遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第4回 ポートモレスビー ~ シドニー

元首席幕僚  佐藤 常寛

7月6日(月)
天気晴れ。
0836ポートモレスビー港のMain Wharfに左舷横付け。


ポートモレスビー港のMain Warf

在パプアニューギニア日本国大使 増井 正 閣下ご夫妻の出迎えを受ける。
岸壁では現地人による歓迎の「シンシン・ダンス」が披露される。材木をくり貫いた太鼓(ドラム)によるビートのきいたリズムに合わせ、民族衣装の男女が肌も露(あら)わに踊る様は壮観で、南国の情緒を盛り上げる。


民族衣装による刺激的なシンシン・ダンス

入港歓迎の花束は、大使館員等在留邦人の幼い子女から司令官以下代表に手渡される。歓迎行事に引き続く記者会見には、司令官が表敬訪問で不在の為、代理として応じる。地元の新聞3社、TV1社のインタビューで和気藹々の内に終了する。艦上昼食会に先立ち、増井大使閣下、パプアニューギニア国防軍司令官Lokinap准将に対し栄誉礼実施。昼食会の客の内、3名は突然欠席となる。
南国の土地柄に合わせ、こちらもおおらか柔軟に対応する。
 夕刻、司令官主催の艦上レセプション。
 国防軍司令官、米・仏・独・中国等8ヶ国の大使夫妻、ミス・パプアニューギニア等233名の招待客で賑やかな宴となる。特に、僻地で活躍している海外青年協力隊員10名の為に、「流しソーメン」のコーナーを設けたが、他の在留邦人にも好評で、少しは慰労に役立てたと自負する。
 夜間は飲食店も少なく、危険も多いとの情報に基づき、寄港中は夜の艦内飲酒を許可した為か、乗員の帰艦状況は極めて良好。

     ○ 「 南洋の ムード誇示する 踊りの輪 」
     ○ 「 邦人を ソーメンの味で 慰労する 」

7月7日(火)
晴れ一時曇り。
午前、司令官はポマナ戦没者慰霊碑に献花のため不在。艦にて留守業務。
午後、司令官とともにスポーツ交歓(サッカ―、ソフトボール)、音楽隊合同演奏を視察。音楽隊は現地の警察音楽隊員10名を交え、サウス・パシフィック・スタジアムで合同演奏して在留邦人及び現地人を慰労する。
 言葉が通じ合えぬ2ヶ国の隊員同志が、1枚の楽譜で何の不自由もなく合同演奏する様子に、音楽には本当に国境がないことを実感する。
 視察後、市内を研修。国立博物館、国会議事堂は一見の価値があるものの、博物館の案内者が緑色の蛇を指し、「これはとても美味しい」と説明してくれたのには、少々ついていけなかった。また、博物館にだけ番(つが)いで飼われていると聞いた「極楽鳥」が、他の公園に移されて剥製だけが展示されていたのにはガッカリし興味が削がれた。
 夜、大使公邸での大使主催歓迎レセプションに出席する。席上、パプアニューギニア国防軍幕僚長Maras陸軍大佐と懇意になる。同大佐は、ニューアイランド諸島に所在する、Djaul島の酋長の由。島には2000人弱の配下がおり、島の運営については政府との交渉権を有しているとの事である。メラネシアン系の島々では、父系と母系の家族制が混在しているが、彼の島では母系制を守っており、後継者は彼の妹の長男になるとの由。また、女性は島内の男性とは結婚できないルールとの事。
これは、他の島からの血によって種族の劣化を防ぐ知恵なのだと思われる。
従って、彼の母、祖母、妹はそれぞれ長女であることが自動的に判る。また、彼の妻は他の島の出身である事も明らかになる。
次にパプアニューギニアを訪問する時には、是非、彼の島に招待したいとの由。興味の尽きない友人を得た夜となった。

     ○ 「 威厳ある 南の友は 島の長(おさ) 」

7月8日(水)
曇りのち快晴。
午前、洗濯等の身辺整理及び家族等への便りを認める。
午後、郵便局で私信等を投函。艦隊からの郵便物に切手を多量に使ったためか、所要の切手が不足気味となり、この日は分厚い封書もハガキも、同じ切手1枚(60トヤ;約80円)でよいとの事(因みに、初日は薄い封書が1キナ20トヤ;約160円だった由)。何事にも、おおらかな国である。
 夕刻、渡部警備官(1等海尉で外務省に出向中)宅に司令官とともに招待される。奥様の手料理で暫し歓談、出港前夜をのんびり過ごす。

     ○ 「 異邦での 家庭の味に 妻忍ぶ 」

ポートモレスビー(パプアニューギニア)印象記

 1975年、オーストラリア(豪州)から独立したパプアニューギニア(PNG)は、独立からわずか17年しか経っていない新生国家である。国土面積は日本の約1.2倍、人口約360万、最大の島であるニューギニア島はその西半分をインドネシア領のイリアン・ジャヤ(西イリアン)に接している。「パプア」とはポルトガル語で「縮れ毛」を意味し、住民がアフリカのギニアの黒人に似ていたことから「ニューギニア」と命名された歴史的経緯がある。確かに住民は肌黒く、自然の見事なパンチパーマの髪を持っている。
 トレス海峡を抜けてパプア湾を東航すれば、海原の彼方に、スタンレー山脈の高い峰が次第にその姿を現して来る。ポートモレスビーの沖合から眺める風景は、スタンレー山脈の峻嶮な峰々から重畳として海岸に迫る山並みが、山脈の彼方から広がる朝焼けを背に、未だ、夜の帳を払いきれぬ薄墨の中で、眠れる野獣の如くに横たわっている。双眼鏡を通して見るポートモレスビーの市街は、港を中心として白灯が周囲の丘まで延びており、朝靄の中には高層ビルも散見されて、予想していたよりも近代的である。艦隊が3隻「目刺し」に横付けした「Main Wharf」では、曳船作業、もやい取り等全体にゆったりした動きの面はあるものの、入港作業に支障はなく、また、真水の水質も良好で豪州が残した遺産の一端が伺える。入港歓迎の「シンシン・ダンス」は、材木のドラムの音に合わせ、男女の肉体を誇示する動きが多く、特に、男性のシンボル模型をあからさま見せる様は、滑稽の中にもこの国の未開の部分を垣間見る思いがする。
 政体は豪州から独立した後も、英連邦の一員に留まったために、英国女王を元首とする立憲君主制である。議会は一院制で、議員数は109名。先般、7月初旬に終了した選挙結果では、28名の現職大臣(国の大きさに比較して大臣の数が異常に多い)の内、約3分の1が落選確実との事で、これは500以上の部族が各地域毎にその都度影響力を行使するために生じる結果なのだと云う。地域毎の利益を最優先する議員が選出されることから個々の議員間の意見の統一が難しく、従って、絶対的な過半数政党が成立しないために、小党間の連立内閣が余儀なくされて政治的不安定状態が慢性化している。また、国の行政機構は制度的には整っているものの、これは独立の際にオーストラリアが残した制度をそっくりコピーしただけであるために、十分使いこなせないままに推移し、外見上は立派な制度が実際には殆ど機能していない不具合を生じている。
 経済的には恵まれた資源(銅、金、木材、コーヒー、コプラ等)を背景に、南太平洋諸島国家の間では相対的に強い地位を占めるものの、先進工業国との経済格差は大きい。特に、旧宗主国であるオーストラリアからの無償援助への依存が大きかったため、この援助が削減される傾向にある近年では、財政上の行き詰まり状態が生じている。また、通貨単位の「キナ」は独立の際に、経済力を無視して豪州ドルと同一の価値に設定した(実際、現在でも1キナは1米ドルより高いレート)ため、即ち、我が国が経済力を増して国際競争力が強まるにつれ、円高に移行したのとは逆に、「キナ」高からスタートしたことから輸出の伸びを阻害し、国内的には高物価、高賃金の悪弊を生じた。このため、「キナ」の切り下げが今後も必要と予測される。高賃金は結果として、雇用率を低迷させ高失業率の原因となっている。毎年生じる就労適齢人口6万人に対して、雇用採用数は1万人に過ぎないために、毎年約5万人の失業者を生じている。これら失業者の中から、「ラスカル」と呼ばれる無法者が派生して国の治安を悪化させている。治安の悪さは91年度の統計で在留邦人約260人の内40人が窃盗等の被害にあっている事から相当悪い状態である。
 言語は「英語」を公用語とし、「英語」を現地用に単純化した「ビジン語」が首都周辺部で使用されている。しかし、500以上に及ぶ部族が夫々に言葉を持っている関係上、言葉の標準化は極めて難しい。また、交通網の未発達によって各部族が夫々孤立しているために、言葉の標準化が一層困難となっている。交通網については、例えば、人口15万人の首都ポートモレスビーでさえも、整備された道路は都市中心部だけであり、一歩郊外に出れば道は途絶え、車での交通は不能の状態であるという。実際に研修で郊外の「ソゲリ高校」(日本語教育で有名)に出かけた実習幹部の報告によれば、都市中心部を離れるとすぐに道は断崖に沿って走り大変険しかったとの事。まして国内で1万人以上の人口を擁する都市が僅か7ヶ所に過ぎない現状では、交通網は無いに等しく、各部族間の分散、孤立性がそのまま教育を不徹底にして言葉の統一を阻害している。
 土地については昔から登録台帳を備える慣習がなく、このため森林伐採、土地開発に際しては土地の所有者が、多い時には1ヶ所に200名も名乗り出る状況が生じ、契約が中々捗らないとの事である。また、風習として「仕返し(Pay Back)」が有るため、契約上で不利を被った者が公然と邪魔をし開発等が思うように進捗せず、開発援助から撤退する企業が後を絶たない状況にある。なお、この「仕返し」の風習は近代化の進んだ現在でも、厳然として存在し、かつ、守られているとの事で、今回の寄港に際しても日本大使館関係者から再三留意するよう注意喚起された。即ち、現地人が乗組員の誰かに殴られる等の危害を受けた場合には、その「仕返し」としては日本人全員が対象にされる由。この「仕返し」の風習は我が国の封建時代の「仇討ち」に一脈通じるものが感じられ、独立したとはいえこの国が今もって後進性と未開性とを色濃く残している証左と云えよう。
 今回の寄港中に街を散策する時間は業務のため十分ではなかったが、艦上昼食会、レセプションの席上等で知り合った人々からの情報を総合してみると、非文明社会をそのまま残していた国(実際、部族の中には、1975年に発見されるまでは文明に接することなく、石器時代そのままの生活を維持していたものがあった)が、豪州を窓口として文明を少しづつ吸収していたとはいえ、国際情勢の急激な流れの中で、文明的には未成熟のまま、突然、独立して今日に至ってしまった感が強い。豪州や英国で高等教育を受けた政府要人、軍高官等は全般に理知的でスマートさを身につけているが、一般の住民の生活レベルは低く、英語も通じない状況である。現地人の集まる「コキ・マーケット」を見学したところでは、品物の種類は少なく、青物の野菜はほんの数種類でイモ類と海産物が主体の市場である。伊勢エビ、サワラ、カツオ、カンパチ、その他海の幸は新鮮だが、ウミガメや小動物(ワラビ―等)まで売買されており、全般に貧しさは拭いきれない状態である。
 他方、我が国とPNGとの関係は、75年の独立時に外交関係を樹立して以来良好であり、特に、貿易相手国としての我が国は、貿易高で旧宗主国の豪州に次ぎ第2位を占めている。PNG国内の自動車の9割以上が日本製なのである。
 なお、第2次大戦中、連合軍の航空基地があったポートモレスビーの攻略を企図して、ニューギニア島の北方から侵攻し、豪州軍との間で激戦を展開するとともに、ニューブリテン島のラバウル(幸い、陸上戦闘がなかったために旧日本軍の施設の多くが戦後も活用されて、PNGの国内では一番美しい街と評判の由)を長年、航空基地とした過去の経緯からPNGの国内には、旧日本軍の残した戦争のツメ跡が多く残るのも事実である。
この事実を謙虚に踏まえた上で、我が国がPNGの開発援助に前向きに取り組むならば、その果たす役割は極めて重要となろう。
また、開発途上にある小国とはいえ、森林伐採等に絡む自然環境破壊には、極めて高い興味を示している(今年、ブラジルで開催された「環境サミット」には14名の代表を派遣した)PNGに対しては、慎重で、かつ、有効な、経済援助が必要だとの感を強くした。
何れにしろ、国の大部分が今もって非文明の後進性の中にありながら、近代文明の急激な荒波に晒されているPNGが、国家として機能するための我が国の援助は、資源の保護と活用の両面を見据えたものにする事が、実際に生きたODAになると確信する。

7月8日  記

7月9日(木)
天気快晴。0905、ポートモレスビー出港。
若杉参事官、渡部警備官、在留邦人等の見送りを受ける。リーフ(サンゴ礁)の浅瀬の間を抜けると、南からのうねりに艦は動揺を始める。日本を離れて以来初めての波浪となる。時々、艦首が波しぶきを被る。いよいよ、熱帯地方を後に冬のオーストラリアに向け、一路南下を開始する。南下に伴い雲が広がり、時折、前方をスコールが通る。サンゴ海、やや波高し。

     ○ 「 灼熱の 土地に背を向け 冬目指す 」

7月10日(金)
曇りのち晴れ、海上白波残る。
昨日に比べうねりは、やや収まる。夕刻、サンゴ海海戦の洋上慰霊祭を挙行。
海戦史上、初めての空母決戦となった海戦で散華された、日・米両国の海軍戦没者を慰霊する。


弔辞を奉読する林 司令官

     ○ 「 サンゴ海に 空母決戦の 跡鎮め 」

7月12日(日)
晴れ時々曇り、一時スコール。
海上は雲の流れに応じ、時折白波が立つ。うねりは依然としてやや大きい。南緯20度を越え、気温は21度Cまで降下する。
水上射撃訓練を実施。横須賀出港以来、初めて洋上に砲声を聞く。


     ○ 「 腕を撫で この日を待てり 砲の音 」 

7月13日(月)
天気快晴、ベタ凪。
昨日までの風浪が嘘のように、洋上は凪。瀬戸内の春を思い出す穏やかな海面に、時折、微風が渡ってさざ波が立つ。「曳き船・曳かれ船」訓練にとり絶好の日和。3艦が交互に、曳航・被曳航を繰り返し、その都度曳航艦は総員が人力で曳航ワイヤーを艦上に引き上げる。引き揚げ作業を激励するラッパの音と現場指揮官の吹く号笛とが、心地良いリズムを奏で海面を渡る。
 午前で訓練を無事終了、針路を真南にとる。
 夕刻の天空の色の変化が素晴らしい。真紅に染まる太陽が、今日に別れを惜しみながら、西空へ静かに消えた跡に十三夜の月が、東の空で次第にその光を刻々増して来る。平穏な大海原に航海灯だけが人の息吹を伝えるのみ。悠久の大自然が醸し出す壮大な芸術の下では、一個の生物としての自分が如何に小さな存在であるかを悟り、純粋な心が甦って来る。
 無限に広がる宇宙の神秘と雄大な海原とが織りなす風景が、海に対する魅力を永遠に伝えるのかもしれない。

     ○ 「 粛とした 空と海とに 清められ 」

7月14日(火)
晴れ、海上平穏。
休養日課。「かとり」娯楽大会。
夕刻から、生オケ(音楽隊の生演奏をバックに歌う)大会及び女装大会(文字通り、女装した代表の中からミス「かとり」を選出)が開催され、司令官と共に特別審査員を頼まれる。
生オケは3分隊の西谷3曹が「季節の中で」をじっくり聴かせ、審査員の満票を得て優勝。電機員らしく、聴衆を十分に「痺れ」させた。
女装大会の審査は、正直言って難しい。各人が趣向を凝らして出てくるだけに、14名の中からミス(Mr. Lady?)を選ぶのは難解であったが、厳正な(?)審査の結果、3分隊豊政士長が晴れて(?)ミス「かとり」に選ばれる。

     ○ 「 航海の 無聊を飛ばす ミス「かとり」? 」

7月16日(木)
曇りのち晴れ。
0737、ブロークン・ベイに投錨、仮泊。このブロークン湾はその名のとおり、十分には湾を形成しておらず、外洋からの「うねり」の影響を受け易く仮泊地としては、不適当である。なお、今回のPNGから当地までの航海における最大の特徴は、行き合い船が極めて少ないことであった。陸岸に近付いた昨夜からは行き合う船もその数を増したが、9日出港から昨15日までのトータル数が僅かに5隻であったのは、やや異常な感じがする。
 恐らくは、一般船舶の航路筋が艦隊の針路よりも、少し陸岸寄りになっているために、行き合わなかったものと推察する。
 仮泊地において、各艦の艦内で「参議院議員不在者投票」を実施する。
 明日のシドニー入港に備え、各艦は甲板上のペイント補修塗装に勤しむ。
 気象幕僚の予想によれば、明日の天気は良さそうだ。

[ 第4回 了 ]