取材記 “たゆまず行かむ 海のさきもり”
  -護衛艦「ふゆづき」雨中の就役-

チャンネルNippon理事 山田道雄

 平成26年3月14日。春先の三寒四温のこの候、朝鮮半島と東シナ海を気まぐれに移動する2つの低気圧は、関係者のわずかな期待も空しく朝から西日本に非情な雨をもたらした。この日春雨とは程遠い土砂降りの雨の中、瀬戸内海に面する小さな造船町で1隻の新鋭護衛艦が産声を上げた。岡山県の三井造船(株)玉野艦船工場において引渡しを受け、自衛艦旗を授与された5000トン型護衛艦の4番艦「ふゆづき」である。同所にとっては17年ぶりの護衛艦の受注、建造であったが、約3000人の観客の中華々しく行われた命名・進水式に比べ悪天候のせいか約600人の観客に見送られるという、前日の長崎における「すずつき」の就役と対比しても寂しい船出となった。

 しかし、北朝鮮をはじめ最近の緊張した日本周辺海域の情勢の中、この日舞鶴を母港とし任務に就いた1隻の護衛艦の佇まいは、式典に参列、見学した関係者や一般市民には大変頼もしい印象を与えた。少なくとも筆者にはそう感じた。以下はその取材記である。



 前日の夕刻、市内の居酒屋で地元の知人と食事をしたのち、とあるスナックに立ち寄った。玉野の繁華街はこの夜も静かである。この店で東京本社から来た顔見知りの造船所役員と偶然出会った。話題は自然に翌日の天候となり、造船日本の昔話となる。店内にはこの町で建造され巣立っていった多くの艦船の写真やスコードロン・ハットが飾られている。30年近くやっているママさんの話では最近は新造や修理艦の乗員もほとんど飲みに来ないという。かつてここで建造、ぎ装をした某艦の艦長が出港挨拶で「玉野の花柳界の皆さん、大変お世話になりました」と言って出て行ったというのはもう遠い過去の話らしい。当時は母港に向け出港する最後の夜は街も店も乗員たちで賑やかだったに違いないが、結局この夜の客は我々2組のみ。最近の隊員は昔のように飲み歩き放歌高吟はしないとは聞いていたが、戦闘艦の乗員としてやや物足りなさを感じるのは歳のせいか―

 当日、日付の変わる前からぽつぽつしていた雨は式典が始まる前から本降りになってきた。式典の開始直前、雨は一段と激しくなる。この日のため装いも新たにした「ふゆづき」は紅白の幔幕で飾られた第2号号岸壁に静かに横たわっていた。艦尾の旗竿に当然自衛艦旗は見えないが、かわりにマストに造船所の社旗が翻っている。岸壁には儀じょう隊、艦長以下全乗員が雨着もつけないでずぶぬれになって整列していた。楽器保護からであろう、音楽隊のみ天幕の中である。筆者ら見学者はいずれも天幕の中であるが、コートを着なければ寒くて震えるほどである。





 定刻の正午少し前VIPの車列が到着、執行者三木伸介呉地方総監の案内で若宮健嗣防衛大臣政務官、河野克俊海上幕僚長、鎌田昭良施設装備本部長が儀仗隊の前に進む。若宮政務官に対して栄誉礼、儀じょう隊の巡閲が終わって式台中央へ。
 定刻引渡式の開式宣言後、三井造船(株)代表取締役田中孝雄社長が「護衛艦ふゆづきをお引渡しいたします」と朗読し、引渡書を若宮政務官に手渡すと、同政務官は「護衛艦ふゆづきを受領しました。防衛大臣小野寺五典」と受領書を田中社長に手渡す。続いて音楽隊が社歌を演奏する中、それまでマストに翻っていた社旗が降下されて、引渡式は閉式となる。この間わずか4分の簡素なセレモニーであるが、これで正式に「ふゆづき」は防衛省所属となる。


音楽隊


マストの社旗



 引続いてここから海上自衛隊の行事となるので当然司会者も会社から呉地方総監部の総務係長に交代し、自衛艦旗授与式の開式が宣言される。司会の「自衛艦旗授与」とともに音楽隊が「海のさきもり」を演奏する中、初代艦長の北御門裕2等海佐が式台上に進み出て若宮政務官から真新しい自衛艦旗を授与される。北御門艦長は三角形に畳まれた自衛艦旗を頭上に奉持し、乗員の整列する隊列に戻り自衛艦旗を副長に引き継ぐ。






 これらの所作は、海上自衛隊儀礼曲「海のさきもり」の荘重なメロディの中、粛々整斉と実施される。この日の式典のハイライトであり、艦長なら誰でも希望する場面。しかし、初代艦長のみがこの栄誉に浴する特権を持つ。

 因みに、「海のさきもり」は山田耕筰作曲であるが、その歌詞は元々海上自衛隊の前身である海上警備隊創設の1周年記念として昭和28年東京日日新聞で全国募集され、隊歌「海のさきもり」として制定されたもの。作詞は岡本文治氏(岡山県在住、海兵73期)で、同時に募集された行進歌「海を行く」(佐久間正明作詞、古関裕而昨曲)とともに日比谷公会堂で発表、披露された。次はその「海のさきもり」の一節である。

くろがねの力ぞ  揺るぎなき心もて  起(た)ちて鍛えて
たゆまず行かむ  われらこそ海のさきもり

「海のさきもり」は「自衛艦旗授与式における自衛艦旗授与の場合」等に演奏するこ とに定められている。しかし、筆者の知る限り自衛艦旗授与式以外では呉教育隊の入 隊式(「宣誓」実施時)だけである。

 次いで司会の「乗組員乗艦」とともに行進曲「軍艦」が奏され、副長は頭上に艦旗を奉持したまま間髪を入れず行進を開始し、幹部、海曹、海士の順で続々と桟橋から乗艦して行く。女性隊員の姿も見える。儀じょう隊は後部の桟橋から乗艦して次の自衛艦旗掲揚に備える。




 全乗員が乗艦した後、司会の「艦長乗艦」で北御門艦長が初めてこの艦の指揮官として乗艦する。舷門では副長が出迎え、艦長に対する舷門送迎の礼式として初めてサイドパイプが吹奏される。艦長乗艦の瞬間マストには、艦長が指揮を執っていることを示す「長旗」と呼ばれる細長い指揮官旗が翻る。続いて「政務官乗艦」で政務官以下のVIPが乗艦しサイドパイプが奏される中艦長が出迎える。雨天のため後部の格納庫内に整列した乗員の所に移動した後「自衛艦旗掲揚」。音楽隊の「君が代」が奏され初めて自衛艦旗が掲揚され、ここに「ふゆづき」は名実ともに自衛艦(国際法上は「軍艦」)となった。

 続いて艦内では「政務官訓示」が行なわれる。(岸壁ではよく聞き取れなかったが厳しい国際情勢の中領土・領海・領空を守る政府の決意と第3護衛隊群の1艦として舞鶴に配備されることの意義を強調していた)その後士官室において北御門艦長から若宮政務官に対して現状報告がおこなわれた。

 この間、見学者のため艦名の由来や自衛艦旗の意義についての説明が放送され、音楽隊が「錨を上げて」「宇宙戦艦ヤマト」「海を行く」「国民の象徴」を演奏した。


政務官訓示


現状報告


 しばらくして、「艦内点検用意、点検番配置に着け」と「ふゆづき」で令達器(マイク)による初めての艦内号令詞が流れた。艦内点検は停泊中ではあるが、全ての武器・装備品を作動状態にして行われる。岸壁から見ていると航海用レーダのアンテナが回転し始めたことでそれが分かる。約10分にわたる艦内点検が終わり、政務官等VIPが退艦し、栄誉礼の後すべての行事が終了した。最後に儀仗隊が退出する直前又雨が一段と激しくなった。この日儀仗隊は、修理在泊中の輸送艦「おおすみ」・潜水艦救難艦「ちはや」・訓練支援艦「てんりゅう」(JMU因島工場から)の乗員で編成、派遣されたというが、彼らは約2時間、「ふゆづき」乗員と同様雨の中を微動だにせず立っていた。

 少し遅れて由緒ある本クラブで1時間弱の祝賀会が行われ、「ふゆづき」の出港見送りのため再び2号岸壁に戻る。雨はやっと小降りになり、沖合には薄い霧がかかっている。出港準備を終えた「ふゆづき」は、まるで魂が入ったかのように生き生きとしていた。前後部のもやいのみを残し、乗員は艦橋、前中後部の部署配置に着き、手空きの者は上部構造物周辺に整列していた。

 北御門艦長が見送りの建造関係者や地元の人々にお世話になったお礼と母港に向け出港する旨の簡単な挨拶をし、艦長、工藤先任伍長、曹士代表(女性自衛官)に花束が贈呈された。次いで艦長は政務官に対し、「ただいまから出港し任務に就きます」と力強く報告をして「ふゆづき」に乗艦する。すかさず「航海当番配置に着け」が令せられ舷梯が揚収され、機関の始動音が聞こえた。


花束贈呈


出港報告


 4分後の14時18分、「出港用意」のラッパが響き前後部のもやいが放たれた。同時に音楽隊の「軍艦」行進曲が演奏され、「ふゆづき」は静かに岸壁を離れ始める。前進の行足がつき始めたところで、曲は「蛍の光」に変わり船と岸壁相互で「帽振れ」が令された。見送り者は岸壁先端まで駆け寄り、建造に従事した工員の人たちであろう「勇壮無比、護衛艦ふゆづきのご活躍を祈ります」との横断幕が掲げられた。この人たちの心境は手塩にかけた娘を嫁に出すときのそれに似たものだという。どこの造船所でも見られる光景である。
 しかし、今回「ふゆづき」の設計、建造に当たっての関係者の苦労、苦心は並大抵ではなかったはずだ。玉野造船所が護衛艦を最後に建造したのは17年前の護衛艦「はるさめ」。 その後、輸送艦(LST/LCAC)や潜水艦救難艦(ASR)等補助艦の建造で特殊な技術を発揮してきたとはいえ、護衛艦の武器・システム統合の分野はまた特別であり、関連要員の維持確保は大変だったに相違ない。掲げられた横断幕には、それらの困難を乗り超えて見事建造を完了し、母港に旅立つ愛娘を送り出す親にも似た無言の思いが伝わってくるようだ。






「ふゆづき」は行足を徐々に増した。両舷にはそれぞれ2組の旗旈(きりゅう)信号が上がっている。いずれも国際信号で1つの「Ans」旗は、送られた信号に対する「了解」の意味。おそらく修理で造船所に入港している僚艦からの信号「UW」(ご安航を祈る)に対する返信であろう。もう1つは「Ans- UW1」で「 あなたの協力を感謝する。ご安航を祈る」という意味。




 沖合で出港針路にわずかに右回頭した「ふゆづき」は最後に超長音を吹鳴、それほど深くない霧の中に消えて行った。いつしか雨はほとんど上がっていた。

 寒い1日であったが、常に鍛えて任務に邁進し「たゆまず行かむ」、頼もしい「海のさきもり」の一面を垣間見て安心したのは筆者だけではあるまい。雨の中最後まで整列していた儀仗隊が退出する際、天幕の中に居た見学者から期せずして大きな拍手が送られたのが何よりの証である。

 因みに「ふゆづき」の先代駆逐艦冬月は昭和19年5月竣工、20年11月除籍と極めて短命であったが、20年4月には水上特攻部隊戦艦大和の護衛艦として天号作戦に参加して生還、8月の終戦を迎えたという強運艦である。護衛艦ふゆづきの就役に際して雨中の自衛艦旗授与式に参加した約200名(うち女性自衛官約10名)の初代乗組員はこの日のことを決して忘れることはないと思う。おそらく今後30年近く自衛艦としての航路を辿る(と思いたい)「ふゆづき」の安全航海と武運長久を祈りたい。(了)

(写真撮影:大久保清治)