遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第11回 アカプルコ ~ サンフランシスコ

元首席幕僚  佐藤 常寛

9月29日(火)
晴れ、波穏やか。
 0800、礼砲交換開始。
 メキシコ国旗に対し、21発。日本国旗に対し、21発の答砲あり。
 0827、アカプルコの「Fisical Wharf」に「出船左舷横付け」する。
 アカプルコは世界に名高いリゾート地だけに、港の周囲は高級ホテルが林立している。横付けした「Fiscal Wharf」は港の一番奥に位置する岸壁にあって、同岸壁の中央から少しばかり奥の根本側である。
 アカプルコ港は観光地にも拘らず、船の横付け作業に必要な「タグ・ボート」が一隻もいない為、出入港が大変難しい港である。この為、横付け前に1番艦「かとり」と2番艦「しらゆき」は、出港時の自力引き出しに備え、夫々岸壁の沖合に投錨した後に、錨鎖を3節(75メートル)巻出し、後進で「出船左舷横付け」する。最外側の「しまゆき」だけは、投錨することなく横付けさせる。


アカプルコ港に於ける横付けの様子。艦隊のすぐ後ろは水深が浅い

 岸壁にはメキシコ(日本外務省の漢字表記は「墨」)海軍太平洋艦隊参謀長F.Velazquez少将、在墨日本大使館の清水2等書記官(警察庁から出向)等が出迎える。アカプルコは日本大使館の所在する首都メキシコシティから、車で約6時間の遠隔地の為、在墨日本大使は練習艦隊の墨訪問行事には一切関与せず、清水書記官を派遣するにとどめられる由。
 岸壁では墨海軍軍楽隊がやや喧騒に近い歓迎演奏を続ける。


アカプルコ港岸壁では在留邦人が「日の丸」を広げて歓迎

「かとり」ヘリ甲板での入港歓迎行事は、2,3番艦の入港作業に時間を要するため、司令官と関係幕僚だけで対応することとし、小官はそのまま艦橋で入港作業を代行指揮する。外洋からの弱い「うねり」はあるものの、幸い風がなく横付け作業は順調に終了する。
 2番艦も投錨作業が必要だったため、「かとり」が1番「もやい」を取ってから、「しまゆき」の横付けが完了するまで、約1時間30分を要する。
 艦隊にとって「投錨後進横付け」は初めての経験となったが、各艦とも慎重に操艦・運用作業を実施して、無事終了する。
 午前、司令官は表敬訪問、留守を預かり在艦。
 司令官主催の艦上昼食会に先立ち、墨海軍第18海軍区司令官R.D.Peon大将、墨海軍太平洋艦隊司令官(代理)「F.V」少将に対して栄誉礼を実施。「R.D.P」大将夫人は栄誉礼を見学される。
 1830から司令官主催の艦上レセプション。「P」大将夫妻、アカプルコ市長夫妻等約140名のゲストが来艦する。
 驚いたのは、前在日墨武官のゴンザレス海軍中将(現在、墨海軍省資材局長)が夫人を伴って、急遽メキシコシティから小官に再会する為、駆けつけてくれたことである。同中将とは、小官が前職の海幕渉外班長時代に交流があり、特に、墨海軍の練習帆船「クォテ・モック」号の乗り組み士官が、伊豆半島の東方海上で荒天動揺時に怪我をした際、小官が同負傷士官の収容から入院までを手配し、生命を救えたが、その時の親切が忘れられないので、駆けつけたとの事である。
 レセプション後に、是非、夕食に招待したいとの申し出である。
 小官と夕食を共にしたい一心で、片道6時間の遠路を車で駆けつけた由。
 メキシコ人の恩義に厚い一面を知り、心からの感動を覚える。
 小官の同僚も是非一諸にとの申し出に、同期の田代、歌田の両君と「しまゆき」艦長の佐治君を誘い、招待に応じる。
 司令官は、小官の立場に配慮され、招待を辞退される。


首都メキシコシティから逢いに来てくれたゴンザレス中将夫妻

 夕食会の席は、アカプルコ湾の夜景が一望できる、丘の上に構えた白亜のレストラン「エル・カンパナリオ」に準備してある。スペイン様式のテラスを渡る涼やかな潮風、その風にサラサラ囁く熱帯植物の葉音、隣の部屋で奏でるラテン音楽、ゴンザレス夫妻の思いやりに浸り、メキシコの夜を満喫する。


アカプルコのレストラン「エル・カンパナリオ」

 アカプルコ風の伊勢海老料理は美味しく、それにピッタリ合う「マルガリータ」(メキシコの地酒「テキーラ」で作るカクテル)が喉に心地よい。
 眼下に観るアカプルコ湾の左手には懐かしい「クォテ・モック」号が電灯艦飾で色を添えており、この不夜城を連想させるアカプルコの美しい夜景が、感激の再会と心楽しい歓談とで、時に潤んで見える。


レストランから見るアカプルコの夜景


ゴンザレス夫妻と招かれた4人、左から歌田、佐治、田代、小官

「ゴ」中将は明日の午後に重要な会議があるため、早朝、再びメキシコシティに戻るとの事。忙しい合間に訪ねてくれた彼の好意に、改めて感謝する。

     ○ 「 「墨」で知る 友の血潮と その心 」

(「墨」;日本外務省が使用するメキシコの漢字表記)

     ○ 「 メキシコを 身近に感ず 旧友(とも)在りて 」

9月30日(水)
晴れ、夕刻一時驟雨。
 午前、司令官が献花される他は公式行事なし。
 終日、帰国報告に備えるため書類等の準備及び身辺整理。
 1900から音楽隊による市民の為の演奏会を視察し、激励する。
 1時間の演奏中に、途中、夕立が降るものの、約400人が雨の中で傾聴する。
 2030、司令官、各艦長と「コンペンション・センター」で合流し、「メキシコ舞踊」を観る。終了後、場所を「ラ・クェプラダ」に移し、夕食を兼ねてアカプルコ名物の「死のダイビング」と称する高さ約39メートルの崖から海面への「ダイビング(飛び込み)ショー」を観る。

     ○ 「 雨に濡れ バンド(音楽隊)に聴き入る 人の群れ 」

10月1日(木)
晴れ。
 0730から司令部所属の曹士該当者に「精勤章」を伝達する。
 午前、妻子等に便りを書く。1100から昼食を兼ねて「しらゆき」「しまゆき」の両艦長と共にショッピングに出かける。目的は次女依頼の「メキシコ風織物」のナップサック等の購入。
 昼食を「アカプルコ・プラザ・ホテル」で摂る。1400帰艦。
 1700から司令官と共に「支倉常長」像を見学に出掛ける。これはアカプルコ市が仙台市と姉妹都市にある関係で、伊達政宗の命でローマ訪問の途上にアカプルコに立ち寄った「支倉」一行を記念して、仙台市が寄贈したとの事。
 像はアカプルコ湾の入口を望む浜辺に、太平洋を向いて立っている。
 暫し、司令官と潮騒を楽しみながら浜辺を散歩ののち、帰艦。
 2000から第18海軍区司令官 Peon 大将主催のレセプションに司令官、各艦長と出席。2215、帰艦。
 アカプルコに寄港中は、当初懸念した真水の汚濁は無かったものの、他方、同港は太平洋の「うねり」が岸壁まで常に入って来るため、艦は横付けしていても動揺を繰り返し、前後への移動が止まらない状態となる。しかも、今回は貨物船、客船の出入りが激しいため、艦隊の3隻は「目刺し」横付けを強いられたことにより、内側に横付けした「かとり」の係留索は「うねり」の影響をまともに受けることになった。結局、3泊4日の停泊期間中に3番「もやい」の40ミリ「ホーサ」2本が損傷、同「もやい」の代用32ミリ「ワイヤー」が切断、4番「もやい」の40ミリ「ホーサ1本が損傷、同「もやい」の代用32ミリ「ワイヤー」が切断した。この結果から同港は、寄港地としてあまり適当とは言い難い。

     ○「 「土産待つ」 手紙(ふみ)のひと言 背に重し 

     ○「 「もやい」守り 甲板員の 胃が痛み 」 

10月2日(金)
晴れのち曇り。
 0920、揚錨しつつ「かとり」が最後に出港。
 昨夜、入電した気象情報によれば、アカプルコの南西約150マイル付近に、ハリケーンに発達見込みの熱帯低気圧「Virgil」がゆっくりした速度で北西に進行中とのこと。外洋はこの影響で「うねり」高し。
 「荒天準備」を下令し、艦隊の速度を上げて北上を開始する。
 解釈にもよるが、出港直後に「荒天航行」を強いられることは、艦隊にとって緊張感を一気に高める意味からきわめて有効であり、この観点からすれば、気象は我に有利に作用していると判断する。幸い、風浪を艦尾から受けるためローリングは小さい。
 (時刻帯変更に伴い2400を2300とする。日本出港以来初めて、時間が戻り帰国に向けた西航の感じがする)

     ○ 「 時刻帯 戻す時間に 帰路覚(さと)る 」

10月3日(土)
曇り一時雨。
 ハリケーンに発達した「V」から広がる雲の影響で空はすっきりしないが、艦隊の優速力の効果で「V」との距離を時間とともに大きくする。
 夜間には「うねり」も収まる。訓練は予定通り実施する。

     ○ 「 ハリケーンを 上手くスリップ 「運(つき)」有りて 」

10月4日(日)
快晴、海上平穏。
 休養日課。第2回目の艦上綱引き大会実施。
 艦上体育で鍛えた実習幹部が優勝したのは見事。

10月6日(火)
晴れ、波静か。
 水上射撃訓練。本遠洋航海では最後の実弾射撃である。
 「かとり」を含め、各艦が有効弾を得たのは、砲術科員の練度が高く維持されている証拠であり、安堵する。
 北緯30度を越えて気温15度C、海水温度19度C。
 防寒着の姿が増え始める。

[ 第11回 了 ]