「平成13年度遠洋練習航海回顧録」最終回

第46代練習艦隊司令官 保井信治

オマーン

 7月15日マスカットに入港した。古くから海上交易で栄えた王国であり、バザールの古い街並みと粘土で固めた城塞及び華麗な王宮に歴史を感じた。ザイード海軍司令官は国王の第3皇子である。市内ホテルで開催した同国海軍との合同チャリティコンサートの最後に同司令官から賛辞の言葉があった。その後大使の肝いりで食事会となり、司令官と二人の子供が同席された。メニューには握り寿司が準備されていたがフォークとナイフで寿司を食べられたのには驚いた。まだ寿司が当地では珍しい食べ物であった。夕方近く、時間に余裕ができたので市内の魚市場を見学に行くと、体長1メートル弱の立派なマグロであるが1本丸ごと40米ドルで売るという。咄嗟に買おうとしたが、氷も冷蔵設備もないため日陰であるが水をかけているだけらしい。ちょっと待てよと持ち上げてみると裏の半身には皺みが出て、色も変色していた。
 研修先の術科学校には現役の英国海軍中佐1名が教育訓練のプログラムマネージャーとして派遣されていた。配下には英国の退役軍人も教官として雇用されており英国との絆を感じた。また、パキスタンの退役軍人も雇用されていたが彼が太平洋戦争における日本の作戦に詳しいことも意外であった。同国海軍ではこれを教材にしているという。
 18日出港アブダビ(UAE)に向かった。





アラブ首長国連邦(UAE)

 7月19日ミナ・ザイードに入港した。オマーンと異なり近代的なビルが目立つ。海軍関連諸施設も新しく教育、造修関係は充実している。驚いたのは幹部の宿舎である。広く豪華なことは言うまでもないが、第2婦人用の別棟があった。
 ベドウィンの生活風習を体験する研修では日本製の4駆を連ねて砂漠の海に深く進出し、ベリーダンス、アラブ料理、ラクダ乗り、水煙草、特殊な樹液を使った入れ墨などが紹介された。ベリーダンスの踊り子は周囲から伸びてくる手をリズミカルにかわしつつ華麗に舞った。
 22日出港、フジャイラ経由バンダル・アッバース(イラン)に向かった。





イランイスラム共和国

 7月24日バンダル・アッバース(軍港)に入港した。親日国である。表敬したホルムズバン州の最高指導者である金曜礼拝導師(右端)及び革命防衛軍陸軍指揮官も予想に反して柔和な印象であった。革命当時イランの最高指導者ホメイニ師の狂気じみた(?)顔写真を見慣れていたせいであろう。知らず知らずに、先入観、刷り込みというものが己の中に植え付けられていたことを考えさせられた。
 海軍司令官(右から2番目)以下の強い希望で特別に艦内各部の案内を行ったところ、予定時間を軽く超えて熱心に見学された。その時のエピソードである。艦橋で彼が次は「ソーナー」を見学したいという。しかし、それは保全上できない。そう答えると、ではなくて、艦橋は「サウナ」のように暑い、早く涼しいところへ行こうと言ったのであった。彼は、艦橋に冷房装置もなく、しかも夏によく来たなとも言った。当時の護衛艦の艦橋には全艦暖房装置はあっても冷房装置が備え付けられていない船が多くあったのである。我々も係留してあったキロ級潜水艦などを興味深く見学した。
 また、彼はイラン・イラク戦争当時の体験談を多く語ってくれた。その中で彼が対艦誘導弾ハープーンを高く評価していたことは特筆に値するだろう。

 古都イスファハーン研修では、海軍及び陸軍の航空機を提供され、現地では陸軍憲兵隊による先導が行われた。世界遺産イマームモスク(写真)は16世紀末中世イスラム建築を代表する傑作である。婦人自衛官はアバヤを着用した。イランもイスラムの戒律がきびしい国であった。
 その他、同国ではいろいろと驚くことが多くあった。ジェーン海軍年鑑には非稼働と書いてあるイラン海軍P3Cが入港前は上空からの偵察(出迎え?)に、出港後は見送りに飛来したこともその一つであり、見たときは目を疑った。
 26日出港、フジャイラ経由ポートクラン(マレーシア)に向かった。





マレーシア


 8月9日ポートクランに入港した。同港の北300㎞に位置するムルット海軍基地を研修した。同国最大の海軍基地であり、シンガポール国境地区から移転されたばかりの近代的な海軍士官学校を案内された。同校生徒とのラグビー交歓試合は圧勝したが、彼らの中から将来のマレーシア海軍司令官以下が誕生することを思えば試合後の清々しい交流が何よりの成果であった。白いジャージが日本、紫と黄色のストライプがマレーシアチームである。
 12日出港、バンコク(タイ)に向かった。





















タイ王国

 8月16日チャオプラヤ川を北上してバンコクに入港した。タイ海軍のパイロットが乗艦して打ち合わせたのちチャオプラヤ川に進入を開始した。川は湾曲して流れ、ここかしこで渡し船が両岸を往来している。熟練したパイロットなしでは航行ははとても無理だ。それにしてもタイ海軍のパイロットの腕前はお見事であった。港に着岸するまでの間、一抹の不安も感なかった。21日出港、24日第2の寄港地サタヒップに入港した。バンコクでは士官学校(写真上)との交流を中心に、名所旧跡を研修した他有志を募り、麻薬撲滅運動に協力して地元の子供たちにサッカー教室を開催(写真中)した。


 また、防衛大学同窓会が開かれ80人を超すタイ人卒業生及び家族並びに国軍高官との交流は圧巻であった。75名の実習幹部がホームステイさせていただいた。
 サタヒップは韓国訪問中止(7月13日決定)に伴い急きょ計画された。余談ではあるが、韓国訪問に備えて購入し、ひそかに勉強していた会話のための教材はすべてが無駄になってしまった。

















 サタヒップではタイ海軍空母「チャクリ・ナルベート」(写真下)を研修することができた。また、たまたま入港していた米海軍空母「カールビンソン」を研修した。この変更を受け入れてくれたタイ王国海軍及び尽力していただいた関係者の皆様に感謝している。
 27日出港、横須賀港外に向かった。

 帰国前後の台風及び同時多発テロに関することの顛末は冒頭に既述したとおりである。

 ただ、岸壁で待つまばらな人の中に、マダガスカルから途中帰国したN1曹の姿を見たときは心から嬉しかった。これで全員が無事帰国できた。

 どんよりした雲が空を覆う中で実習幹部は黙々とそれぞれの任地に巣立っていった。あれから15年、個性豊かな一般幹部候補生第51期の諸君、今はどうしているのやら。海上自衛隊の中核として一層の精進を重ね海上防衛に貢献してほしい。ご健勝とご多幸を祈る。

 最後に、お世話になった訪問国各国大使、駐在武官、職員、在留邦人の方々及び国内から支援していただいた官民関係者の皆様並びに身内ではあるが実習幹部のため労を惜しまず汗を流してくれた両艦と司令部一同に感謝して擱筆することとする。

(完)