「ある会社顧問(防衛省元将官)の独り言」
 第8回 教育(知育、徳育、体育)について(4)

堀口 紀博

 教育は知育、徳育、体育に区分されます。学校教育は、小学校から最高学府まで知育、体育が中心です、体育には大学もありますが、近年、子供たちの体力低下が指摘されています。では、徳育教育はどこでやっているのでしょう?徳育教育を忘れた日本の状況は、どのようなものでありましょう?
 政治は、最高の教育を修めた人々が行っていますが(?)国民はまだまだと不満を述べ、社会が悪い、世の中が悪いと他のせいにして不平ばかりが聞こえてきます。政治家が悪いのでしょうか(悪い政治家もいるでしょうが)。
 経済は、最高の情報と、最高のコンピューターと、最高の頭脳も持った人々が司っているのに、バブルが生じ、弾けました。バブルの最中、日本の国を売ればアメリカが2個買えると言う発言までありました。経済人が悪いのか?
 社会情勢では、世の中の常識がブレ出しています。誰でも良いから殺したいなどと言う人まで出現し、かなり物騒な世相であるようです。
 これらの原因の多くは、子供たちに知育を中心にし、徳育を忘れた戦後教育なのかもしれません。何のために教育をするのか、国民が今日より明日、明日より明後日のほうが幸せに成る為、成れる為ではないでしょうか。教育の目的はまさに富国強兵(国家が独立し、国民が幸せになれる状態)の為と言えましょう。徳育について、日教組幹部は「大切だけれども、何をどのように教えたらいいのか分らない。徳育を教えようとすれば、教育勅語に帰ってしまうから過去を反省し、全て悪いと教えている立場からそんなことは口が裂けても言え無い」とか発言していました。しかし、学級崩壊などが現場では起こっています。
 徳育の難しさは、知っているだけではいけないことです。知らないのはもっと駄目ですが。例えば、親孝行をしろ、兄弟は仲良くしろ、夫婦は共に助けあえ、友とは信じあえ、と教えても、その評価は極めて困難であります。
 「親孝行をする事は良い事です、○か×」と問えば、○が正しい。これは知っているだけであり、知育になっているのです。徳育とは知っているだけではなく、行動に現さないといけないのです。評価基準を作ることは難しく知育に直ぐに変化してしまいます。実践の場でなければ評価する事は出来ません。嘘を言ってはいけないことは、誰しも知っていますが、嘘を言わないように日常生活を送りつづける事は、至難の業です。顧客から信頼され、「この人ならば」と言われている人がいるとすれば(多分沢山いるでしょうが)、その人は徳育が体の一部と成っていると言えましょう。
 商売、販売とは物を売るのではなく、人を売ると言われますが、まさに「徳育」を身に付けている人こそ、売るものがあるといえます。100年の大計のために、知るのみでなく、徳育を実行できる人が、一人でも多く出現していただきたいと思います。それはアナタのため、家族のため、会社のため、そして日本のためです。

(了)