「ある会社顧問(防衛省元将官)の独り言」
 第27回 体罰に関する一考察

堀口 紀博

 日本各地の有名大学、高校、オリンピック強化蹟手からも体罰を受けたとの告発が続いています。生徒が自殺するような体罰問題もあります。「愛のムチ」「力のこもった指導」の美名の中に無数の体罰があり、日本の美徳の一つのように思われできました。
 オリンピック柔道監督の発言は、「自分は相互の信頼関係がある中で、あくまでも自然に手や□が出るほどの厳しい指導を行ってきた。自分自身も選手時代には厳しい指導(体罰)を受けてきたし、何故問題になるのか分からないが、相互に信頼関係があると信じていたのにどうも違う、自分自身で考えた答えは‘一方的なイ言頼関係’であったので、選手から告発を受けたらしい」と読み取れます。
 信頼関係の中では体罰は決して悪いものではない、手を上げるほどの親身の指導は、殴る方も痛い思いをしており、選手も痛いから間違いを起こさなくなり、他人より強くなり、うまくなることができるとの国民的思い込みがあります。監督、コーチをしている多くの人がこのような体験を持ち、自分が受けた指導方針(体罰を許容できる)は正しいものと思い込んでいます。人は教えられた指導を同じ様に選手に行うものです。「何故人は他人に手を上げたくなるのか」「原因は何か」その答えの一つは、人は目の前の人を自分と同じ能力持った人と思いたがり「目の前の人は自分とは違う」と中々認めたくないことです。
 「名選手は名監督ならず」との言葉があります。名選手は自分が問題なく出来たことを出来ない事が理解できません。自分が理解できないことを、相手に理解させ、出来るようにさせることは不可能です。不可能を可能にする万能薬は「体に分からせる」ことです。死ぬほど繰り返し、それでも出来なければ「鉄拳制裁、愛のムチ」です。このような方式が日本では相互に信頼関係がある場合は許されてきました。しかし相互に信頼関係があると判断するのはあくまでも教える側の判断でした。反抗することが出来ない相手に体罰を加えるのはサンドバッグを打つようなもので、「リンチ(私刑)」「犯罪」です。
 時代は変わりました。柔道監督は教える側の判断を否定された訳です。否定した選手たちは、とても大変な決断をしました。判断を否定されると愛のムチが逆に、監督に厳しく振り下ろされることになりました。日の前にいる人はそれが親子兄弟でも自分とは異なることを理解しなければいけません。親子兄弟でも違うのに、赤の他人はどれだけ違うことか?他人に教えることはとても困難なことです。訓練により、理解させ、実行させるためには、「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせて、誉めてやらねば、人は動かず」に言い尽くされます。
 山本五十六元帥の偉大なことは「人間」を理解し、訓練の精髄を「言葉に言い表せた」ことだと思います。この言葉の中には一言も張り倒せば理解し、出来るようになるなどとは表現されていないことです。会社で部下を指導するとき、よくよく考えてください。「あなたの前にいる部下はあなたではない」

(続く)