遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第9回 アンカレッジ ~ エスカイモルト

元首席幕僚  佐藤 常寛

9月6日(日)
曇り一時雨のち晴れ。
 0633、「ホーマー」沖出港。「クック入江」を遡上してアンカレッジに近づくにつれ、海水は雪解け水が運んだ微細な泥に混濁されて一面黄褐色となる。
 海水の流速は3.5ノット。この入江航行中の特徴は浮流物が多いことである。通常の流木の他に、長さが4~5mある海草(北の海の昆布の一種)が根元から切断された状態で「渦状」になって流れている。時には、この海草が寄せ集まって流れているため、あまりに多い場合には海草の浮遊群の合間を縫うように航行せざるをえない状況となる。陸測艦位は左右の陸岸が時として平坦になるため正確さを欠くことがあるものの、点在する石油掘削用ステーションが海図上に精密に記載されており、この活用が有効である。アンカレッジの沖合いにある「ファイアー島」周辺は、上流から運ばれた土砂の影響で浅くなることがあるとの情報であったが、今回は測深結果」と海図上の水深とはほぼ一致し問題はなかった。但し、パイロットによれば、浅瀬を示すブイが10月以降は、流水による破壊を避けるために撤去されるので注意を要するとのこと。
 1630、米太平洋軍アラスカ・コマンド司令官 J.Ralston 空軍中将に対し15発の礼法発射。練習艦隊司令官に対し、入港岸壁に用意された陸軍の移動砲から13発の答砲あり。(注)パールハーバー入港時、日・米両国国旗に対する礼砲は終了した為、司令官に対してのみ礼砲交換


「かとり」艦橋下の前甲板で礼砲発射

 1658、アンカレッジ市営桟橋に右舷「入り船」横付け。
 岸壁には日曜日にも拘らず、米太平洋軍アラスカ・コマンド代表 Sausser 陸軍准将、在アンカレッジ日本国総領事 佐久間平喜 閣下夫妻、アンカレッジ市長代理をはじめ、在留邦人及び日本人学校生徒等約100名が「日の丸」の小旗を振り出迎える。入港後、岸壁において簡単な歓迎セレモニー。「S」准将、佐久間総領事、「ア」市長代理からの歓迎スピーチの後、司令官に対し日本人小学生が歓迎の花束を贈呈。気温8度Cの寒気の中、心温まる歓迎行事。
 2000から井上領事の実習幹部に対する「寄港地事情講話」に同席。
 アンカレッジ港は潮の干満差が極めて大きく、今回の寄港中は最大で9mに達する。この為、岸壁に直接「もやい」を取った「かとり」は、1日に4回も「もやい」の調整と桟橋の架け替え作業を余儀なくされる。「かとり」に横付けし岸壁との干満差の影響を直接受けない、「しらゆき」「しまゆき」の僚艦が「かとり」の作業を支援するための要員を、毎回、快く「かとり」に派遣しているのは見ていて気持ちがいい。
 艦を出入りする乗員の安全確保のために、岸壁と「かとり」甲板との高さの関係を、潮汐に応じて夫々図示し舷門に表示する。


干潮時には潮差に合わせ桟橋を次々上部甲板に移して出入り

9月7日(月)
晴れ。
 米国は「レーバー・ディ」の休日。従って、「献花」以外の米軍公式行事は明日に予定される。
 午前、司令官は「米軍戦没者慰霊碑」及び「アッツ島日本人戦没者慰霊碑」に献花のため不在。留守を預かり在艦、身辺整理。
 1200艦発、私服で司令官、各艦長等と「木曜会(日本企業を中心とした会)」主催の昼食会に出席。会場になった「アリエスカ・リゾート」は西武グループが本腰を入れて開発に乗り出しているとの事。昼食会には佐久間総領事夫妻も出席される。会食後、「ボルテージ氷河」を見学。ノルウェーの「ブリクスダル氷河」とは規模の点で比べようもない程小さいが、港から車で1時間以内の距離にあって手軽に氷河が見学できるのは、アラスカの利点である。
 1630帰艦。


港から1時間の近距離にある「ボルテージ氷河」

 1715、制服にて司令官、各艦長等と「日本人会主催歓迎レセプション」出席のため艦発。会場は「アジア文化会館」。
 在留邦人とその子弟、実習幹部が一同に会して婦人達心尽くしの家庭料理と音楽隊演奏を楽しんだ。終了後、在アラスカ30年になるヒロコ・Nito夫人に自宅招待を受ける。3名の艦長と共に制服のまま実習幹部4名を含め、温かい歓待に感謝する。夫人の次男は米海軍兵学校を卒業して、現在は第7艦隊旗艦「ブルーリッジ」(横須賀所属)乗り組みとのこと。横須賀帰投後にご子息に連絡する旨約し、帰艦。

     ○ 「 アラスカの 風雪に耐えた 女(ひと)強し 」

9月8日(火)
快晴。
 午前、司令官は表敬訪問のため不在。留守を預かり在艦。
 1100から司令官の記者会見に陪席。TV、ラジオ各1社が約15分インタビュー、内容は練習航海一般にとどまり、政治的な質問はなく順調に終了。
 1215~1230、米太平洋軍アラスカ・コマンド司令官 Ralston空軍中将、佐久間総領事が答訪され、夫々に栄誉礼実施。
 終了後、司令官は地元の「サンドレイク小学校」校長(女性)と横須賀市から委託された児童画を交換、これに列席する。総領事も同席され、ラジオ1社が模様を収録する。


「サンドレイク小学校」校長と児童画を交換する林司令官

 1245から司令官主催の艦上昼食会に陪席。「サンドレイク小学校」校長と隣席になったため、同校の教育について貴重な話を聞く機会となる。校長によれば、アラスカは米国内では日本との貿易が一番上手くいっている州(州の対外貿易の74%は日本向け)のため、親日的であり日本語教育に対する親の希望が多い。このため同校では言葉としての日本語教育の他に、希望に応じて科目毎の日本語による教育、例えば、「算数」の授業を日本語で実施して好評を得ているとの事である。現在の生徒数は約250名であるが、日本語の授業が受けたいために、日本で俗に云う「越境通学」の児童がかなりいるとの由。
 1500から、アラスカ・コマンド参謀長のシートマン陸軍大佐による実習幹部に対する講話に同席。東西の二極ブロックが崩壊する世界の軍事情勢とその状況下における西側友好国の協調、就中、米・日軍事協力の重要性を強調。
 1700から、佐久間総領事の実習幹部に対する講話に同席。自己の経験を基にした勤務参考が主な内容。
 1830から、艦上レセプション。「R」司令官、佐久間総領事、Finkアンカレッジ市長各夫妻等約230名のゲストで賑わう。北緯61度の当地は日没が、2050頃であるために明るい内にレセプションが終了する。終了後、レセプションに出席されたNito夫人から、再度、自宅招待の申し出があり、田代「かとり」、歌田「しらゆき」両艦長と招待に応じる。同夫人は経営していたスーパー・マーケットを長男に譲って、現在は副社長で悠々自適の由にて、近所の友人、知人を集めアラスカの海産物で歓待される。米陸軍軍人だったご主人とは子供4人を授かった後、数年前に離婚されたとのことだが、そのご主人が再婚し大学教授となって近所に住み、成人した子供達が自由に行き来している点は如何にも米国らしく、また、深い事情は分からないが韓国系の義理の娘まで手元に置いて面倒を見ている点など、正(まさ)しく、「アラスカ版の肝っ玉母さん」の趣。同期3名だけの気軽な招待のため、日本出港以来、初めて絨毯の上で胡坐を組み、集まった人達(いずれも中年以上の日本人男女7名~8名)が話すアラスカの生活事情を傾聴しつつ、歓談を大いに楽しむ。
 アラスカでは「ヒグマ(Brown Bear)」との共存関係が重要視されており、このため、人が「鮭釣り」をする5~6m先で「ヒグマ」が鮭捕りに夢中になっているのは、普通の風景との事である。アンカレッジ市内にも「ヒグマ」が時々出没するとのことだが、人が熊に殺されても三面記事どまり、しかし、人が熊を殺せば一面トップ記事になるそうである。また、「ヒグマ」は鮭の多い時期には皮だけを、少し減ってくると「卵(イクラ)」だけを、そして、鮭の上り始めと、上り終わりの数の少ない時期には、鮭の頭から全てを食べるとの話は、熊なりに自然の摂理の中で許される範囲の贅沢を楽しんでいるようで興味深かった。更に、低い段差の「滝つぼ」付近では、熊が口を開けて待っていると、ジャンプした鮭が自動的に口に飛び込むとの嘘のような本当の目撃談には、皆で大笑いした。暫し、仕事を忘れリラックスした愉快なひと時であった。

     ○ 「 雄大な 自然が許す 獣保護 」

9月9日(水)
晴れのち曇り。
 午前、妻子等に便りを認める。1100艦発で、「しらゆき」艦長の歌田君と昼食に出掛ける。
 アラスカの人口は約54万人、この内約25万人がアンカレッジに住んでいる。アラスカは1867年、経済的に苦しかった帝政ロシアが僅か720万米ドル(当時の米国国家予算の約三分の一)で米国に売却した土地だが、その後に、金鉱や石油が産出されて注目を集め、1959年、第49番目の州に昇格した。在留邦人は約500名足らずだが、最近、韓国人の移住が凄まじく、その数は、現在約1万6千人に膨張しているとの事である。日本航空の旅客便の乗り入れが取り止められたこともあり、日本人の数は、今後、更に減少するものと見積もられている。
 1230、帰艦。1400、実習幹部のスポーツ交歓を司令官代理(司令官は在留邦人の夫人8名に艦上茶会の先約があり在艦)で視察するため艦発。エルメンドルフ米軍基地内でサッカー、ソフトボールの試合を視察兼応援する。終了後、親善のバーべキューに参加し関係者に挨拶。1730帰艦。
 1900から、司令官、各艦長等と総領事主催の夕食会に出席。2次会は公邸地下室での「カラオケ大会」となる。司令官の歌の前に、頼まれて「昴」を唄う。最後に、東北出身の総領事の「相馬盆唄」(東京出身の総領事夫人が、東北のこの唄だけは止めてと頼むのに、何時もわざと唄うんですのよ、と云いつつ皆を笑わされたが、何処の夫婦も何かが面白くて「味」があるものだと、フッと一人笑いする)を拝聴して辞去する。

     ○ 「 民謡に 人柄にじむ 総領事 」

9月10日(木)
晴れのち曇り、気温2度C。
 今年一番の低温で、この時期としては数十年振りの寒さとの事。体感気温は真冬である。
 0758、佐久間総領事夫妻、米軍関係者及び在留邦人等約20名の見送りを受け、アンカレッジ出港。クック入江を下流に向かうに従い、雲の晴れ間から周囲の高い火山性の山々の姿が、鮮やかに遠望できる。アラスカ周辺の山の特徴は、鋭く尖った頂にある。聞いたところでは、アラスカの山は麓から山頂までの落差が大きく、更に、下から頂に向かって吹く風が激しく、その自然の厳しさは世界でも例が少ないとの由。冒険家の植村直己氏が遭難したのも致し方なかったと痛感する。ここ数日間の寒波で山の白さが一段と増している。
 1600、「ホーマー」沖でパイロットを降ろし外海に出る。北西からの風で海上は少し白波があるものの、艦尾から受けるために動揺は小さい。

9月12日(土)
曇りのち晴れ、波浪やや高し。
 針路を東南東に定め、僚艦を潜水艦に見立てた机上対潜訓練を実施。
 横須賀を出港して百日が過ぎる。遠洋航海では、昔から、経験を基にしたジンクスが幾つかあり、その一つが「魔の百日」である。日本人の特性なのか、祖国を離れて百日を過ぎると、途中いかに寄港地が多かろうとも、全体の動きと判断力が「鈍くなる」傾向を示す。先入観に捕らわれてはいけないが、その視点で艦隊の動きを見ると、訓練の諸動作の端々に多少その傾向が現れている。これは長期航海で蓄積された疲労に加え、外地での言葉のハンディからくる精神的な疲れが重なること及び同種訓練の繰り返しからくるマンネリに起因するものと推察される。自らも含め、司令部幕僚の要務処理に万全を期すよう注意を喚起する。次の仮泊地での指揮官参集で、各艦長にも司令官から示達して貰うこととする。
 夜、雲の間から「中秋の満月」が顔を出す。北米大陸の沖で「秋」を感じる。

     ○ 「 故郷(ふるさと)の 人も見るらむ この「月」を 」

9月14日(月)
快晴、海上静穏。
 0800、カナダ海軍の艦艇3隻と会合し親善訓練実施。


カナダ海軍の補給艦及びフリゲート艦と「ハイライン」実施中の「しらゆき」

 人員移載、陣形運動等の訓練はお互いに米海軍との共同訓練を経験している海軍同士のためか、極めてスムースに終了する。久々に「キングズ・イングリッシュ」らしい英語を耳にする。
 訓練終了時に、カナダ海軍の補給艦を分離帰投させる。
 訓練後、カナダ海軍側指揮官の第4駆逐隊司令 K.Nason 大佐が司令官に対し、「通過儀礼(Order of Pass)」の許可を求めてくる。司令官は直ちに快諾。
 カナダ海軍の2隻は、横距離50mの近距離を高速で通過しつつ、号笛(ホイッスル)を鋭く響かせながら司令官に敬礼する。司令官はラッパにより答礼。
 共にスマートなり。

9月15日(火)
快晴、海上凪。
 カナダ海軍2隻(第4駆逐隊)の先導で夜航海、エスカイモルト沖に進入。
 0700、カナダ海軍の2隻を分離。
 0750、エスカイモルト港外に仮泊する。

[ 第9回 了 ]