みね姉の見た「防人たちの素顔」 その11:自衛官のアイデンティティ

峯 まゆみ

 団的自衛権や憲法改正を巡って、議論が紛糾している昨今ですが、その是非についてはさておき、関連したことで、いささかならず気になることがあります。それは、声高に集団的自衛権に反対している方たちの中に、「元自衛官」を名乗る人がちらほらいて、感情的に政権批判、政策批判をしていることです。
 賛成しようが反対しようが、それはそれぞれの意見ですので、誰であってもそれを言う権利はありますが、その言質の共通点は、集団的自衛権可決=戦争になるということを主張しており、「戦場に行くことを恐れて、自衛隊を辞める若者が続出している」という内容で、そのような言動をあたかも「自衛官の意見」だと世間に対して出すこと自体が、自衛官に対する大きな侮辱であると思いますし、強い憤りを感じます。
 私は、陸海空のどの自衛官でも「戦争になる前に逃げたい、辞めたい」などと言っている人とはお会いしたことがありません。…その事すら民間人の前だから恰好をつけているのではないかという人もいるかもしれませんが、そうではない事は実際に話をすれば分かりますし、その話からは、自分たちは「服務の宣誓」をした自衛官なのだという矜持と覚悟が伝わってきます。
 彼らが異口同音に「我々は『行け』と言われれば、どこへでも行きます」と、よく言うのを聞きますが、その心の底には「自分たちは軍人なのだ」という気概があることが伝わってきます。呼称が自衛隊であっても、軍隊ではないと言われても「自分は軍人なのだ」という思い…呼び方がなんであれ、在り方は軍人と変わりはないという意思を感じます。
 もちろん、全員がそうであるわけではないでしょう。おそらく、自らを「軍人」と思っている人、「自衛官」だと思っている人、「公務員」だと思っている人と、彼らのアイデンティティは様々だと思います。同時にこれに年齢は関係ありません。
 まず「公務員」だと思っている人には、私は直接お会いしたことはありません。存在しているとは思いますが、少ないのではないでしょうか。「自衛官」だと思っている人―これは恣意的な意味合いとして「国防」というよりは「災害派遣・人道支援・人命救助」に重きを置いている方とさせていただきます。それが悪いわけではないのですが、震災以降、「人命救助」を目的として入隊する人が増えており、自衛隊の任務はあくまで「国防」であって、人命救助は任務の一つであり主たる任務ではないということを、後輩に理解してもらうことに頭を悩ませている先輩自衛官が、少なからずいるようです。
 人命救助であっても危険は伴いますし、命が脅かされる事態はもちろんあるのですが、外敵と戦って国を護る事と比較したら、その責任の重大さと危険の大きさは比較になりません。勝手ながら、自分のアイデンティティが「軍人」なのか、「自衛官」なのか、「公務員」なのかということに、その人の覚悟が垣間見えるような気がします。人命救助は確かに、危険でもあり素晴らしい事なのですが、外敵と対峙する覚悟の有無、という点で大きな違いがあるように思うからです。
 日本海海戦洋上慰霊式の日に、ある海上自衛隊の司令が「663年の白村江の戦い以降、『防人』の想いが受け継がれてきています。我々は、その意思を継ぐものとして、しっかり日本の海を護っていかねばならないと、改めて決意しました」と仰いました。日本はまさにこの日本史上初の対外戦争である白村江の戦い以後、大東亜戦争まで外敵に負けたことがありませんし、中・露・英・米と戦って勝利を収めた国は、他に存在しません。時代を経て防人、武士、帝国軍人、自衛官と呼び名は変わっても、その根底にある想いは不変であり、その精強さも受け継がれて来たのだと思います。
 その「護りたい」という想いを、想いだけで終わらせない形をきちんと整えることが、今の日本に必要なことではないかと考える次第です。