自衛艦乗組員の自殺に想う
  ―元艦長の体験的部下統率論(下)

海自OB(元艦長) 中尾 保男

目  次

はじめに
1 自衛艦の艦内編成と日課
2 護衛艦・掃海母艦「ゆうぐれ」の体験
 (1)「ゆうぐれ」で学んだ教訓
 (2)「ゆうぐれ」の甲板士官
3 潜水艦「あさしお」(初代)の体験
 (1)「いじめ」の場としての艦の構造
 (2)乗員の艦に対する意識
 (3)立直要領と内容
4 潜水艦「はるしお」(初代)の体験(乗員への信頼)
5 潜水艦「あらしお」(初代)の体験(心の病の持った乗員)
6 砕氷艦「しらせ」(初代)の体験(艦橋と運転室)
7 潜水艦救難母艦「ちよだ」の体験(創意工夫)
8 それぞれの体験からの所見
おわりに

4 潜水艦「はるしお」(初代)の体験(乗員への信頼)

 潜水艦「はるしお」(初代)の副長兼航海長として勤務したときの経験である。
 当時の「はるしお」は、3隻の潜水艦で構成された第3潜水隊に所属していた。第3潜水隊は、まだまだ潜水艦部隊の主力であり、各艦とも行動が多く、乗員は休養のための代休も取れない状況であった。しかも、停泊すれば、部隊検閲、術科競技等、様々な行事が有り、その都度総員による艦の整備等準備作業に時間を取られていた。
 あるとき、甲板士官を伴って先任海曹室に出向き、極力乗員に休養のため代休を取らせたい、何か工夫は無いか、と持ちかけたところ、僚艦も「はるしお」同様、行動が多いが総員による大掃除日課等で準備にかかっているとのことであった。ある先任海曹から、大掃除、艦内整備等、行事に合わせた準備は、各科員入り混じった哨戒長を中心とした、「直単位」でやらせてもらえないかとの提案が有った。試験的に、各科受け持ち区画を直ごとに、計画を立て行事に間に合うよう整備を実施することにした。
 当初は、少々整備が整うか心配していたが各科、自主的に計画を立て、当直員の受け持ち範囲は、責任を持って準備に取りかかった。3隻で隊を組んでいた中、「はるしお」の成績は常に上位を占めていた。乗員が自覚とやる気を持って、気持ちを込めた作業を実施すれば相当のことができることが分かった。その他、艦対抗の競技等についても、ほとんど負けることがなかった。
 これは、艦長はじめ士官室、先任海曹室がうまく連携が取れ、乗員の士気の高さを示すものである。当然、艦の士気が高くなれば服務事故も少なく「いじめ」等の芽さえ無く、常に艦内の明るい気風が保たれていた。

5 潜水艦「あらしお」(初代)の体験(心の病を持った乗員)

 第2潜水隊「あらしお」艦長として勤務した時の経験である。
 「あらしお」の年次検査が終了し、神戸の修理地から母港の呉に帰投、再練成訓練の準備に取り掛かっていた時、分隊長から、最近、○○海曹の様子がおかしく、状況を観察している。との報告を受けた。○○海曹は機関科当直員の直長であり、また、妻と1歳未満の子供の3人家族の温厚、真面目な人物であった。最近、夫婦である宗教のボランテア活動に参加していたが、活動が思うようにいかず、本人たちが責任を感じ、精神的な負担を負い、時々夫婦とも錯乱状態に陥ることがあるということであった。当然、○○海曹の日常の生活も不安定になり、潜水艦の出動訓練ができる状態ではなくなってきていた。分隊長は、この状態を人事課に説明し、再練成訓練の出動訓練が始まる前に、陸上部隊への配置替えの調整をしていた。人事課は説明を聞いてくれてはいるが、一向に配置替え及び艦から他の部隊に補任する処置がなく、再練成訓練の出動訓練が始まった。
 第1回目の出動訓練は、本人を補充部(一時的な隊員を預かる部署)に預け、第2回目の出動訓練は、江田島地区病院に入院させ、第3回目の出動訓練は人事課の処置もなく、預かってくれる場所もなく、仕方がないので休暇処置で自宅療養するようにした。出動訓練中は、家族のことも心配であり、第2潜水隊司令にお願いし、隊勤務の先任海曹に1日1回自宅の様子を見てもらうことにした。
 出動訓練から帰投し、隊勤務の先任海曹に自宅待機中の当該隊員の様子を聞くと、時々夫婦ともに、理解不能な言動があり、何かに取りつかれたような、錯乱状態に陥ることがある。また、乳飲み子が脱水状態を起こすような状態になり、回復の様子が全く見えないとのことであった。人事課に何回も何回も相談しても処置されず、人事課長の話によると、個艦で発生した事象であり、個艦に処置を任せよ。という上司の意向であると聞いた。
 当時総監部には、潜水艦の行動態様を誰よりも理解し、人事課長に適切なアドバイスができる上司がいたにかかわらず、何の処置もされなかった。おそらく病気、負傷で乗艦勤務ができなくなれば、人事課も躊躇なく適当な手を打ってくれたと思う。また、病気、けが等で乗艦勤務が出来なくなった場合、重大なものは、人事課との調整は必要であるが、個艦でも十分対処ができる。しかし、心の病にかかった隊員を、経験も知識もない個艦で面倒を見るのは無理である。あたかも陸上には、心の病を患った者を配置するような部署はないので、個艦のことは個艦で責任を果たせ、という突き放された感じを受けた。これは、人事課は、面倒なことには手を出さないという責任逃れに他ならない。この時ほど何のための陸上部隊か、何のための人事課かと不信の念を感じたことは無かった。
 再練成訓練最終の長い出動訓練の前に、大阪に在住の親戚の方の都合がつき、呉までご足労をお願いし、取りあえず、母子の面倒を見てもらうことになった。○○海曹については、親戚の方と、艦長で説得し、その種の病院に入院治療させることにした。入院治療中、何回か当該隊員を見舞い、話をしていると本人が今まで悩んでいたのは何だったのだろうという感じで、薄皮をむくように快方に向かって行った。医者の言うのには、本人はあまりにも真面目すぎ、ボランテア活動がうまくいかず、悩み過ぎ一時的に(約1ケ月)精神に負担がかかりすぎたものと思う。よくあることです。と言うことだった。この時ほど、陸上に一時的に収容ができ、カウンセリングの受けられる施設があればと願ったことはなかった。

6 砕氷艦「しらせ」(初代)の体験(艦橋と運転室)

 「しらせ」に乗り組み南極協力行動に参加した時の経験である。
 砕氷艦「しらせ」は毎年、乗員の半分、観測隊員のほとんどが交代する。しかも、同乗者の全てが乗艦するのは出港間際になってからである。
 南極に向け出港当初は、なぜか艦内の空気はよそよそしく、ぎこちない様子であった。東京港を出港し、南極に到達するまでに、同乗者を含めた応急訓練、フイリッピン沖の洋上慰霊祭、赤道通過時間クイズ、赤道祭り、オーストラリアではピクニック、南極に近づくにつれ、暴風圏内の海洋観測協力、氷山発見クイズ、ペンギン、アザラシ発見クイズと全ての乗員が気軽に参加できる催しを実施し、これから向かう南極という共通の「目的」を掲げ「しらせ」乗艦者の融和・団結を図った。氷海に到達するまでには、艦内全体の気持ちが融け合い、非常にいい雰囲気で南極に向かうことができた。
 また、初めての氷海航行中機関の安全装置(冷却海水圧力の低下)が作動し、頻繁に主機を自動停止したことがあった。艦橋立直が終わり、主機の安全装置、機構を勉強するため、機関科の運転室に赴き機関科当直員の立直状況を見学に行った。運転室に艦橋立直幹部が立ち入ることは非常に珍しく、最初は怪訝な顔をしていたが、「たびたび主機を自動停止させて申しわけない」と断りそのメカニズムを勉強に来たと告げると、当直員は図面を出し熱心に安全装置のカラクリを説明してくれた。理由は、氷塊の中で艦の速力が大きいと艦底の冷却海水取り入れ口に砕氷した微細な氷粒が海水取り入れ口につまり、海水吸い込み圧力が低下し安全装置が働くことが分かった。
 艦橋立直士官の処置は簡単。運転室から、「冷却海水圧力が下がり始めた」と通報があれば、艦橋で当直士官が速力を落とせば冷却海水圧力が回復する。圧力が回復すればまた所望の速力に増速すればいいことである。主機を安全装置により自動停止させると言うことは、主機に非常な無理を掛け、また再起動するのに相当の時間がかかる。艦橋と運転室の簡単な意思の疎通を図ることにより、主機の自動停止が大幅に減少した。
 その後、機関の勉強と運転室の当直法の見学に何回か運転室に出向いた。厳しい氷状の時は、運転室当直員は手に汗を握りながら立直している状況がよくわかった。以前、水上艦の経験は1年しかなかったが、その当時も機関科当直員と艦橋立直員の間に、どこか遠慮があったように思う。その後も、厳しい氷状の時など運転室に勉強に行くと、運転室自慢のコーヒーを出してくれ、ごちそうになった。

7 潜水艦救難母艦「ちよだ」の体験(創意工夫)

 「ちよだ」副長2年、艦長として3年4ケ月の計5年4ケ月間、勤務した時の経験である。
 副長として着任し、訓練、実作業に携わってみると、大型の装備品を全乗員が一糸乱れぬ動作で作業を実施しているのを感心しながら副長兼航海長の勤務についていた。作業は、日ごろの訓練と各現場の分掌指揮官の卓越した作業指揮に支えられ、見事に進められていた。これは、日ごろの訓練が充実していることを示している。一方、安全係幹部として救難作業全般を見ていると、「ちよだ」は、大型の救難装置を作動させているが、装置間の関連性があまり考慮されていないことが分かった。大型の装置の簡単な改造、設置法の工夫で安全性、作業性、省力化及び救難関係装置間の連携が大幅に改良されることが分かった。
 1年の陸上勤務を経て、今度は、「ちよだ」艦長として乗り組みを命ぜられ勤務につくことになった。副長時代考えていた、「ちよだ」の能力を上げる改造要望をまとめ、関係部署に提出した。関係部署では、艦の要望の趣旨はよくわかる、改造も容易であり、時間も予算もあまり掛かるものではない、しかし、まだ、建造にかかわった関係者が現役で・・・と言うことであった。たまたま、停泊中、深海救難艇の発着架台を整備中、正に改造要望を出していた装置の操作中、ちょっとした不注意から大けがをする事故が発生し、海幕の事故調査を受け、再発防止を厳しく指導された。関係者は事故の責任を問われ、運用科の分掌指揮官および主だった科員が処罰されることとなった。
 この作業は、停泊中の作業であるが、準総員作業であり当然艦橋の艦長の指揮のもと装置の操作を行った時に起きた事故で、当然艦長の責任も問われるべきものであると上申した。ところが、停泊中の整備作業であり、艦長の責任まで及ばないとのことであった。指揮を取っていたのは艦長であり、責任は艦長にあることを何回も上級司令部に、艦長も当然責任を取るべきと上申したが受け入れられなかった。
 艦長と上級司令部とのやりとりが乗員にわかり、「うちのおやじ(艦長)は逃げない。今回の事故で艦長に非常に大きな迷惑をかけた」という空気が艦内に流れ、以後の作業に対する乗員の取り組みがさらに真剣みが増したように思う。艦長が事故の責任から少しでも逃げるような素振りを見せていたら、艦内はおそらく、一致団結を必要とする潜水艦救難母艦の運用作業は円滑にはいかなかったような気がする。
 この事故で事故調査委員から「ちよだ」は海上自衛隊で一番危険(作業が難しい)な艦である、との有り難くない評価を得た。また、事故調査委員から、「ちよだ」が改造要望を出しているようであるが、「ちよだ」改造に向けての要望には機会が有れば全面的に協力する。と今度は、有りがたい言葉を得た。その後、年次検査等を利用し、要望した全ての項目について改造を行った。結果は、作業安全の大幅な改善、作業時間の大幅な短縮、大幅な省力化が出来た。何よりも大きかったのは、大型物品を吊り下げて移動するという作業が大幅に少なくなったことである。
 その後、2回の「航空機救難」に参加、その他の多くの実作業にも従事した。丁度この時期、「ちよだ」と同じような装備を計画した潜水艦救難艦2代目「ちはや」が計画されていた。おそらく、参考意見を出さなければ「ちよだ」と同じ方式の艦が設計され乗員の苦労が目に見えていたので、次期救難艦「ちはや」に対する意見具申を行うと同時に、海幕及び技術研究本部の大型艦設計担当者等、多数の方々に何回も「ちよだ」の飽和潜水、潜水艦救難オペレーションの作業を実艦で見ていただき、2代目「ちはや」建造の参考にしていただいた。また、その年の幹部対策課題において、今までの上申をまとめた「次期潜水艦救難艦の装備及び運用に関する考察」として共同研究を実施した。
 2代目潜水艦救難艦「ちはや」は「ちよだ」と外見はほとんど同じであるが、装置の装備法、運用法、消耗品の搭載量等「ちよだ」のオペレーションの不具合事項を大幅に改善されたものとなっている。これは、士官室、先任海曹室、各科員が問題意識を持ちながら、地道にデーターの収集に努め、作業要領の改善に努め「ちよだ」全乗員が一丸となって成し得たものである。乗員は、漫然と過ごすのではなく常に前向きな姿勢で指導してゆけば非常に大きな力を発することができる。そこには、「いじめ」の芽などはえるわけがないし、艦の団結がますます強化されたと信じている。

8 各体験事項からの所見

 私の艦艇勤務は、護衛艦「ゆうぐれ」に始まり潜水艦数隻、砕氷艦初代「しらせ」、潜水艦救難母艦「ちよだ」と特殊な艦艇を引き続き経験してきた。全ての艦に初代とつく非常に古い人間である。かろうじて活動している「ちよだ」も間もなく新しい救難艦と交代するのではないかと思われる。それぞれの艦にはそれぞれの特徴と事情が有る。共通していることは艦の意思を決定する士官室と、決定した意思を具現化する先任海曹室の意思の疎通を良好に保ち、がっちり手を組み乗員を指導していけば「いじめ」のような陰湿な服務事故は起らないと信じる。
 この二つのグループを如何に機能的に結び付けるかは甲板士官の艦内を隅々まで走り回って得た情報をもとに、副長の艦にふさわしく、有効な具体策を作成し、先任海曹室に示すことである。また、艦の融和・団結の向上に結び付けるのは、艦長の指導力と艦長の人格である。まさに、「ゆうぐれ」の初任幹部の時に司令、艦長から受けた教訓「艦の能力は艦長の能力で決まる」そのものである。
 私の艦艇勤務中、「いじめ」のような陰湿な服務事故は起こらなかったが、「あらしお」で経験したような、心に病を持った隊員を抱え、陸上部隊から見放され、途方に暮れ、再練成訓練に従事し、訓練中の忙しい時に何回も呉補充部、江田島地区病院と調整しながら解決した経験を持っている。一見、ここに述べた体験談は、服務事故防止とは、何の関係もないものも含まれるように感じられるが、乗員が大きな関心を持った時期、事象であり、そのまま放置すれば「いじめ」の芽が発生し、艦内の雰囲気が際限もなく落ち込むような内容であった。服務事故もなく、乗り切ったのは、士官室、先任海曹室及び中堅海曹が頑張って平常を保つための努力のたまものである。
 長年の海上勤務で乗員と接してきて感じたことは、服務事故を恐れ事故防止、事故防止と叫んでも事故防止につながらない。それよりも艦内の雰囲気、現状をよく見て、融和・団結、士気を上げる努力をすることである。とにかく艦内を明るい雰囲気を保つことが肝要と信じる。
 特に、ここで取り上げた「いじめ」による自殺については、突然起こるものではなく、必ず何らかのサインが出ているものである。艦長はじめ、乗員の全てが注意深く、乗員の日常の生活を注視し、サインが出れば躊躇なく処置をすれば自殺のような大事件は起るものではない。

おわりに

 ここに述べていることは「いじめによる自殺」という事件に、関係のないように思われるが、多くの隊員が同じ環境で生活し、勤務していると「いじめ」の芽はどこにでも発生する可能性がある。反面、周りには「いじめ」の芽が発生しても、すぐ摘み取ることのできる艦長をはじめ、科長、分隊長の上司及び同僚が数多くいること。また、艦内生活に不祥事が起こらないように諸規則、諸組織も艦内には数多く定められていることも事実である。しかし、今回起った事件は、これらの組織的な管理、諸規則の全てが機能せず「いじめによる自殺」事件が発生した。よく不祥事が起こると日ごろの教育はどうなっているのかと糾弾することがあるが、各部隊、各部署は熱心に努力していると思う。事故防止の努力の方向が少しずれているだけである。
 「ゆうぐれ」、「あらしお」、「ちよだ」での体験は、重大な不祥事に発展してもおかしくなかったが、規則類を有効に活用し、指導がうまくいった例である。また、「はるしお」、「しらせ」、「ちよだ」の体験は、艦の指導的立場にある乗組員が現状を認識し、いかに乗員の意識を高揚させ、間接的に艦の融和・団結を育成した成功例である。管理する立場にある者は、直接的にこれはだめ、あれはだめ、と言うよりも乗員の置かれている状況をよく理解し間接的に生活、勤務態様を変え、善導すれば不祥事はほぼ防止できるものと信じている。
 「ゆうぐれ」で感銘を受けた言葉―「補充された兵員は短期間に所望の錬度に達するが、同じ兵員を養成するためにはその人の生きた年月が必要である」―。まして、今回の「いじめによる自殺事件は、ご家族にとって絶対に忘れることのできない事件である。自衛隊は、人によって支えられているのは言うまでもない。 万難を排し、「いじめによる自殺」のような痛ましい事件の再発を防止しなければならない。(了)