遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第6回 ウェリントン ~ パペーテ

元首席幕僚  佐藤 常寛

7月27日(月)
快晴。
 午前、司令官は表敬訪問。留守を預かり、身辺整理。
 1150から、在N.Z 日本国特命全権大使 井口武夫 閣下、N.Z国防大臣  G.Hensley  閣下、及びN.Z海軍副参謀長 K.Wilson 准将に対し、夫々栄誉礼を実施。終了後、司令官主催艦上昼食会。昼食会の席上、N.Z 外務省の局長から「N.Zの雰囲気が漂うパブ(居酒屋)」を教示してもらう。
 午後、実習幹部に対する、井口大使の「N.Z事情」講話に同席。
 夕刻、司令官主催艦上レセプション。Cooper 国防大臣、井口大使、ドイツ等の16ヶ国大使、N.Z 国防軍参謀総長 S.Teagle 中将の各夫妻をはじめ、「アット・ホーム」に招待して頂いたN.Z人家庭の夫妻や子供等、総勢311名のゲストで「かとり」艦上は賑う。
 レセプション終了後、オーモンドソン・昭子(旧姓、太田昭子さん。同期の太田豊君の姉上で、先の大戦末期に沖縄で自決された、太田実海軍中将の子女。林司令官の同期、落合畯(たおさ)[養子に出て母方の姓]将補の姉上でもある)
 夫妻の招待で、司令官、各艦長と共に同女史宅を訪問、歓談する。
 話が3年前に亡くなった御母堂、「太田かつ」様に及び、小官が新婚所帯を呉市で御母堂にお世話戴いた時、「貧乏少尉は一間でよい」とて、本当に6畳一間の借家だった旨述べると、母上を懐かしんでか、涙を浮かべ喜ばれる。
 辞去する前に、司令官、小官、田代「かとり」艦長が夫々の感慨を込めて、海にちなむ歌等を個々に唄って、置き土産とする。

     ○ 「 婚(ゆ)きし姉 同期(とも)に代わりて 慰問する 」

7月28日(火)
快晴。
 1030から、小林公使夫人、「ジャパン・ソサエティ」会長 B.Feehan 夫人等8名を招いて、司令官主催艦上茶会(司令官は裏千家のお点前を修得されており、自ら茶を点てる)。引き続き、昼食会。オーモンドソン・昭子女史も併せ招待し、感激して戴く。
 午後、家族等に便りを認める。
 夕刻、井口大使主催夕食会。司令官、各艦長、副長等と私服にて出席。大使の心配りでオーモンドソン・昭子女史だけ紅一点。
 小官と浅尾元大使との関係の故か、井口大使も二人だけの時には、忌憚のない意見と話題を提供して下さった。特に、大使は深海海洋法に造詣が深く、「深海海洋法会議」での、米・ソ間の駆け引きは中々面白い話題だった。
 本来、深海に於ける資源開発が目的の会議(参加は米・英・仏・ソ連・日本の5ヶ国)の資料を使い、米国がソ連の沈没原子力潜水艦を引き上げたことから、ソ連の代表が全員更迭され、KGBの要員に入れ替えられた実話は、下手な小説より面白かった。また、井口大使は練習艦隊のウェリントン訪問に際して、大使館内の歓迎準備のために「特別プロジェクト・チーム」まで編成された由にて、その熱意には胸を打たれた。司令官以下の主要幹部を接待するこの日のために、「カラオケ・セット」まで急遽購入されたとの事。細かい気配りには頭が下がった。更に、呉市出身の昭子女史のために、調子っぱずれながら、「瀬戸の花嫁」を昭子さんとデュエットされたのは、今夜のクライマックスなり。

     ○ 「 節はずす 大使の唄に 真心(こころ)知る 」

7月29日(水)
晴れのち曇り。
 司令官はフェザーストーン(元日本兵捕虜収容所があった場所)方面での行事出席のため各艦長を帯同、夕刻まで不在。留守を預かり在艦、身辺整理。
 昼食を先日N.Z外務省の局長に教わったパブで摂るため、主要幕僚と共に出掛ける。車中から見る街はいかにも英連邦の国の首都らしく、落ち着いた雰囲気である。年間に200日は風が吹くと云われる人口約30万人のこの都市は、海岸から直ぐに続く丘陵地帯の頂上まで、良く手入れの行き届いた家々が、強風にも負けぬ風情で連なっている。
 途中、「海洋博物館」を見学。1858年当時までは、ウェリントン港は砂浜だったことを知る。また、1968年には湾内で錨泊中の客船が、強風の為に転覆し51名の犠牲者が出たことも併せ知る。「風のウェリントン」の異名の通り、港内の風は直ぐに30~40ノットに達する。今回、仮泊なしで直接横付け入港するよう、リコメンドしてきたN.Z海軍の意図を改めて理解する。
 昼食のため訪ねたパブは、国会の傍にあってその名も「Backbencher」(即ち、議会の議員席後方に座る若手陣笠議員;英連邦では日本と異なり、ベテラン議員が前に座る)で、店内のあちこちに有名議員を面白可笑しく風刺した、漫画チックで表情豊かな顔の人形が飾ってあり、中々凝った造りの店である。海の幸と地元のビール(ビター)でリラックスのひと時を過ごし、1430帰艦。
 夕刻、N.Z海軍参謀総長 Hunter 少将主催晩餐会に、司令官、各艦長と共に出席。正式晩餐会の服装指定のため、司令官と共にメスドレスで出掛ける。各艦長も黒制服に蝶ネクタイの略式正装でやや窮屈そうである。井口大使もブラック・タイで同席される。
 本晩餐会をもって、ウェリントンでの公式行事全て終了。

7月30日(木)
曇り一時雨、のち晴れ。
 強風。タスマン海を東進した低気圧から延びる前線が、午前中に抜けるのだろう、明け方から風強し。強風の中、燃料搭載のため係留替え。
 0807、OPTを離岸。0837、「Aotea Quay」に接岸。
 燃料搭載中に、「しらゆき」乗り組み海士の家族から、昨日生まれた新生児の肺が奇形のため、危篤との至急信入る。夫人の容態を心配した同海士が、帰国希望を申し出る。原則的には帰国させない事例であるが、本人の精神状態等状況を勘案して帰国させるのが適当と判断、その措置をとる。
 1300、井口大使が差し入れの「寿司」を持参して、送別の挨拶に来艦。
 1410、出港。パイロットは港外でヘリコプターにより退艦。
 沖合い、やや波浪あり。

7月31日(金)
曇り一時雨、海上やや波浪あり。
 休養日課。N.Zの南東沖にある低気圧の影響か、北西からの「うねり」を真横から受け、少しローリングする。針路を北東に保ち、進出速力を17ノットに増速する。これは、海軍参謀総長主催の晩餐会の席上、Wilson 准将が「N.Zの東岸は可能な限り高速で北上するのが、「Smart Move」と称し良策である」旨、リコメンドしてくれたのを参考に、タスマン海横断時の観察から南緯35度以北まで北上すれば海上は平穏になる、との予測に基づく処置である。
 日付変更(31日2400を、再び31日0000とする)。

     ○ 「 木枯らしを あとに北向き 夏を追う 」

[2回目]7月31日(金)
曇り時々雨、海上西北西からの「うねり」。
 本日から通常の訓練態勢。風船を利用して対空射撃訓練実施。
 日付変更に伴い、誕生日を2回迎えた者あり。書類等は予備ページを利用して、追加分を記録する。

     ○ 「 バースディ 増えた分だけ 2才老け 」

8月1日(土)
曇りのち晴れ、海上平穏。
 明け方、南緯32度の北に達する。深夜までのローリングが次第におさまり、夜明けとともに波静かとなる。低気圧から延びる前線の北端を越え、その影響外に出たものと判断する。当初の見積もりに比べると、前線の北端がやや北に片寄っていたが、当該海域では、このシーズンには南緯35度~32度以北で海上は平穏となる。
 「かとり」が波穏やかな太陽の下で、ボフォース(対潜爆雷ロケット)発射訓練を実施する。
 本日から8月。遠航も2ヶ月を経過し、幸いこれまで無事故であるが、中弛みを戒める観点から、8月10日(パペーテ入港)~8月31日を夏季の規律振粛期間に指定、司令官の快諾を得る。

     ○ 「 楽しさの 中に厳しさ 定めおき 」

8月3日(日)
晴れのち曇り、波穏やか。
 南緯28度を北に越え、海水温度は20度Cに達する。
 水上射撃訓練を実施する。ウェリントン出港以来、本日まで、行き合い船を1隻も見ず。

8月4日(火)
晴れ、海上平穏。
 司令官は「しまゆき」視察の為、0730「かとり」発、1700同帰着の予定で、ヘリコプターにて移動。
 気温、海水温ともに20度Cを超え、艦上体育の参加者が急増する。
 小官も健康維持のため「駆け足」を再開する。

     ○ 「 頬撫でる 潮風に向かい 汗流す 」

8月5日(水)
晴れ一時曇り、波静か。
 休養日課。「かとり」艦上運動会。
 狭いがヘリコプター甲板を有効に利用、趣向を凝らした種目とユーモアに、航海の疲れを癒す。中でも、「唐辛子と梅干し早食い競争」は爆笑の連続。パン食い競争の要領で吊り下げた、外国産の大きい「赤唐辛子」を喰い千切って食べ、熱いお茶を飲んだ後、片栗粉の中に隠されている「梅干し」を、これも手を使わずに探して食べ、種を茶碗に吐き出してからゴールに駆け込む競争である。「辛さ」と「酸っぱさ」に眼を白黒させながら、顔面真っ白で駆け込む選手に拍手喝采であった。
 南回帰線を通過。気温、海水温度ともに25度Cを超える。

     ○ 「 童心に 戻って騒ぐ 運動会 」


重い防舷物リレー、歯を食いしばり真剣な顔

8月9日(日)
曇り一時驟雨、風浪強し。
 6日頃から北東に進む寒冷前線が艦隊の針路とほぼ同航する。
 この前線は東西に大きく張り出した高気圧の間で、時に停滞し、また、東進しながら同航する。前線の中心気圧は1014~1015ミリバールで、勢力はそれほど強くないが、その真下では風が時に30~40ノットに達する特徴を示す。昨日は艦隊の進出速力を上げ、前線の東方に出て太陽の下で甲板塗装を実施したものの、夕刻から速力を落としたことから雨雲が徐々に接近し、この前線とともにタヒチ島に接近することになる。
 8日2100時の気圧1016ミリバール。艦隊の針路、東北東。風浪は南南東から、風20~30ノット、「うねり」2~3メートル。
 9日零時、気圧1015ミリバール。0330から針路を北北東とし、タヒチ島とモーレア島の間を通峡する。風浪は南へと僅かに西に回る。
 0600、パペーテ沖着、気圧1014.3ミリバール。風浪は南西から、風30~40ノット、「うねり」2~3メートル。パイロット・ボートが波浪の中を木の葉のように揺れながら接近する。
 パイロットに問えば、
「南西の風が吹く時には、当地の天気は極めて悪い」
と。
 各艦にパイロット及び連絡士官を収容後、モーレア島の仮泊地に向かう。
「しまゆき」は分離してモーレア島のオプノフ湾へ、「しらゆき」「かとり」は、この順序でモーレア島のクック湾へ向かわせる。


モーレア島の遠景

 タヒチ島とモーレア島間を横切る際、風は南西から40ノットに強まり、海面上を波飛沫(しぶき)が飛び走る。
 モーレア島に向かう間に、ふと、0100から約1時間30分程仮眠した時に見た夢を思い出す。

  - 夜航海時に、艦橋内が煌々と明るく、前方の視界が遮られる為「消灯」を命じたところ、個艦の幹部が「スイッチが判らない」と騒ぐうちに、艦が岸壁に乗り上げる -

 との内容で、実に不快な夢であった。
 しかし、これは船乗りが危険を予知する時の「危ない風のにおい」か、俗に 云う「虫の知らせ」の感じがして、信頼している訓練幕僚にだけはそっと耳打ちしておく。天候に鑑み、彼の顔も一瞬引き締まる。
 クック湾の入り口、水道幅が約200メートルの峡水道を、「しらゆき」から順に進入する。
 昔、ミュージカル映画「南太平洋」の物語に、[バリハイ島]の名でその異様な島の姿を画面に現した「モーレア島」は、奇岩で尖った山々が雲間に見え隠れし、海辺のリゾート家屋とヤシの林が、映画のワンシーンを再現している。
 クック湾入り口の手前約3マイルの海上で、久々に対景図を描く。


艦橋からスケッチしたクック湾対景図

 0800、気圧は1015.5ミリバール。
 0805、「かとり」が「しらゆき」に引き続き投錨。水深32メートル、底質は泥。錨鎖長8節(200メートル)まで展張した時、島の南西に開ける山の谷間からの風が、急激に強さを増す。風速50ノットを超え、両艦とも明らかに走錨(錨ごと艦が流されること)の恐れが出る。


「かとり」艦橋から撮影、湾内とは思えぬ強風に波頭が海面を走る

 パイロットからも、「このまま湾内に留まるのは安全ではない」旨の進言あり。
 先の夢の件もあり、直ちに抜錨し沖合いへの避退を決意、司令官の快諾を得て、艦隊にその旨発令。湾内の風速は60ノットに達する。
「かとり」は上部構造物が大きいため、風下側への回頭が極めて難しく、最終的には「後進原速」を使用、少し後進の行き足をつけて転心(艦が回頭する際に重心が位置する中心点)を艦尾に移し、艦尾を風上に上らせつつ、艦首を風下に落として回頭、北東への出港針路とする。出港時間、0834。「しらゆき」は戦闘艦らしく小回りのきく運動性能で突風の中を上手く回頭し、後に続く。「しまゆき」もオプノフ湾(最大風速54ノットだった由)から無事脱出。艦隊はモーレア島の沖合いで合同しタヒチ島の風下側に避退する。乗組員にとっては、10日ぶりの散歩上陸と束の間の憩いの時間が、再び航海に切り替えられたことで誠に気の毒であったが、自然の猛威を辛くも避けえたことで、一同安堵する。実際に、50ノット以上の強風の中、揚錨するにつれて走錨の傾向が出、その都度、機械(スクリュウ回転)と舵で耐えつつ抜錨出港した経験は、実習幹部だけでなく乗員にとっても貴重であったと考える。艦橋で勤務する航海科の海士が、「夜間の強風でなくて本当に良かったですね」としみじみ語ったことからも、モーレア島での上陸を惜しむより、むしろ、艦船事故を避けられたことに満足してくれたと判断する。
 過去、6回のモーレア島訪問では、かかる強風に遭遇した記録が無かったこと、更に、パイロット自身が湾内に入るまで風を脅威に感じていなかったことから、安易に湾内に進入して一時的にせよ艦隊を自然の猛威に晒したことは、艦隊の行動を計画する立場の責任者として、十分反省すべき点がある。
 今回の教訓から、次回、同島訪問時の留意事項。
 (1) 気圧傾度が小さくても、地形上の特徴(ハワイの強風で有名なヌワヌパリと同じ山の谷間)に配慮し、気象予察には万全を期すこと。
 (2) 湾内の風潮に不安がある場合には、運動性に優れた「ゆき」型を偵察進入させ、「かとり」型等の運動性能に問題がある艦は、湾内の確認が終了するまで、沖合いに待機させる措置も考慮すること。
 ともあれ、今回は決断が早く、走錨座礁の事故を防げた事は、幸運であった。
 沖合いに出てしまうまでは表情の固かった訓練幕僚が、「セサ(首席幕僚)、もう正夢はやめて下さいよ」と、ニヤリ笑った顔が印象的だった。
 我々二人の抜錨出港への決断が早かったのは、案外、夢の伏線があったからかもしれない。
 今晩一晩、タヒチ島の風下で我慢すれば、明日は天候も回復するだろう。

     ○ 「 夢占い 信ずる者は 救われる 」

[ 第6回 了 ]