翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

候補生勤務 (2)

 さて、話は後戻りする。
 昭和三十七年九月、二〇三教空勤務となってまだニカ月という時期である。
 夕刻、我々が外出の用意などしているところに、当直海士がやってきた。
「まだ外出はできないそうです」
「まだできないって、どういうことだ」
「何か航空事故があったそうで、外出はしばらく待て、と」
「それを早く言え」
 部隊は、機種は、場所は、とたたみかけるが、要領を得ない。ともあれ、急いで教育飛行隊の事務室に駆けつける。
 隣の一空所属のP2Vに事故があったらしい、との話であるが、詳細がなかなか伝わってこない。一空に行って聞くのが最も早いのだが、このような場合、ただでさえごったがえしている当の部隊に顔を出して聞き回ったり、電話で根掘り葉掘りするのはご法度なのである。
 といって何もしないでいたのでは必要な手助けの準備すらできないので、司令の命を受けた誰かが、邪魔にならないようにそっとのぞいては情報を仕入れてくる。
「一六五五、奄美大島の名瀬に血清投下に行ったP2Vが墜落したのだそうです」
「そういえば、応急出動発令のマイクがかかっていたな。それで?」
「血清投下地点を確認中に山腹に衝突して機体は炎上、乗員一二名は絶望。墜落地点の民家に火災が発生、死傷者も出た模様とのことです」
 我々は、逐次判明する事故の悲惨な状況に、発する言葉もない。
 結局この事故では乗員一二名全員が殉職、民間人に死者一名、重軽傷者九名が出たほか民家数十棟が全半焼した。被害の規模において、海上自衛隊の事故としては空前絶後である。
 まだ飛行機乗りとしては日も浅い私には、乗員に知人もなくその意味での哀惜は少なかったものの、空に生きることを志したからには、万一の覚悟だけは必要であることを痛感したことであった。
 これは事故ではないが、こんなこともあつた。
 昭和三十八年(一九六三年)夏のことである。南西諸島沿いのコースでVP学生の航法教育をやっていたP2Vが片エンジン不調のため、沖縄の米海軍嘉手納基地に緊急着陸するということが起こった。
 シングルエンジン(片発状態)そのものは、そのままで十分飛行可能なので危険事態ではないが、残るエンジンが不調になることも考えられるので、最寄りの飛行場に着陸するのが不文律である。
 当時の沖縄はまだ米国の統治下にあった(沖縄が返還になるのは、この九年後の昭和四十七年のことである)ため多少の迷いはあったらしいが、ともかく嘉手納に事情を通報、許可を得て無事着陸、現地修理の後、翌日帰投した。
「運が良いよ。南国沖縄を満喫できただろうなあ」
 我々、部隊に残っていた者は羨ましがった。
「バカ言っちゃいけない。パスポートもない入国者を自由に外出させるわけがない。おまけにだれ一人金も着替えも持ってなかったし、暑くて面倒な思いをしただけだよ」
「沖縄も日本なのになあ」
 以下は、機長と航法教官の話を総合したもの。
「着陸はジェット(P2Vには、補助用として両主翼下面、レシプロエンジンの外側にターボジェットエンジンを搭載している)を使用、なんの問題もなかった。着陸後、米海軍は親切に対応してくれたが、沖縄の日本領事館から来た人は、あまり頼りにならなかった。タバコ代もない(沖縄の通貨はドルなので当然だが)ので、なんとかしてくれといったら、出してくれたのがなんと一二ドル。一二人に一二ドル。それも『あとで返して下さい』。いかにも迷惑そうな態度で面白くなかつた。頼みの綱だから怒鳴りもできなかったが、極めて不愉快だった」
 そんな日本人はどこにもいる。外人コンプレツクスの裏返しとでもいうか、外人側に立って日本人に応対するとき、自分が一段偉いもののように振る舞って意地悪するやつ、後年厚木基地で勤務したときの経験でも、米軍に雇われている日本人にその見本のようなのが何人かいた。
 それにひきかえ、米軍人、ことに海軍の連中は親切である。
 米海軍部隊のいる基地で、故障が発生したので相談に行く。
「UHF (無線機)が調子悪いんだが……」
「それならここに新品がある。これと交換してやろう」
「え、いいの」
「オーケイオーケイ、ノープロブレム」
 こっちがオロオロするほどの気前の良さ。補給の手続きなんかほんと大丈夫かな、とむしろ不安になる。
 持ちつ持たれつ、海上自衛隊と米海軍との間に見られるような、親密かつ協力的なこういった関係を「ネイビー・トウ・ネイビー」と言う。「同じ海軍同士じゃないか」という思い入れと、かの大戦で好敵手として相まみえたという、お互いの敬意が根底にある。
 この沖縄緊急着陸の一件では、「フライトに臨むときは、なにがしかの現金だけは身に付けておくべきである(ドルの国では仕方もないが)ことを学び、以来、そう心掛けてきたが、給料日前になるとそうもいかないときもしばしばあったことを、白状しなければならない。