遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第12回 サンフランシスコ ~ パールハーバー

元首席幕僚  佐藤 常寛

10月8日(木)
快晴、波穏やか。
 早朝、サンフランシスコの沖合に到着。心配した霧も無く天気快晴。
 海上から眺める「サ」の街は、丘の上から海に向かって、街灯の列が整然と縦に並び、区画整理の行き届いた様子が伺える。
 0630頃、曙の薄明かりの中にイルミネーションの輝きを残している「ゴールデンゲート・ブリッジ(金門橋)」の下を通過する。
 夜明け前の静寂に微睡(まどろ)む「サ」は、中心地では近代都市らしく摩天楼の群れが天空に光を伸ばし、郊外周辺では坂の街らしく外灯が緩やかに弧を描いて丘の上に連なる。空が紫紺から赤橙に変わる朝焼けが素晴らしい。
 0734、アラメダの米海軍航空基地桟橋に「入り船左舷横付け」する。
 桟橋の反対側には、米空母「アブラハム・リンカーン」が横付け中である。
 燃料及び生糧品搭載。在「サ」日本国総領事館の鹿庭(かにわ)副領事及び山田3佐(海自経補連絡管)と入港中の行事を打ち合わせる。
 打ち合わせ後、同二人による実習幹部に対する「寄港地講話」に同席。
 司令官は米海軍関係部隊指揮官を表敬訪問。
 1702、燃料搭載終了後アラメダ出港。明日実施予定の「コロンブス米大陸発見500周年祝賀海上パレード」予行演習の待機海域に向かう。

10月9日(金)
快晴、海上僅かに白波。
 0830、米海軍艦艇8隻と会合。対艦距離1,000ヤードの縦列制形。
 海上パレードの予行実施。0945、解列。指定海域で明朝まで待機する。

10月10日(土)
天気快晴、海上凪。
 0700、海上パレード参加艦艇会合し対艦距離1,000ヤードの縦列制形。
 1番艦米空母「リンカーン」、2,3番艦米海軍駆逐艦、4,5番艦米海軍原子力潜水艦、6番艦米海軍潜水艦救難艦、7,8番艦米沿岸警備隊警備艦、9~11番艦が「かとり」「しまゆき」しらゆき」、12,13番艦韓国海軍練習艦の総勢13隻である。
 海上は凪、空は米西海岸特有の突き抜けるような薄青色。
 これ以上の自然の舞台装置は無いと思われる、絶好の海上パレード日和。


「金門橋」に向かう海上パレード、1番艦の空母が橋下を通過中

 1100、「かとり」が「金門橋」を通過。橋の両岸の丘と橋の上は鈴なりの人の群れ。


「金門橋」を通過し港内に向かう「かとり」後部甲板に登舷礼中の実習幹部

 港内は千数百隻のヨット、ボートの群れが喧騒である。
 観閲官は米海軍第3艦隊司令官 J.Unruh 中将、座上艦は米海軍強襲艦「ニューオリンズ」。同艦艦上は招待客で埋まっており、周辺の岸壁は見物人の群れ、群れ、群れなり。
 このパレード見学に約30万人以上が繰り出しているとのこと。
 「かとり」から観閲官への敬礼時に「ニューオリンズ」艦上のバンドが日本国歌「君が代」を吹奏する。

     ○ 「 スマートな 登舷礼に 歓声(こえ)が沸く 」


観閲官座上の「ニューオリンズ」に艦橋旗甲板から敬礼する林 司令官

 パレード終了後、米海軍パイロットは周囲のヨット、ボート等の行き合い状況を見て、急遽、岸壁への横付けを指示する。
 当初計画では、パレード後、湾内に一旦投錨仮泊し、ヨット、ボート等が散会した頃合いを計り、入港予定であったが、「かとり」しまゆき」を直ちに横付けさせるとのこと。米国人に特有な、相手の都合を無視した少々横柄な指示であるが、艦隊としては柔軟に対応できる態勢を常に維持しており、これに即応する。
 ベイ・ブリッジの橋脚を通過後、面舵反転し指定岸壁「No 27」に向かう。
「しらゆき」と韓国の2隻は、当初の計画通り、湾内で投錨待機するための指定海域に夫々向かう。
「No 27」岸壁に向かう艦隊の2隻の周囲は、ヨットや小型ボートが無数に錯綜して走り、航行の邪魔をするかの如く見えるものの、感心すべきは、軍艦が近づけば敬意を表して自然に前方を開け、決して航行に支障を与えない事である。数百に及ぶヨット等が示す「海のマナー」は見事の一語に尽きる。

     ○ 「 ヨットらは 軍艦(ふね)に敬意を 払いおり 」

 ふと、潜水艦「なだしお」事故の状況と対比して、あの時の遊漁船や遊んでいたヨットが職務遂行中の潜水艦に、このような「海のマナー」を発揮しておればと、我が国のレジャー船のモラルの低さが恥ずかしくなる。
 1151、「No 27 岸壁」に「入り船右舷横付け」する。
予定よりも早く入港したために、在留邦人の出迎えが間に合わず、「もやい取り」作業員の他には、岸壁に人影なし。
 後ほど、歓迎の花束を届け恐縮される邦人が気の毒であった。
 午後1時から米海軍のアクロバット飛行チーム「ブルー・エンジェルス」によるデモンストレーションが華やかに実施される。
「サンフランシスコ港」の岸壁周辺の潮流は、同湾の潮の干満に大きく左右され、最大時には3~4ノットに達する。この為、「しらゆき」は潮流が収まるのを待ち、夕刻入港する。
 1900から米海軍退役士官が中心メンバーである「ネービー・リーグ」主催の「ネービー・ボウル(舞踏会)」に司令官、各艦長等と出席。小官は司令官とともに「メス・ドレス」で、他も制服に蝶ネクタイ姿で出席する。
 午前2時まで続くとの由で、2300頃、途中退席して帰艦する。


入港期間中、祝賀の電灯艦飾を実施する艦隊の3隻

10月11日(日)
晴れ。
 午前、書類等の身辺整理。
 1200から元第5空母群司令官で日本に知友の多い T.Brown 退役少将自宅での昼食会に司令官とともに出席する。「B」氏の住居はこじんまりしたアパートながら、夫婦二人だけの生活には十分過ぎるスペースを有しており、サンフランシスコ湾を一望出来る高台にある。「B」氏と海自との繫がり、友人・知人との思い出話を拝聴し、奥様の心尽くしの料理を頂戴して、1400頃帰艦。
 1800から米海軍サンフランシスコ基地司令官 M.Ruck 少将主催の「アドミラル・レセプション」に司令官、各艦長と出席。会場は基地司令官官舎で「ニミッツ・ハウス」と呼ばれ、ニミッツ元帥終焉の建物。
 ニミッツ元帥が少尉候補生として日本を訪問した際に、東郷元帥に会って感銘を受け勤務精進のモデルにされたことは、有名な逸話であるが、「ニ」元帥最後の場所でのレセプションに出席できたのは幸運であった。
 2030、帰艦。司令官は市内のホテルに宿泊、休養して貰う。
 小官の帰艦を待っていた幕僚9名と共に遅い夕食に出掛ける。
 観光地の岸壁として有名な「フィッシャーマンズ・ワーフ」のイタリア料理店で「シー・フード」を食べるのが目的である。メニューには無いため特別注文で調理して貰った、茹でた伊勢海老とタルタルソースに皆は満足する。
 これから帰路に向かうに当たり、司令部主要メンバーの一致団結を図る観点から催したが、参加者全員の明るい笑顔と話題に目的は達したと思料する。

10月12日(月)
晴れ。
 米国は「コロンブス・ディ」で休日。
 1030艦発で幕僚2名と共に「金門橋」等の市内散策に出掛ける。
「金門橋」は生憎の濃霧。対岸の丘の上に登ると、霧は無く空は快晴。
 丘の上から眺めると、「金門橋」の橋脚のトップの部分と中心街の高層ビルの屋上群だけが、見渡せる。まるで、雲海の上に頭だけを出している、峰々の山頂群のようである。遙か下の方から、船の霧笛が響いて来る。
 街中に戻り、サンフランシスコ名物の「ケーブル・カー」に乗る。
 運転手の陽気な案内口調がリズミカルで、合いの手のように鳴らす鐘の「チン、チン」の響きまでが、明るい雰囲気を醸し出す。それにしても坂の急勾配には、少々驚かされる。運転手曰く「このケーブル・カーのブレーキは3日前に故障したヨ」(チン、チン)。皆を「はッ」とさせるところ等、なかなかの役者である。
 途中、中華街で降り、3人で「飲茶」と「蒸し料理」を楽しみ、1400帰艦。
 1700~1830、司令官主催の艦上レセプション実施。
 米海軍第3艦隊司令官「U」中将、米海軍「サ」基地司令官「R」少将、在「サ」日本国総領事 時野谷閣下の各夫妻をはじめ、米海軍関係者及び在留邦人等約250名のゲストで賑う。
 終了後、司令官、各艦長と共にサンフランシスコ市の F.M.Tordan 市長主催のレセプションに出席。
 コロンブスの新大陸発見500周年の記念レセプションである。


サンフランシスコ市長からの記念レセプション招待状(表題部)

 コロンブス像が立つ丘の上の会場だが、夜に入って冷え込み、出席者は一様に震えあがる。生憎、湾内に霧が湧き、風と共に流れて会場を取り巻く。このため、時折、何も見えない状態となる。主催者は、美しい夜景の下で、祝いの花火を計画しているものの、霧が邪魔する。冷気の為、時間を引き延ばすこともままならず、終に、霧の中で花火が打ち上がる。威勢の良い打ち上げの音に伴い、正面の霧が「赤」や「青」に染まるが、残念ながら「花火の大輪」は見えない。偶に、「大輪の端」がチラリと顔を出すだけ。霧の中の花火は初めての得難い経験。
 流石に陽気な米国人も、出るのは「オー、アー」の溜息のみであった。

     ○ 「 霧の中 上がる花火は 音ばかり 」

10月13日(火)
晴れ。
 午前、司令官は表敬訪問及び献花の為不在。留守を預かり、在艦。
 1200から米沿岸警備隊太平洋地区司令官 M.Daniell 中将、米海軍「サ」基地司令官「R」少将、在「サ」日本国総領事 時野谷閣下に対し、夫々栄誉礼を実施。その後、司令官主催の艦上昼食会に陪席。
 昼食会後、妻子等に便りを書く。
 1830から時野谷 総領事主催の夕食会に司令官、各艦長等と出席する。
 2100、帰艦。

10月14日(水)
曇り。
 0845、サンフランシスコを出港。出港時の潮流は岸壁から離しの潮、このため離岸は容易である。空は曇りだが、霧は無く、「ゴールデンゲート・ブリッジ(金門橋)」は鮮明である。入港、出港ともに霧に閉ざされないのは本当に運が良い。
「金門橋」の中央で経補連絡官の山田3佐が示す、見送りの「日の丸」に別れの「帽振れ」を実施して、最後の公式訪問地となったサンフランシスコを後にする。いよいよ針路は「西」、帰路となる。

     ○ 「 橋の上 「日の丸」鮮明 「帽」を振る 」

 北に張り出した高気圧から吹込む「風」と、北から伝わる「うねり」で、終日、ローリングする。
 時刻帯変更(2400を2300に戻す)、夜が1時間長くなり得した感有。

10月16日(金)
晴れのち曇り、海上平穏。
 深夜零時から水上打撃戦、引き続き戦闘運転、戦闘応急、机上対潜、夕刻から艦載のヘリコプターを実目標にした対空戦闘と、一昼夜を訓練に明け暮れる。
 実習幹部にとっては、本遠洋航海における戦闘訓練の集大成であり、実務に就いた時には、かかる激しい訓練日程があることを体験させる観点で、有意義な一日だったと思料する。
 本日の訓練を以て、乗員の練度維持を兼ねた戦闘訓練を終了する。
 以後の航海の大半は、実習幹部の総合試験、海技試験等の纏めの期間となる。

     ○ 「 終日の 戦闘訓練 汗を呼ぶ 」

10月17日(土)
曇り一時驟雨のち晴れ、波僅かに白し。
 休養日課。午後、ヘリ甲板で「カンピオ(品物交換、叩き売り)市」開催。
 各分隊から持ち寄りの要らない「土産」が、「寅さん風」の売り手で捌かれる。
 売り方を審査することになり、中々熱が入っている。
 但し、買う方が既に現地での大凡(おおよそ)の値段を知っているため、全般に品物は安く買い叩かれていた。
 2分隊の口上が皆に受け、優勝。

10月18日(日)
快晴、海上平穏。
 第4回「エンスン・ディ」実施。
 陣形運動、机上対空戦闘訓練、初級幹部技能検定競技(手旗、発光信号、運動盤解法)である。
 司令官は「しらゆき」視察のためヘリコプターで0735に移乗、1700に帰艦。

10月20日(火)
快晴、波静か。
 オアフ島まで約250マイルの海域に到達。
 実習幹部は遠洋航海の「総合試験」の日。
 昨夜、遅くまで勉強していたが、総員が良い成績を修めるように祈る。

[ 第12回 了 ]