「平成13年度遠洋練習航海回顧録」第一回

第46代練習艦隊司令官 保井信治


 平成13年度日本国練習艦隊遠洋航海(以後「遠航」)は遠航史上初めて寄港する中東湾岸7か国及びマダガスカル共和国を含む12か国を歴訪した。予定では13番目に最後の寄港地として計画されていた韓国は途中教科書問題がこじれたため取りやめられた。実習幹部は144名、練習艦「かしま」及び護衛艦「やまぎり」の2隻に分乗して4月20日晴海を出港、143日間の航海を終え、9月9日の予定を1日早めて横須賀港外に仮泊した。1日早めたのは近海に台風が発生し、進路予報では東京湾航路が閉鎖される恐れがあったためである。同航路が閉鎖されれば、晴海に入港することができない。帰国行事(10日)は台風のため中止とされた。9日、横須賀港外で通関を終えた「やまぎり」は実習幹部を「かしま」に移乗させて木更津沖に移動して台風避泊し、「かしま」1隻で晴海に着岸した。そんな中、10日、来艦された石川亨海幕長に帰国報告をした。その後、出迎える人もまばらな雨上がりの岸壁に降り立ち整列する実習幹部を「総員帽振れ」で見送った。
 前例のない国々を訪問して、新たなルートを開拓した13年度遠航は台風のため最後も異例な形で終わりを迎えたといってもよいであろう。


 11日は部内各部への報告と御礼の挨拶回りに終始した。その翌朝、アメリカから同時多発テロ発生のニュースが飛び込んできた。その日は小泉内閣総理大臣への帰国報告の予定であった。政府の対応を考えるとき、延期を当然予想したが予定通りと決まった。官邸内では礼装の白制服は目立つ。ましてこのようなときに。同行していただいた海幕長とは行きも帰りも多くの報道陣に取り囲まれ、急ぎ足でその間をかき分けながら進んだ。手短な報告を心掛けたが、総理には急かせるといった素振りもなく真剣に耳を傾けていただいた。このことには意外な感じさえしたことを覚えている。

 その後政府は迅速に対応した。10月29日テロ対策特別措置法が成立して、11月9日にはインド洋における補給支援のため護衛艦2隻、補給艦1隻が慌ただしく出港した。この派遣に際しては練習艦隊が同方面諸国の最新の港湾事情等を提供した。結果的に平成13年度遠洋航海はあたかもその事前調査をしたような形ともなったのである。  15年も前のことである。以下、覚書を手元に、13年度遠航の日々を懐かしいく思い出しながら記述を進めることとする。



実習の状況


 遠洋練習航海は、初級幹部の海上実習、すなわち学校等で得た知識及び技能の実地による修得を第1の目的としている。当年度については、基礎的知識技能の習得、健全な思考過程の体得及び実行力の充実を重点とし、モチベーションの維持向上を目的とした競技方式の導入、ディベート(写真下)等の新しい実習を試みた。また、艦内行事等の実施にも積極的に参加させて、企画力及び調整力の向上を図った。その第2の目的は、訪問する各国との親善および主として海上防衛の現状を研修することにある。また、旧戦跡近くでは慰霊祭を行い、諸外国の海軍艦艇と行き違うときは親善訓練も多く実施した。
諸外国訪問の概要については以下降訪問国別に紹介することとしたい。





シンガポール共和国

 5月4日チャンギ海軍基地に入港した。同港はその1年前に桟橋が完成したばかりである。桟橋の総延長約6200m、水深も十分深く米空母が横付けできる。入港期間中はシンガポール海軍記念行事が開催中であり、イベント会場では満員の観客が見守る中、音楽隊及び練習艦「かしま」祥瑞和太鼓チームが腕前を披露した。司会は男女の2人、男はインド系で英語を使い、女は中国系、中国語で進行しているようだ。何とも不思議な感じがした。また、同基地の国際的なお披露目の意味もあり、8日からはIMEDX(International Maritime Defense Exhibition in Asia 2001)が開催される予定で、参加する英、仏、豪、印、タイ、インドネシア、バングラデッシュの艦艇が入港していた。仏海軍とは親善訓練の調整をし、インド海軍からは次に寄港するチェンナイに関する最新情報を得ることができた。米、韓、パキスタン、マレーシアの艦艇は我々が出港後入港するということであった。
 7日出港、チェンナイ(インド)に向かった。



インド

 マラッカ海峡通峡後、アンダマン海でフランス海軍インド洋管区司令部旗艦「AOR VAR」(写真中央、なお、左が「かしま」右が「やまぎり」)と親善訓練を行った。補給艦に司令部機能を持たせている。順調に終始したが、例えばY「ヤンキー」を「ヨンク」と発音するなど、交話では戸惑うことがあった。



 5月14日チェンナイ(旧マドラス)に入港した。期間中200㎞北のウシャカパトナム(インド海軍東部艦隊所在)から2隻のホストシップとともに進出されたインド海軍東部艦隊司令官(シン中将)及び現地基地司令官による心温まる歓迎を受けた。特に、劇場を借り切っての民族舞踏会(文化紹介)には実習幹部のみならず多くの乗員も招待を受けた。色鮮やかな衣装をまとい独特な民族音楽に合わせて舞う姿に目を見張った。



 また相互に実施した艦上レセプションでは、特に若手士官同士の交流を重視して、大きな成果が得られた。写真はインド側艦艇における艦上レセプションにおけるオープニングセレモニーの一コマ、双方の最も若い士官二人によるケーキカットである。
 17日フジャイラ(UAE)に向け出港した。



 5月26日燃料、真水、食料等搭載のために入港し、同日、搭載終了後ミナ・サルマン(バハレーン)に向け出港した。今回ペルシャ湾には2回出入りしたが入、出のその都度補給のために合計4回同港を活用することになった。着岸して、向かいの山を見ると全体が灰色の岩山である。木1本見えない。風が吹くとドライヤーの熱風に包まれたのかと思うほどである。中東に来たことを体全体で実感した。岸壁は立派だが小さな商店が二三あるだけの港である。ただ、酒類は豊富、ジョニーウオーカー・ブルーラベルが存外安価に売られていた。

 特筆すべきは高圧的なパイロット(水先案内人)とその技量の低さである。中東はこんなものかと先々の不安がよぎったが、幸いにここだけのことであった。「かしま」に乗艦してきた最後のパイロットは特にひどく、「かしま」を岸壁から引き放す途中でパニックになった。曳船のコントロールができなくなり、後方の大型貨物船に激突しかねないところを艦長が操鑑を取り上げてなんとか危機を回避した。このパイロットは下船に際して厚かましく記念品を要求したが塩を捲いて追い払った。