遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第7回 パペーテ ~ パールハーバー

元首席幕僚  佐藤 常寛

8月10日(月)
晴れ、風弱く海上穏やか。
 パイロット及び連絡士官乗艦後、0835から礼砲交換。
 フランス国旗に対し、21発。日本国旗に対し、答砲21発。
 0905、パペーテ港岸壁に「入り船」右舷横付け。「しらゆき」「しまゆき」は「かとり」の後方に、2隻「目刺し」で横付け。岸壁では歓迎のタヒチアン・ダンスが盛大に行われる。在パペーテ仏海軍部隊幕僚長が出迎え。日本の公館はタヒチに置かれていないため、日本官吏の出迎えなし。代わりに、入港業務を一手に取り扱っている「タカマル船舶代理店」関係者が出迎える。横付け終了後、タヒチアン・ダンサーが「かとり」ヘリ甲板で再び歓迎のダンスを披露。


「かとり」ヘリ甲板上での歓迎のダンス

     ○ 「 ゴーギャンも この情熱に 惚れたのか 」

 1200、在ポリネシア仏軍部隊兼仏太平洋海軍部隊司令官 F.Querat 海軍中将答訪、栄誉礼実施。司令官主催の艦上昼食会に陪席。午後、身辺整理。
 1830、司令官主催艦上レセプション。パペーテ市長、Querat 中将等約170名のゲスト。仏統治領らしく、「ボンソワール(こんばんは)」と仏語が行き交う。

8月11日(火)
晴れ。午前、妻子等に便りを書く。
 1230、Querat 中将主催の昼食会に司令官、各艦長等と出席。
 仏太平洋海軍部隊司令官の公邸は、南国情緒豊かで、かつ、高級別荘の趣きあり。色とりどりの花々とヤシの木陰の中に点在する、コテージ風の家屋。芝生の庭の向こうに大きく開けるエメラルド・グリーンの海と、遥かに望む「モーレア島」の景観。正に映画「南太平洋」のシーンそのままである。食後酒に、妻の好きな「グランマニエ」をオーダーして、憩いのひと時を共有した雰囲気に浸る。1430、帰艦。1500から司令官主催の艦上茶会に陪席する。在パペーテ仏海軍部隊司令官夫人、タカマル船舶代理店社長夫人(日本人)等、8名を招待し「日本文化」の一端を紹介して、参加者から感謝される。
 終了後、熱めの風呂(通常はシャワーのみ)に久々入り、ここ数日に溜まった疲れをほぐす。1830から在パペーテ仏海軍部隊司令官 J.Hue 大佐主催のカクテル・パーティに出席。会場は南国の観葉植物と美しい花々で飾られ、松明の炎が幻想的な雰囲気を醸し出している。月は満月に近く、その青白い光がヤシの葉陰から射し込み、緑の芝生の上で繰り広げられるタヒチアン・ダンスは、集団の激しい振りと、時に、ソロで舞う女性の優美さが、素晴らしいコントラストを描く。月光を一身に浴びながら、スローのリズムに乗って踊るソロダンサーの、ゆったりした体と指の動き、そしてその動きに連れて、たおやかに長く裾を曳いて揺れる腰の赤いパレオ(タヒチの女性が身に纏う幅広の布)が妖艶で怪しく、大変ファンタスティックである。昔、帆船時代の船乗り達が、当地にパラダイスの夢を描いたのも、無理からぬものだった、との想いに耽る。
 時に、実習幹部も踊りの輪に引き出され、暫し、賑わう。ダンサーの中に、5歳程の少女(ダンサーチームの責任者の娘の由)が居り、可愛い振りで人気を独占する。


5歳のダンサー

     ○ 「 月に舞う タヒチダンサーの 細い指 」      ○ 「 腰を振り 踊る少女の あどけなさ 」

 パーティ終了後、「しらゆき」「しまゆき」の両艦長と夕食に出掛ける。
 2300、帰艦。

8月12日(水)
快晴。0800、「しらゆき」艦長の歌田君(同期)とタヒチ島内研修に出る。
 タヒチ島は人口約10万、淡路島の約2倍半の面積を有している。大小二つの島が「ひょうたん」の様に接した形をしており、大きい島には標高2241mの「オロヘナ山」が聳える。パペーテを出発してから、時計回りに大きい島(タヒチ・ヌイ)を一周する。
 タヒチ島は1767年、英海軍軍艦(ウォリス艦長)によって発見されてから、広くヨーロッパに知られるようになったが、1769年、キャプテン・クックが「金星」の「太陽」面通過観測を実施したことから、一躍有名となった。
 その後、ポマレ王朝が全島を統一したものの、ヨーロッパから押し寄せた植民地化の嵐の中で、1842年には仏の保護領に、そして、1880年、ポマレ王朝の滅亡とともに仏の植民地となった。仏の画家ゴーギャンが制作活動に従事したのも、丁度この頃である。
 1958年、タヒチを含む仏領ポリネシアは植民地から海外領に昇格し、ほぼ完全な自治権を得た。しかし、艦上昼食会で同席した現地政府の副大統領の話では、仏本国からの干渉が強く、半統治下にあるとの由。
 火山が形成したタヒチ島は、海岸からすぐに峻険な山が連なり、その山々の谷と尾根とが交互に重なり合うため、道路は海岸に沿って山裾を縫うように走っている。パペーテ周辺を除き丘陵部への道路は殆んど無い。途中の渓谷で観た「滝」は、ジャングルの中に聳える岩肌に「白糸の滝」の風情で流れ落ちており、一見の価値があった。
「ゴーギャン博物館」には実物の絵画は殆んど無く、大部分が模写を掲げており、観るべき価値はなかった。ゴーギャンの人物画の構図は日本の浮世絵を模倣しており、あまり良い印象は受けなかった。
 1300、「イアオラナ」の空軍将校クラブでの昼食会に合流。招待を受けた艦隊のスクーバ・ダイビングの諸君とともに、仏軍人のダイバー達と昼食を共にする。「サンゴ礁」の海で潜った彼らがタヒチを一番楽しんだようである。
 1430、帰艦。

     ○ 「 同期との 気儘な旅で 疲れ癒え」

 1900から「タカマル船舶代理店」の A.Brun 社長宅での夕食会に司令官、各艦長等と出席。同社長夫人は日本人で、「南太平洋」の映画に触発されてタヒチに来たとのこと。仏人と結婚したところなど、結構、「南太平洋」のストーリーを地で行っているようで、映画の思わぬ影響力の大きさに、一寸(ちょっと)戸惑いを感じた。また、ご主人の Brun 氏は1950年代初頭に、タヒチから竹製の「筏」で南米チリーまでの航海に挑戦した冒険家であり、小柄ではあるが中々負けん気の強い、話の面白い人物である。
 この南米行きの発端は、ノルウェー人を中心とした筏の「コンチキ号」による、太平洋の西航(せいこう)海流を利用した航海移動説に対する反論 ―即ち、ポリネシア人は南太平洋の東航(とうこう)海流を利用して南米大陸に渡った― を立証するためだったとの事。結局、氏の冒険は、筏の沈没により成功していないが、在ノルウェー防衛駐在官時代に何度となく訪れた、博物館保存中の「コンチキ号」との奇縁に、同氏との話が弾んだ。
 Brun 氏宅の夕食会には、今回の寄港でお世話になった入国管理事務所長夫妻を始め、日・仏約20名余の身近で気楽な客が招待されており、終始、和気藹々(あいあい)の雰囲気で時が流れ、最後には、各人が歌を披露することになった。
 仏人の前で日本語の歌ばかりでも駄目だろうと、司令官がドイツ語で「菩提樹」のさわりを、小官がイタリア語で「オーソレ・ミオ」を熱唱して盛り上げ、喝采を博す。2330、「まだ帰るのには早すぎる」との再三の引止めの申し出に、心からの感謝を込めつつ、明朝の出港に備え同社長宅を後にする。

     ○ 「 時忘る 海の男の 冒険談 」

 今回のタヒチ訪問では、乗員の多くは南海の浜辺で日中を健康に過ごし、小官も今遠航で初めて、約半日の自由時間を得た。次のパールハーバー迄の航海中に、丁度、遠洋航海の中間点を迎えるが、短時間とはいえ、道半ばを前に休養できたことは、本タヒチ訪問における最大の収穫であった。

8月13日(木)
晴れ、海上平穏。
 0908、在パペーテ仏軍部隊司令官夫人、「タカマル船舶代理店」関係者の見送りを受け、パペーテを出港。針路を真北とする。満月の夜航海。

8月14日(金)
晴れのち曇り、波穏やか。
 東から真横の「うねり」があるため、艦は静かなローリングを繰り返す。
 本日、日本は8月15日の「終戦記念日」。艦隊は、0800から日没まで、終日、艦旗を半旗として航行する。日本時間の正午に合わせ、1700から、1分間の黙祷。戦没者への慰霊と新たなる平和を祈念する。

     ○ 「 終戦日 洋上に誓う 平和の灯(ひ) 」

8月16日(日)
晴れ一時曇り、波静か。
 水上射撃訓練実施。
 23時19分10秒に西経149度30.5分の位置で、赤道を通過し北半球に入る。帰りには賑やかな「赤道祭」もなく、粛々として赤道を通過する。
 無事、北半球に戻ったことで、これから後半が始まる遠洋航海の安全のため、思いを新たにする。

     ○ 「 帰りには 静かに通る 赤道線 」

8月18日(火)
晴れのち曇り時々驟雨、海上平穏。
 休養日課。針路を北北西に変え、ハワイに向首する。緯度は北緯10度付近に到達、太陽高度はほぼ真上となって、気温が30度を超える。
 強い陽光を浴びて、海の色は素晴らしいコバルト・ブルーとなる。
 太陽が直上を通過する得難いチャンスだけに、実習幹部に対して正中時(太陽が頭上を通る時間)の天測を励行させる。


天測;六分儀を使い、昼間は太陽を、薄明・薄暮時は星の高度を測り、補佐は測定時間を秒単位まで正確に記録する。観測高度と時間を基に「天測暦」と「計算表(旧海軍の米村中佐作成)」により計算。計算結果を運動盤作図し艦位(緯度・経度)を求める。慣れないうちは艦位決定に数時間を要し実習幹部を泣かせる。

 夕刻、「かとり演芸大会」。趣向を凝らした各演芸に爆笑の連続。審査は大変難しかったが、結局、掌砲術士が率いる1分隊の「座頭市逆さ切り」がストーリーの面白さと迫力のある殺陣で、見事優勝。

     ○ 「 座頭市 にわか役者の 技冴える 」

8月20日(木)
晴れ一時曇り、時々驟雨通過、波穏やか。
 僚艦を仮装潜水艦に見立て目標とする、机上対潜訓練実施。青空の中を、時折、積雲がスコールを浴びせて通過する。スコールに架かる七色の虹が周囲のコバルトの海に映え、一段と美しい。

     ○ 「 僚艦に 夢を降らせる 虹の橋 」

8月22日(土)
晴れ、海上平穏。
 明け方、ハワイ諸島最大の「ハワイ島」の西方、約60マイルに到達する。
 本日、第1回目の「エンスン ・ディ」実施。
 (注)エンスン;Ensign 海軍少尉。実習幹部(初任3尉)の総称として使用。
「エンスン・ディ」は一日の訓練を、実習幹部が計画して自ら訓練するもので、彼らの自主性を引き出し積極的に訓練に取り組ませるのが狙いである。
但し、「エンスン・ディ」は一日の訓練を計画することから、事前の準備にかなりの時間を要する為、今年度は、この他に、「エンスン・イベント」を設けて、単一の訓練項目を適宜指定し、実習幹部に自主計画・訓練させることにより、更なる効果を期待した。


現場指揮官から電話員まで実習幹部自らが配置に付く

 実習幹部の自主性と積極性とを発揮させる観点からすれば、「エンスン・ディ」及び「エンスン・イベント」方式は、今後とも効果的と思料する。
 本日は、陣形運動、旗流信号、防火及び溺者救助の各訓練実施。

     ○ 「 エンスン・ディ 自ら鍛え 意気上がる 」

8月23日(日)
天気晴朗、波静か。
0727、ワイキキ沖仮泊。約2年振りにオアフ島を間近に観る。
 (注)約2年前、在ノルウェー防衛駐在官勤務終了後の帰朝時ハワイに立ち寄った
 在ハワイの海自連絡官来艦、入港後の行事等調整。日本からの郵便物受領。

[ 第7回 了 ]