「ある会社顧問(防衛省元将官)の独り言」
 第29回 歴史認識に必要な日本の歴史

堀口 紀博

 近隣諸国が日本の歴史認識について疑義を呈しています。彼らの言う敵視認識は日本の侵略?をとにかく謝れと、戦争相手ではなかった共産中国、朝鮮半島両政府から言いがかりを受けています。
 昭和16年開戦の大東亜戦争は明治新政府樹立以降の欧米列強との植民地争奪の世界的規模の戦いが端緒です。
 1801年蒸気船が実用化され、風任せ、潮目任せの航海から、蒸気エンジンによる大型船の自由な航海が始まり、大量の人員、兵器、物資の海上輸送が可能となり、新世界に欧米列強が進出出来るようになりました。
 日本を除き、アフリカ、インド、オーストラリア、南米、アジア等はすべて欧米列国の植民地になっていきました。彼らの植民地政策はすべてのものを収奪し、原住民を「人間」として扱わず、動物以下の扱いをするものでした。アメリカの奴隷は其の一例です。
 嘉永6年(1853年)、米海軍東インド艦隊ペリー提督が4隻の蒸気船で浦賀沖に現れてから15年後、徳川政府は平和裏に天皇家に大政奉還しました。徳川時代の平和な鎖国政策は産業革命による海上交通の一大変化により終焉を迎えました。
 明治新政府は外国の侵略に脅えながら旧幕臣、不平士族の反乱(戊辰戦争、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争)を平定し、国家として独立しました。西郷隆盛で知られる西南戦争(明治10年)が最後の内乱事件でした。
 対外的には、明治7年ロシアとの条約により、千島列島小笠原諸島、尖閣列島・竹島を日本領土として、領域を確定しました。
 明治27年、大清帝国と朝鮮に置ける権力闘争、(日清戦争;8ヶ月間)を勝利し、領土(遼東半島・台湾・ぼう潮列島、台湾割譲)を得ましたが、三国干渉(ロシア・仏・独)により、遼東半島は返還させられました。
 日本に遼東半島を与えれば事後の清国分割政策に多大の影響を与えるというのが理由でした。その後ロシアは遼東半島南端の旅順、大連の租借に成功しています。
 明治37年、満州を勢力圏としたロシア帝国の朝鮮支配を防ぎ、日本の安全保障を目的として、日露戦争(18ヶ月間)を戦い、勝利しました。
 有色人種が初めて白人に勝利した歴史的偉業で、日本はその後欧米列国から要注意国になりました。
 明治43年大日本帝国は朝鮮を併合(植民地ではない)し朝鮮半島を領有しました。
 大正3年、連合国の一員として第一次世界大戦(1914-1918)に参戦、日独戦争(数ヶ月間)に勝利し、中国でのドイツの権益ならびに南洋諸島(パラオ・マーシャル諸島)を委託統治領として確保しました。
 明治元年から国内平定に10年、事後40年間で3度の大戦を勝利し、欧米各国からの植民地化を免れ近代国家をなりました。
 明治の元勲が存命で、戦争目的が明確、国民が一致団結し、短期間で勝利を獲得できた、日本が存続するために必要な一連の戦争です。
 昭和6年満州事変では5ヶ月で満州全土を占領しました。昭和7年満州国建国、国際連合はこれを認めず、昭和8年に脱退しました。
 アメリカ等列強の権益との対立も深刻化していました。
 このあたりで、日本は国力温存、隠忍自重しておれば事後の志那事変(昭和12年)から大東亜戦争(昭和16年-昭和20年)に引き込まれなかったでしょう。
 対日制裁(ABCD包囲網)で止む無くアメリカと開戦し、昭和20年敗戦を迎えましたが、ミッドウェイ海戦(昭和17年)の敗北で勝負はついていました。
 以後は無益な戦争であり、明治の元勲がいれば早期に対処できていたでしょう。
 世界の中の日本、徳川末期、明治、大正、昭和の戦争の歴史、何処に歴史認識で共産中国や朝鮮半島両政府に問題提起をされるところがありましょう。
(続く)