「ある会社顧問(防衛省元将官)の独り言」
 第6回 教育(師匠と弟子)について(2)

堀口 紀博

 将棋や囲碁は内弟子制度をとっていました。技術を教えると言うよりも、考え方、人生観、全人格を教えるシステムです。内弟子を終える時、師匠の基盤、碁盤上での指導はニ三度しかない場合が普通にあるそうです。
 外国から来た教授の話では、日本の学生は教授と個人的な関係を強く求めるそうです。教育は、技術を教える、学問を教える訳ですが、教授との全人格のふれあいを求め、教えて貰いたいと思うのは日本的なことかも知れません。
 朝青龍は親方の事を、技術を教えるコーチであり、自分が所属するチームの管理者程度にしか思っていなかったのではないでしょうか。親方自身は自分がされてきたように弟子の全てを管理し、金銭面でも弟子は何も言わない、言えない存在で、弟子の稼ぎは自分のものであると思ってきたのでしょう。金銭面での親方とのトラブルが報道されていましたが、原因は見解の相違です。技術面でも親方は大関、自分は横綱、教わる事なんか何も無い。親方はチームの管理者として横綱のマネージャ料で満足するしか無かったわけです。日本人から見れば親方が悪いと言いますが、師弟関係が分らない、教えてない弟子が、師匠の言う事を聞かない事を日本人は知らねばいけないのでしょう。
 外資では、キャリアーを積め、しかもポータブルキャリアーを持ち、より上位の処遇をしてくれる他社に行くのも良い。一生この会社にいても良いが、会社は今の能力を現在値で買っているだけである。恐ろしいことです。
 師弟関係を共に求め、技術も、考え方も、全て教える。人生の何かも教える。相撲が相撲道になり、お華が華道になる。セールス活動が「道」になる。百姓が一鍬一鍬土を掘るたびに「南無阿弥陀仏」と唱え、宗教感と一体になり、「ありがたいもの」となっていった。そんな日本が今変わりつつある様です。
 しかし、私は思います。どんな場においても、教育は、日本での教育は、師弟関係を築き上げていく事が重要であると。それは、日本人の性癖に会っている、歴史的必然ではないでしょうか?
 技術のみを求められても、極める先は、教える時は、人生観、生き方、トータルの、全人格の教育に成っていくことが必要だと思います。
 しかし、教える方も実は大変なのです。「人格の陶冶」などと言う事、具体的には「やさしい心」「花を愛でる心」「弱いものを守る心」「嘘を言わない事」、これらを一生に渡り、実践、行動し続ける事が求められます。人間に大事な事は「当たり前」と思われる事を普通にする事、し続けることです。
 師匠と呼んでもらうためには、頭も、体も、財布も、使わなければいけません。社内において、師匠と呼べる人を見つけ、我がフクダ100年の大計を築き上げて貰いたいと思います。ちなみに、私は現職時代「ゴルフの師匠」と呼ばれていました。たまには、生意気に、「ライバル」と呼ぶものがいましたが。
(了)