことはなかった。
 自由と民主主義を共有し合う国同士とは言え、今まで海の上で一緒にやってきた海軍同志の強い繋がりと人と人との友情をこれほど有難く感じたことはない。
 海上自衛隊60年のこれまでがそうであったように、これからも米海軍の人々とは家族を含め強い繋がりを意識し、考え方を共有し、相互に敬意と信頼感をもって付き合い、困ったときには互いに傍に居て助け合う事の出来る強い繋がりを願わずにはおれなかったが、このような繋がりは今後とも多くの現役の人に大切に受け継がれるものと確信している。
 最後に、今回の訪問において、大変、お世話になった池内駐在武官はじめ、在米の方々及び関係者に御礼申し上げる。(了)