遠 航 随 想
平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海
(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
第14回 遠洋航海から20年後

元首席幕僚  佐藤 常寛

 平成25年2月2日(土)正午、銀座のとあるレストランにスーツ・ネクタイ姿の紳士約60名が三々五々集まっていた。
 入口の案内立札には「十洋会20周年記念親睦会」とある。

※ 「十洋会」とは、平成4年度遠洋練習航海参加者の会で、太平洋を十文字に航海した証に 林 司令官により命名された。

 当日の参集者は、関東近辺勤務の元実習幹部に加え、元司令部幕僚、元個艦乗組幹部、それに、林 元司令官、歌田 元「しらゆき」艦長、元首席幕僚の小官であり、田代 元「かとり」、佐治 元「しまゆき」両艦長は遠隔地在住の為に欠席となった。
 遠航が終了して20年が経過する間には、折々に、「十洋会」が催されたが、ここ3年程は開かれることなく疎遠であった。
 この3年の空白期間は、元実習幹部が階級も1佐から3佐まで海上自衛隊の中堅に昇進し、夫々の配置で多忙であったが故に、改めて、「司令官を囲む会」が企画出来なかった背景を物語っている。
 20年の歳月は、司令官はじめ各指揮官、幕僚、乗組幹部の多くを退官させたが、他方、実習を終えて各地に赴任した初任幹部を、一(ひと)回り、いや、二(ふた)回り以上に、大きく逞しく成長させた。
 当日、手交された「名簿」を見ると,
 早期退職者14名、逝去1名を除く124名が、
「統合幕僚監部、海上幕僚監部の各班長や部隊の長、幕僚」等々、枢要な配置を占めており、また、防衛駐在官(4名)として海外で活躍している。
 正しく、彼ら「幹部候補生学校(候校)第42期」が海上自衛隊の中堅を背負い、日々邁進している事実が伺える。

※ 候校第42期の卒業生には4名の婦人自衛官(現女性自衛官)が含まれていたが、平成4年当時は女性の遠洋航海への参加は認められなかった為、遠航期間中は国内で実務訓練に従事した。女性自衛官が遠洋航海に参加できるようになったのは練習艦「かしま」が就役した平成7年度以降である。
 第42期の女性自衛官はその後2名が退職、2名は現職に留まり、彼らの同期として活躍している。

 実習が終了し任地に向かう幹部諸君の「餞(はなむけ)」に 林 司令官が揮毫された「色紙」を眺めると、中堅幹部に成長した彼らが、その教えを守り、「油断なく精進し、明るく悠然と過ごした」歳月が眼に浮かぶのである。


実習を終えた幹部への林司令官揮毫の色紙

 古来、海軍の先達曰く「船乗りを育てるには十年掛かる」と。
 十年の倍を経験した元実習幹部諸官は、自ら既に「立派な船乗り」となり、今や後輩を指導する立場にある。
 今年2月、「十洋会」で接した彼らは、己の「立ち位置」を定め、将来を見据えて、与えられた職責を果たす気概に溢れていた。
 遠洋航海の初頭、恐る恐る大海に乗り出した、あの「青瓢箪」ではなかった。
 四十代半ば、「男盛りの海上武人」に見事、成長していた。

 彼らが歩いて来た二十年間には、イラク派遣陸自支援、インド洋上給油支援、ソマリア沖船舶護衛の実任務があり、阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災の救助活動があり、北朝鮮のミサイル対処、尖閣諸島を巡る中国艦船対処等々、
 その任務の幅は広がり、かつ、多様化した。
 その二十年間に彼らは、夫々の職務において、遠洋航海で習得した基礎知識・訓練だけでは到底解決できない、幾多の「修羅場」を経験してきたと推察する。
 そして、それらの「修羅場」を切り抜ける彼らを支えたものは、タスマン海の荒波を乗り越え、155日間の長躯航海を耐え、海上で習得した「不屈の魂」と「挑戦する勇気」であったと確信する。

 四面環海の我が国は、海を軽視すれば、「国家の生存」を計れない。
 誰かが、「海の守り」に従事せざるを得ない、宿命を背負っていると云える。

 本「遠航随想」を通読して頂いた方々が、「海を守る」海上自衛官の勤務の一端を理解されるとともに、それを通して隊員に対する心からの激励、及び、「後に続く若者」への支援を賜りますよう衷心よりお願いして、PCを閉じることに致します。

最後まで閲覧して頂き有難う御座いました。


左から練習艦「かとり」護衛艦「しまゆき」しらゆき」の雄姿

[ 第14(最終)回  終了 ]