「ある会社顧問(防衛省元将官)の独り言」
 第22回 自衛隊国際協力活動の個人的感想

堀口 紀博

自衛隊の国際協力開始から20 年が過ぎました。
後方支援・復興支援;4件
国連平和維持活動(PKO);9件 内3件は継続中
難民支援;4件
国際緊急援助隊;11 件
海賊対処;1件
の5分類になります

 平成3年(1991 年)海上自衛隊によるペルシャ湾機雷掃海派遣。平成4年陸上自衛隊カンボジア派遣(PKO活動)は施設大隊600 名が派遣されました。高々600 名を派遣するのに陸上自衛隊を挙げてテンワヤンワでした。まず、縦割り行政により、パスポート(外務省)物品輸送(通産省・税関)予防接種(厚生省)等々調整先は多義に渡りました。衛生班は医官3名、歯科医官1名計約20 名。各種風土病等対策ワクチンは短期間に多種接種。その影響を知る情報は少ないが取りあえず接種。医療用品の必要量は派遣される医官等の必要性から20 名の隊員がコントロールできない量になり、現地に着いた途端から、あれが無い、これが無いとの請求依頼。物が無いのではなく、探せない。補給の鉄則は必要量でなく、管理可能量でした。
 平成6年ルワンダ難民救援医療支援は交通事故対処可能な小規模病院の準備。難民の多くは治療法の無い難病罹患で、血に触れるのは感染の危機。
 平成8 年ゴラン高原派遣は現在も継続中ですが、マスコミ報道が無いので、ほとんど国民の関心はありません。同様にハイチPKO派遣、国連東チモール統合ミッションも継続していますが、国民には報道がなく知らされていません。報道されないものは存在しない、派遣されるなら第一陣。
 平成10年からは国際緊急援助隊の派遣。ホンジェラスのハリケーン災害派遣は医療部隊80 名、特に女性と子供の治療が多く女性隊員派遣の必要性が高まりました。
 平成11年東チモール紛争難民救援では女性自衛官が始めて海外派遣に参加し、マスコミ報道はとても多く、時の小泉総理が視察に行ったことでかなり盛り上がりました。ちなみに総理と握手をして報道されたのは女性薬剤官の後輩でした。
 平成16年スマトラ沖地震派遣では私の後任補給支処長が派遣隊長で行きました。もう少し早い時期であれば私がその任務を果たしたかも、残念
 同年イラク復興支援派遣。砂漠で気温50 度、車の屋根で目玉焼きが出来る、日本仕様のクーラは使えない、どこにでも細かい砂が入る。砂漠の民は掃除をする習慣が無く、天幕の外にごみを置けば翌日はきれいに風で飛ばされます。その結果、砂漠は何千年もの間ごみが堆積していて、とても不衛生で、米軍も原因不明の眼病が多かったとか。衛生資材もしっかり梱包して、現地で直に役立つよう飛行機に乗せましたが、隣国からトラック輸送、ぐちゃぐちゃに車載され直し、現地で使用できるには長時間がかかりました。新年明ければ南スーダンとか、とても大変な所らしく、後輩のことがとても心配です。自衛隊は最後の砦として、国内だけでなく、海外でも、報道が無くとも、各種教訓事項を生かし、今後も日本国、国民のためにがんばるでしょう。

(続く)