翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

候補生勤務 (1)

 わが二〇三教空では相変わらずのVP学生の教育が続いている。
 正直言って、私は至って気分良く勤務していた。なぜと言って、実施部隊(自衛隊ハ軍隊デハナイので「実戦部隊」とは言わない)に出れば、先に触れたように3P (ナビゲーター)からの出発である。それがここではいきなり2Pとしての勤務である。
 さらにここの機長はすべてパイロット教官なので、我々を左席(主操縦士席)に座らせて離着陸をさせてもらえることもある。
 言い訳するわけではないが、私は航法そのものは別に苦手ではないのである。むしろ得意な方である(ほんと)。航法テーブルに屈み込んで線を引いたり消したりという仕事が、どうも好きになれないだけのことである。
 折角空の上を飛んでいるというのに外が見えないのが、まず気に入らない。第二に(こちらがむしろ重要なのだが)気流が悪いと空酔いするのも問題である。
 そのナビゲーター勤務をバイパスした。これは大いに喜んでいいことなのである。私同様、航空学生でVP課程修了と同時に二〇三教空勤務となった者が前後数名いたが、当然ながら、そういうことで他の部隊に勤務する同期生たちからは羨ましがられる存在であった。
 通常のデスクワークは、運用班スケジュール掛である。教育の進み具合、教官の座学予定などをにらみながら、毎日の飛行予定を立てるのが仕事である。
 課業が終わると、一般の隊員と同様、食事をして風呂に入り、外出日は外出する。階級は二曹なので、外出は平日が三分の一つまり二日に一度である。
 土日と休日は別勘定で、階級に関係なく土曜日のみ、日曜日のみ、土日引き続き(「引き」と称した)と外出日が順繰りに変わる。
 居住区も一般隊員と同じである。一般隊員の、それも新隊員から古参海曹までが雑居する大部屋、いろいろと軋礫もある。加えて隊員は玉石混交、懸命に努力している者もいれば、毎日をぬるま湯に浸った気分でラクして暮らすのが一番という不心得な者もいる。
 我々候補生(課程を修了して部隊配属になると、飛行学生時分の「○○学生」という呼び名が「○○候補生」になる)は、階級の割りに二一歳と年齢が若いので、多少気を使う面もあったが、まあまあうまく折り合って暮らしていた。
 といっても、そんな雰囲気に埋没したくない、かといって良い子ぶって孤立するのも困る、といった中途半端な立場にいたのも事実である。
 そんな状況は上の方にも伝わるものらしく、昭和三十八年(一九六三年)になって部隊における飛行幹部候補生教育のあり方が、海上自衛隊全体で一本化されることになった。
 課業以外の場における、居住の場所、日課、外出、当直などを含めた飛行幹部候補生の内務(勤務以外の隊内生活)及び訓育、体育、素養教育などが各基地ごとに統一的、計画的に実施されることになった。
 主任指導官が定められ、居住区も飛行学生の居住区の一部が割り当てられた。
 外出も一般隊員とは別の基準(一律に水、土、日及び休日)が定められ、課業後の体育、夕食後の自習などのほか、素養教育、訓育、体育、行軍、登山その他の行事が所属部隊の枠を超えて実施されることになり、我々の生活も一変した。
 この制度は、平成の現在も同様に引き継がれている。