遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第10回 エスカイモルト ~ マンサニーヨ経由アカプルコ

元首席幕僚  佐藤 常寛

9月16日(水)
快晴。
 0743、エスカイモルト沖出港。0812から礼砲交換開始。
 カナダ国旗に対し21発。日本国旗に答砲、21発。
 カナダ軍太平洋海上部隊司令官 R.C.Willer 少将に対し13発。練習艦隊司令官に対し答砲、13発。「W」少将はエスカイモルト軍港入り口の突端において夏礼装(帯刀)で出迎えられる。
 礼砲交換後、艦隊は登舷礼のまま各個艦毎、「W」司令官に敬礼を実施する。
 各艦がラッパによる「敬礼」に合わせた登舷礼一斉挙手の礼をすれば、「W」少将側が答礼号笛(ホイッスル)を返す。
 静寂な軍港に響き合うラッパと号笛。
 海軍同士の「礼と心」の交流が見事に決まる瞬間は、一幅の「絵」の如し。


カナダ軍太平洋海上部隊司令官R.C.Willer少将自ら礼装帯刀で出迎え

 0836、エスカイモルト海軍基地「A」突堤に出船「左舷横付け」。
 岸壁には親善訓練を実施した、第4駆逐隊司令及び参加各艦長が出迎え、カナダ海軍軍楽隊が歓迎の意を込め、日本の「軍艦マーチ」を演奏する。
 入港後、岸壁で司令官及び各艦長に歓迎の花束がカナダ海軍から贈呈される。
 午前、司令官は表敬訪問。留守を預かり、在艦し第4駆逐隊司令のK.Nason大佐と懇談。同大佐が小官と同じく「英国海軍大学幕僚課程」に留学した経験を有し、而も、小官の一期先輩と判りすっかり意気投合。
 全くもって「世界は狭い(Small World)」と大笑いする。
 司令官主催の昼食会に先立ち、カナダ軍太平洋海上部隊司令官 Willer 少将、在バンクーバー日本国総領事 林 安秀 閣下に対して夫々栄誉礼を実施。
 昼食会に引き続き、1430から司令官に対する記者会見に陪席。女性2名を含む新聞記者5名による会見は、注目の「PKO参加」に関する質問は出たものの、司令官の適切な応答で問題なく終了する。
 1500から 林 総領事の実習幹部に対する講話に同席。
 1900から司令官主催の艦上レセプション。
 驚いたことに、在日カナダ大使館武官であった R.Richards  元海軍大佐が、退役後の旅行中に夫人の Nancy さんを同伴して出席、旧交を温める。


小官が海幕渉外班長時に親交のあった元在日カナダ武官R.Richards夫妻

 更に、旧知の元海自幹部(潜水艦先輩)「奥村 明士 元1佐」が海自退職後の旅行の途上に実習幹部の子息「武士(たけし)」君に面会の為、夫人同伴で出席された。
 正に、「千客万来」の呈である。
 「W」少将夫妻、林総領事、カナダ海軍関係者等約190名のゲストで賑う。
 レセプション終了後、幕僚8名とともに「スワン・ホテル」のパブに繰り出し懇談、英気を養う。2330、帰艦。

     ○ 「 人の輪は 繫がり行きて 無限なり 」

9月17日(木)
快晴。
 午前、司令官は献花の為不在。留守を預かり、在艦。
 1030から、カナダ海軍が艦隊のカナダ訪問中(16日~19日)に誕生日を迎える艦隊乗組員11名に「バースデイ・ケーキ」をプレゼントするとの事で、帰艦直後の司令官及び各艦長と共に同席、祝福する。カナダ海軍の粋な心尽し也。
 1115、司令官と2人で総領事招待の昼食会に出席の為、迎えに来られた林総領事に同行し艦発。「Oak Bay Beach Hotel」で昼食を摂りながら3人で懇談。ホテルの窓を通して望む、青空の下に広がる濃紺の海と白帆のヨット、その奥遙かに連なる米国側の頂に雪を残す山脈の景色は雄大で、心を豊かにさせる。
 話題の豊富な昼食会を終え、1430、帰艦。

     ○ 「 雄大な 景色を前に 清談す 」

 1630、カナダ軍太平洋海上部隊司令部の参謀長 Steel 大佐が家族を同伴して、急に艦見学に訪れる。互いに配置が同じこともあり、快く対応する。
 1900から「W」少将主催の夕食会に司令官、各艦長と出席。2130、帰艦。帰艦後、改めて、同期の田代、歌田両君、「しらゆき」補給長の浅利君と昨夜のパブに出かけ、暫し懇談。2345、帰艦。

9月18日(金)
晴れのち曇り。
 午前、司令官はカナダ海軍の招待で「鮭釣り」に参加。釣り好きの歌田「しらゆき」艦長を同行させる。留守を預かり、在艦。
 司令官出発後、程なく、第4駆逐隊司令の Nason 大佐から呼び出し電話あり。岸壁に近い彼の執務室を訪問、懇談。話の途中で彼の秘書が電話を取り次ぐ。
 首都、オタワからである。「N」君はニコニコ笑いながら、黙って電話を小官に渡す。電話の向こうは、驚いたことに「英国海軍大学」で同期の B.Weaver 君である。「B.W」君は、昨年彼が来日した折に、都内で妻子とともに接遇したが、それ以来の近況を互いに知らせ合う。「N」大佐の粋な計らいに感謝し帰艦。

     ○ 「 異国での 粋な計らい 心うつ 」

 1130、「R.Richard」元在日カナダ武官夫妻が来艦。
 昼食を供し懇談。途中、司令官が帰艦。司令官も「R」夫妻とは旧知の間柄なので、暫し談笑。司令官は大物の「鮭」を釣ったと、ご機嫌で披露される。
 1300から「R」夫妻の車で「ブッチャー・ガーデン」に歌田君と出かける。同園は「ブッチャー」氏の個人花壇を一般に公開しているものだが、世界の花々が見事に咲き誇っており、十分に鑑賞の価値がある。
 帰りの道で紅葉し始めた木々に晩秋を感じる。
 人口約7万人のビクトリア市は、カナダ国内で最も温暖な気候のブリティッシュ・コロンビア(B.C)州の州都で、その美しい自然と住み易い環境から、老後をこの地で過ごす夫婦が多いとの事である。しかし、車内から眺めると、郊外の宅地造成が想像以上に盛んである。「R」君の説明によれば、「香港」返還が間近に迫った昨今、中国への帰属を善しとしない資産家が多数「B.C」州へ移住してきており、この為、物価や地価が高騰し始めているとの事。バンクーバーに近いリッチモンド方面では、既に約25万人の中国人が移住しており、今後、この方面での人種問題が表面化する恐れがある由。1700、帰艦。

     ○ 「 カナダにて 旧知の友と 花を愛(め)づ 」

 1900からカナダ海軍主催の艦上レセプションに司令官、各艦長等と出席。
 2100、帰艦。身辺整理、妻子等に便りを書く。

9月19日(土)
晴れのち曇り。
 「0904、「W」少将が出張のため、代理の参謀長 Steel 大佐、第4駆逐隊司令 Nason 大佐等の見送りを受け出港。
 今回、カナダ軍の太平洋側最大の海軍基地であるエスカイモルト訪問では、行事等が全て計画通り「スマート」に処理されたことから、小規模とは云え、部隊としての能力とその士気は極めて高く維持されていると認められる。さらに、基地内の下士官、兵の挙措動作はキビキビしており、士官に対して欠礼がないことも見事である。実習幹部にとっても良い刺激になったものと思料する。

     ○ 「 スマートな シーマン・シップに 見る伝統 」

 1300、ファン・デ・フーカ海峡を出る。
 針路を南に定める頃から視界が急激に悪くなる。貨物船、漁船等の行き合い船あるため、約2時間、「霧中航行」を実施。部隊にとってこの霧は、航海への緊張感を高める観点からすれば、絶好のタイミングで出たものである。
 北半球の高緯度を航行する時には、霧が一番警戒すべきものと判断し、司令部としても気象情報の早期入手及び天気予察の先見に努めてきたが、幸い、アラスカの往復路では霧に行動を阻まれる事は無かった。
 しかし、艦隊は海上実習の基本演練の反復には努めているものの、日本を出港以来、これまで海上模様に恵まれて来ただけに、部隊全般としては実際の悪天候への対処能力が高いとは必ずしも言い切れず、心して航海する要を認める。

9月21日(月)
曇り、海上平穏。
 日出前の0530頃、狭視界となる。視界は約300ヤード。
 午前予定のハイライン訓練を午後に回し、午前は各艦長所定の個艦訓練とする。0900頃、視界は回復する。
 1000から「かとり」は個艦の戦闘応急訓練。戦闘配置のまま、艦橋で久々に「缶詰飯」を食べる。


戦闘服装のまま「非常用配食」を頬張る

     ○ 「 潮の香を おかずに頬張る 戦闘食 」

1600から予定のハイライン訓練実施。

9月22日(火)
曇り、海静か。
 第3回目の「エンスン・ディ」訓練実施。
 占位運動、旗流信号、防火、霧中航行等の訓練。実習幹部の準備及び実施が少しずつだが、板についてきた感じがする。

     ○ 「 遅々ながら 実りの兆し 見えはじめ 」

9月23日(水)
晴れ時々曇り、波静か。
 休養日課。カリフォルニア半島の西南西海上を西へ約6ノットと遅い速度で進むハリケーン「Seymour」が、艦隊の南西約200マイルを通過する。早朝にはその余波で、「うねり」が少し大きくなったものの、艦隊は異状なく、平穏な航海を続ける。今年の米大陸周辺のハリケーンは、フロリダ半島やハワイ諸島に多大の被害を及ぼしており、強力で勢力の大きいものが多いが、幸い、艦隊はハリケーンを上手くやり過ごす事ができた。
 休養日課を利用して、先般、「重陽の節句(9月9日)」の機会に艦隊で募集した「文芸作品」の最終審査を実施。優秀作品(天賞)は次の通り。

[ 短歌の部 ]
 「ハワイにて 帰らん僚艦(とも)に 言伝てむ 半ばを過ぎて 我は元気と」
    (僚艦;リム・パック訓練に参加し一足先に帰国した海自護衛艦を指す)
                     (しまゆき 副長 坪倉2佐)
[ 俳句の部 ]
 「夏休み 椰子の浜辺で 子を想う」
                     (かとり 3分隊 浅見曹長)
[ 狂歌の部 ]
 「夕焼けで 家族のことを 思い出し 夜のネオンで 皆忘れ去る」
                     (かとり 3分隊 山下3曹)
[ 川柳の部 ]
 「いにしえの 記憶たよれど 出ぬ英語」
                     (しまゆき 2分隊 下田2曹)
[ その他の部 ]
 「歳をとってもマドロス気質 勇み出かける古参兵」
                     (かとり 3分隊 高田曹長)

9月24日(木)
曇りのち晴れ、海上静穏。
 早朝から濃霧。午前と午後の訓練を入れ替え実施。
 午後、「かとり」が対潜用のボフォース弾発射訓練。
 北緯25度を越えて南下、海水温度は一時26度Cまで上昇したものの、今朝は冷水海域に入って23度C。気温22度Cのため海霧が発生したものと推定する。午後には気温が27度Cまで上昇し、半袖の服装が増える。

9月25日(金)
快晴、海静か。
 早朝には凪になる程、海上平穏。
 風船を標的にした対空射撃訓練を実施。「しらゆき」は有効弾、「しまゆき」は見事に撃墜する。建造後23年経過している「かとり」とは、速射砲の能力で大きな差が伺える。「ゆき型」装備の70ミリ速射砲の性能が、従来の3インチ連装砲よりも遙かに高い事実を現認する。
 北緯21度付近まで南下、海水温28度C、気温31度Cとなって、再び、完全な真夏の海域に突入する。

9月26日(土)
曇りのち晴れ、波浪強し。
 深夜、米軍から新たなハリケーン情報を入手。
 艦隊の南方約400マイルにあって、西にゆっくり進んでいたハリケーン「Tina」の情報はその後途絶えていたが、米軍から急遽、同「Tina」に関する警報が発信される。
 同情報によれば、「Tina」は熱帯低気圧になったものの、最大風速約75ノットの勢力を維持しつつ、北北西に進路を変え航行海域に接近中との事。
 日没後の「うねり」の増大と気圧の低下から、司令部としても警戒していたところであり、直ちに針路を真東とし、増速してこれに対応する。
 0830頃、最近接距離約135マイルで回避に成功する。
 今回は早めの対処によって事無きを得たが、メキシコの沖合では気象情報が遅れがちになることに十分留意する要を認める。

     ○ 「 友軍の 気象警報に 救われる 」

9月27日(日)
晴れ時々曇り、海上平穏。
 0755、マンサニーヨに入港。
 Pemex 岸壁に「かとり」は「入り船左舷横付け」、「しらゆき」は同岸壁に「入り船右舷横付け」、「しまゆき」は「しらゆき」の外側に「右舷横付け」する。


マンサニーヨのPemex岸壁
「かとり」は写真右側、「しらゆき」「しまゆき」は写真左側岸壁に横付ける

 給油だけが目的の業務寄港のため、公式行事等は一切無し。
 従って、乗員の慰労を目的とした艦上パーティを各艦毎に企画させる。
 併せて、この機会に先般決定した「文芸作品」の優秀作表彰を実施する。
 1700から司令官と共に、慰労のため各艦を回る。
 「かとり」は後部ヘリ甲板で、艦上レセプションに準じたスタイルで、ビンゴゲームを含む立食パーティを実施。
「しらゆき」は科員食堂での立食パーティ。配乗中の実習幹部が乗員の慰労のため、寸劇を演じる。
「しまゆき」は同じく科員食堂で立食パーティ及びそれに引き続き、2200までの艦内飲酒許可に伴う2次会を愉快に実施して日頃の憂さを晴らす。
 各艦とも、乗り組幹部と実習幹部とが、乗員にサービスするとともに一諸になって歓談している光景から判断すれば、慰労の目的は十分達成したものと認める。各会場で、先任伍長が夫々お礼の挨拶に来てくれる。
 上陸時間を一時中断させた形の本慰労会は、多少、小官が強引に企画させた部分もあり、目的を達成できるか不安もあったが、各伍長の心からの笑顔に接し安堵する。 

     ○ 「 遠航も 途上の宴で リフレッシュ 」

9月28日(月)
曇り、波静か。
 0838、マンサニーヨ出港。
 同港は外からの「うねり」の影響を受けやすいため、昨夕、「かとり」の6番「もやい」が切断した。
 幸い、発見が早く大事には至らなかったが、外洋が穏やかな状態であったにも拘らず、太平洋からのゆったりした「うねり」でさえも、かかる事態を生じる港湾地形であることからすれば、寄港地として適当とは言い難い。

[ 第10回 了 ]