遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第5回 シドニー ~ ウェリントン

元首席幕僚  佐藤 常寛

7月17日(金)
曇りのち晴れ。海上平穏。
0530、訓練のため電波等を封止した警戒出港により、仮泊地発。沖合には先導のため、豪州海軍の「ジャービスベイ」及び「ダーウィント」の2隻が出迎える。豪海軍の2隻を先頭に「かとり」「しらゆき」「しまゆき」の順に単縦陣形成。パイロットがヘリコプターにより各艦に乗艦、中々やり方がスマートである。シドニー港が近づくにつれ、TV放送各社のヘリコプター3機取材のため接近する。0745、シドニー港入口の「サウス・へッド」に於いて、礼砲交換。豪州国旗に対し21発、ワトソン基地の礼砲台から、日本国旗に対し21発の答砲あり。

     ○ 「 友邦の 絆を語る 21発 」

 港の入口から眺めるシドニーの外観は、これまでに寄港した「ジャカルタ」、「ポートモレスビー」の街並みと比較すれば、超近代的であり、現代社会に戻ったとの感強し。
 0836、豪海軍基地「Potts Point岸壁No2」に横付け。3隻を「目刺し」とする。在シドニー 野口 雅昭 総領事が岸壁に出迎えられる。豪海軍支援部隊司令官 D.G.Holthouse 少将の名代(訪問使)として大尉が歓迎の口上を伝達する(英連邦海軍らしい公式の儀礼に感心する)。入港後、昨日実施した「参議院議員選挙不在者投票」の投票用紙を直ちに発送させる。
 シドニー市制150周年の記念式典に参加する寄港のためか、地元のTV、新聞の取材が活発である。艦上昼食会に先立ち、在豪日本国特命全権大使 長谷川 和年 閣下に対し栄誉礼実施(野口総領事随行)。昼食会後、司令官が多忙のため代理として、TV3社及び新聞1社の記者会見に応じる。自己紹介は英語で、との注文に「九州訛りの英語(?)」を披歴する。

 要旨;「シドニーの皆さん、こんにちは。今朝、入港して喜びに堪えません。私は23年前、実習幹部の時に当地を訪問しました。残念ながらその時の事は全て忘れてしまいましたが、今朝、美しい街と高いビルディングが立ち並ぶ様子に驚きました。本来なら、「林」司令官がインタビューに応じるところですが、生憎日程がタイトである為、私、首席幕僚の「佐藤大佐」が司令官の代理としてインタビューを受けます。
(その夜の放送を見た総領事の印象では、判り易い英語で、かつ、カメラに向かいメモなしで喋っていたのが大変好感を与えた由。その実、本人は冷や汗三斗也!)

 その後の質疑は、誤解を避ける為、当初の予定に従い、通訳(大竹領事)を介して実施する。事前に調整していたとおり、PKO問題等の政策に関する質問はなく、和やかに終了する。
 1500、長谷川 大使の実習幹部を対象とした、「激動する世界と日本」と題する講話に同席。元中曽根首相秘書官を務めた方だけに、聴き応えあり。

日豪関係での強調点;① 豪は日のPKO参加に積極賛成
 ② 豪は日の国連常任理事国就任を積極支持
 ③ 日から豪への観光客は92年度52万8千人

 夕刻、司令官主催の艦上レセプション実施。シドニー市長等300名来艦。
 150周年の特別記念として、音楽隊がレセプションの会場で生演奏し、好評を博す。


7月18日(土) 曇り一時小雨、のち晴れ。 昼前、司令官と共に礼装帯刀して、シドニー市長主催のブランチ及びシドニー市制150周年記念パレードの公式行事に参加。  ブランチの前にシドニーの姉妹都市「名古屋市」から、見事な「からくり人形」がシドニー市に贈られる。  今回、150周年の祝賀のために、「サンフランシスコ」、「ウェリントン」、「名古屋」及び中国の「広州」の各姉妹都市が代表を送っているとの事。  パレードは、豪州陸・海・空軍の軍楽隊を先頭に、練習艦隊音楽隊が2番目に登場し「軍艦マーチ」を吹奏、実習幹部の行進が後に続く。


音楽隊に続きシドニー市長に敬礼行進する実習幹部

 引き続く、米海兵隊のバンドと海兵隊員の行進が中々見事である。
 その後のパレードは、「港まつり」さながらに英国の入植から今日までを、当時の服装で再現しつつ、老若男女が笑顔を振りまきながら行進し、平和で明るい豪州を表現して興味深かった。


シドニー150周年の飾りを付けた先導車

     ○ 「 パレードの 祝いの列に 歴史観る 」


 帰艦後、主要幕僚と2時間ほど豪海軍手配の専用車で市内散策。
 某絵画店で地元画家の微笑ましいモチーフの絵を1枚買い求める。
 その店の女主人曰く「貴男の顔は昨夜のTVで観ましたよ。豪・日の親善のため、特別に2割引かせて貰う」と。
 1800から米海軍「ラシーヌ」艦上レセプションに司令官、各艦長と出席。
 途中、司令官と共に中座して私服に着替え、野口 総領事主催の夕食会に出席する。総領事公邸はスペイン風の瀟洒な建築で、庭にプールも設えてあり立派である。但し、人件費が高いため、使用人の数は4人程に留め、少ないとの由。2300頃、帰艦する。

 7月19日(日)
 晴れ時々曇り。
 0900、在シドニー日本人学校の生徒に対して、付託されていた「鯉のぼり」を司令官から贈呈する。
 贈呈後、司令官は先の大戦時、シドニー港内停泊船舶を攻撃する目的で潜航侵入したが被攻撃により沈没した特殊潜航艇(後日、豪海軍が引き上げ、丁重に海軍葬で弔った)に献花のため、出艦。在艦し留守業務に携わる。


特殊潜航艇に献花する 林 司令官
待立は左から平山在豪防衛駐在官、佐治「しまゆき」、歌田「しらゆき」各艦長

 1100頃、在メルボルンのA.Davidson夫妻(夫人は日本人)来艦。来艦の目的は、明治15年(1882年)6月、練習艦「筑波」の乗組員3名が「脚気」のために亡くなり現地に葬られたが、その墓が永年の風雨により崩壊の危機に瀕しているので、可能ならば修復のために艦隊から何がしかの援助がほしいとの申し出である。この件は、外務省経由で事前の連絡を受けた経緯もあり快諾する。「D」氏は、ビクトリア工科大学で数学の教鞭をとる傍ら、趣味で旧日本海軍とメルボルンとの関係を調べている時、偶々、新聞記事で当該墓が崩壊寸前である事実を知りメルボルン総領事館に連絡したとの事。豪州にも奇特な方があるものと感服し、昼食を供して歓談する。
 昨夜、「D」氏も、メルボルンで小官のインタビュー放送をTVで観た由にて、本人と面談でき嬉しいと持ち上げられ、赤面する。夫人から「全国的に顔が売れてますよ」と強調され、「外出時にはサングラスが必要ですな」と応じ、暫し大爆笑となる。明朝、司令官から乗組員の浄財を修復費の一部として寄付する旨、約して散会する。
 1500から、第2次大戦中の特殊潜航艇(松尾大尉艇)の記念碑に、潜水艦乗りの後輩として、一人参拝する。
 1600から、シドニー市長主催の「市制150周年祝賀レセプション」に司令官、各艦長と共に出席。新装のシティホールから眺める祝賀花火(広州市から寄贈の由)は壮観である。
 1900、帰艦。外出を取り止め(日曜日でもあり、この時間では飲み屋以外は閉店と判断)妻子等にシドニーからの便りを認める。  シドニーでは業務多忙のため自由時間が殆ど無かったが、他方、寄港目的の祝賀行事及び所要の親善交流は十分果たしたものと自負する。


 7月20日(月)
 曇りのち雨。
 0830、司令官から在メルボルンの「D」夫妻に対して、「筑波」乗員3名の墓修復費の一部にと艦隊乗組員からの浄財(約1、500米ドル)を、野口総領事、平山防衛駐在官、各艦長の立会の下で寄贈する。
 「D」夫妻からの申し出により、以後の窓口を在キャンベラ(首都)の平山在豪防衛駐在官とすることで衆議一致し、その場で平山君が「D」夫妻から浄財を改めて預かる。
 0954、野口 総領事の見送りを受け出港。
 いよいよ、嵐の海「タスマン海」に立ち向かう。
 シドニー港外で実施するよう計画された日・豪親善訓練のため、豪海軍フリゲート「ダーウィント」が艦隊を先導する。港外で、豪海軍の揚陸艦「トブルク」と会合。練習艦隊3隻と豪海軍2隻で親善訓練実施。
 陣形運動、防空訓練、ハイライン(物品移載)訓練、及び豪海軍潜水艦が加わっての実艦的対潜水艦訓練の予定。
 防空訓練の開始時から雲行きが怪しくなる。シドニーの北東沖に発生した低気圧が急速に発達し始めた模様。風雨、波浪共に激しさを増し始める。雨を突いて、低く垂れ込めた雲の合間から、友情支援するニュージーランド(N.Z)空軍(N.Z国内に適当な基地がないとの理由で豪に展開中のN.Z空軍)のA―4戦闘機が4機、交互に低空で攻撃運動を繰り返す。空自の航空機では安全上飛行を取り止めるかもしれない悪天候の中で、危険を冒して積極的に訓練支援するN.Z空軍のファイター達に思わず感謝と喝采を送る。実習幹部にとっては、荒天時における防空訓練の得難い経験となっただけに、N.Z空軍の「トップガン」達は強く印象付けられた事だろう。
 ハイライン訓練は荒天のため取り止める。
 対潜水艦訓練を終了する頃には、海上は大時化の様相。真南からの風波、「うねり」ともに大きく、真東への針路は真横から風浪を真面(まとも)に受けることから困難と判断、進出速力に余裕があるため、針路を南南東とする。それでも、ローリング、ピッチングともに激しい。
 実習幹部は江田島卒業以来、初めての本格的な荒天に遭遇する。


 7月21日(火)
 曇り一時驟雨。海上大時化。
 休養日課。昨日の低気圧が更に発達して、タスマン海を駆け抜けている模様。
 風波、「うねり」は相変わらず真南から打ち寄せる。本来ならば、多少は西に移動しても良いのだが、「うねり」の方向変わらず。タスマン海の不可思議性を心持ち感じる。
 針路を南南東に保ち、終日、耐える。
 時刻帯変更(23時を24時に進める)。



「かとり」の艦首を波浪が打ち付ける

 7月22日(水)
 曇り一時雨、のち晴れ。
「うねり」の方向が、夜明け頃から僅かずつ西に回り、南西となる。
 大時化の余波がまだ残っているため、訓練日程を入れ替え、整備日課とする。
 日出後、針路を東南東に変更。「うねり」を右斜め艦尾から受けつつ、ローリングを我慢して航行する。


 7月23日(木)
 晴れ時々スコール。
 昨日までの時化が嘘のように、海面は時々白波が立つ程度までに回復する。
 風船を利用した対空射撃訓練を実施。本日から通常の訓練体制に戻る。


 7月24日(金)
 晴れのち曇り。
 午後から風波及び「うねり」が再び大きくなるも、訓練は予定通り実施。
 タスマン海の気象上の特徴は、暴風圏に発生した低気圧から延びる前線が、南緯35度付近まで達して、南極を中心に時計回りに、35~45ノットの高速で回転することである。更に、この低気圧はオーストラリア大陸を前線が抜けた後、急速に発達する。時には、この低気圧がニュージーランドの東側で、日本の台風並みにまで発達することがある。
 今回、20日から21日にかけて艦隊を揺さぶった低気圧は、ニュージーランドの東で、980ミリバール以下にまで発達した。

 7月25日(土)
 晴れ時々曇り。
 次の低気圧が接近しているためか、南西からの風波、「うねり」強し。
 午後、タスマン湾に入る。
時刻帯変更(23時を24時に進める)。

 7月26日(日)
 曇り一時驟雨、のち晴れ。
 明け方、クック海峡を通過。
 午前4時から6時までの2時間に気圧が10.5ミリバール降下する。
 ウェリントン港に横付け前の風は、約30ノット。正しく、「風のウェリントン」のイメージに相応しい状況である。
 今回のタスマン海横断は、航路が西から東へ、低気圧の進行方向と同じであったがために、意図的に前線をやり過ごし、その間に東進できた点で航行し易かったと云えよう。過去(23年前)に、オークランドからシドニーに向けて西進した時は、タスマン海の洋上で低気圧が発達し、5メートルを超える巨大な「うねり」と強風浪に逆らっての航行だっただけに今回の比ではなかった。然し、今回も左右30度に近い揺れを経験したことで、実習幹部にとっては、「潮気(しおけ)」と「海の男のやせ我慢」を体得する上で、思い出深い航海であったと思料する。  ともあれ、大過なくタスマン海が横断できたことを、天に感謝する。

     ○ 「 風浪に 挑む男の 心意気 」
     ○ 「 パレードの 祝いの列に 歴史観る 」

 0843、OPTに横付け。
 生憎の日曜日にも拘らず、在ニュージーランド(N.Z)日本大使館関係者がN.Z海軍の連絡士官と共に出迎え来艦する。
 ウェリントンでは仮泊を取り止め、直接入港したために、直ちに行事等の細部調整を開始する。
 N.Z海軍参謀総長I.Hunter少将の名代として、R.Jackson中佐が歓迎の言葉を伝達する。
 午後、実習幹部に対する、在N.Z日本大使館 佐々木 参事官の「N.Z事情講話」に同席する。
 夕刻、実習幹部52名がウェリントン市内の各家庭に招待され、「アット・ホーム」の雰囲気に浸る機会を得る。N.Zにおける「アット・ホーム」は、23年前に実習幹部でオークランドを訪問した時にも実施された記憶があり、この国の人達の、心温まる歓迎振りが伝統として受け継がれている、との感を深くする。
 2000頃から、「ジャパン・ソサエティ」主催の歓迎パーティに、司令官、各艦長等と出席。在N.Z日本国大使 井口武夫 閣下も令夫人と共に出席される。驚いたことに、大使令夫人は「ノルウェー」で御一緒した浅尾元大使(現国際交流基金理事長)の妹の由。「世の中は狭いものだ」と、暫し、浅尾大使との思い出に話が弾む。
 マオリ族による「歓迎の踊り」が披露され、大使、司令官、小官、各艦長は「踊り子」から歓迎の挨拶に「鼻合わせ」される。
 和気藹々のうちに歓迎パーティは終了する。


「踊り子」から鼻を合わせられる田代「かとり」艦長。海の猛者もタジタジ!

[ 第5回 了 ]