翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

飛行幹部候補生課程――江田島 (1)

 瀬戸内海には、「白砂青松」という言葉そのままの印象を受ける島が多いが、江田島もその一つである。形を大雑把にいえば「Y」の字である。二本のツノの間の部分は「江田内」と呼ばれる細長い湾をなしている。北に向いた湾口の目と鼻の先が広島の市街である。東は狭い海を隔てて呉市に面している。
 海上自衛隊幹部候補生学校は、右のツノの中程の、江田内に面した側にある。同じ構内には第一術科学校(主として艦艇乗員の術科教育を行なっている)がある。また一画には、幕末以来の日本海軍の資料、史料を収集展示した「参考館」があり、一年中見学者が引きも切らない。
 呉からフェリーで「小用」という小さな港に着く。バスで小さな峠を越え、坂を下り切るとそこが自衛隊である。
 門を入る。白砂の敷き詰められた道路、黒松の並木。右手に大理石造りの大講堂、続いて赤レンガの幹部候補生学校。松の樹間ごしの江田内のきらめきに気づく辺りまで進むと、右手に、これはコンクリート製だが、大きな第一術科学校の建物。
 構内のたたずまいは、明治の面影を残して、重厚ですがすがしい。
 我々はこれから、ここで幹部になるための教育を受けることになる。
 現在、この年四月から課程を開始した一五期幹部候補生(防大八期生が中心のクラス)が、翌年三月までの予定で履修中である。彼らの課程が一年なのに対し、我々飛行幹部候補生の課程と上級海曹から選抜されてきた幹部予定者の課程は半年である。すでに部隊勤務の経験があるので、カリキュラムもいろいろ端折れるのである。
 ここでは英語、数学などの普通学科のほか、各種の戦術、術科、部下統率、指揮要務などを系統的に学ぶ。
 航空学生は半年おきの採用なので、幹部候補生学校の課程もクラスごとまとめての方が都合はいいのだが、そこは部隊の都合もあって前段、後段と二回に分かれて入校する。前段は、先輩期の後段と一緒、後段は後輩期の前段と一緒ということになる。
 一月から六月までの課程、七月から十二月までの課程は、履修する内容に変わりはないが、季節的な行事や訓練科目に若干の違いがある。ここが一考を要するところでもある。
 一月からの課程では、厳冬訓練(寒稽古。主として駆け足)がある。寒いの、早起き、駆け足に弱い向きは何としても避けたいところである。
 七月からの課程は遠泳訓練が目玉である。赤帽(水泳未熟者)からさして進歩していないと自己診断するなら、一月からの課程を選びたい。
 遠泳訓練と厳冬訓練を秤にかけて、得手不得手、利害得失をよくよく検討して上司に陳情に行く。
「私はご承知のとおり駆け足が苦手です。したがって厳冬訓練のない七月からの課程にしてもらえないでしょうか」
「得意なものを選んでラクしようとは、航空学生らしからぬ不心得である。不得手な種目を征服することこそ意義のある本当の訓練、一月から行って鍛えて来い」
 概ねこういうことになる。鎧袖一触である。

 ともあれ私は後段である。したがって遠泳訓練がある。得意でもないがまったく苦にはならないので、朝早くから寒風をついての駆け足よりはましかな、と思うだけである。
 遠泳訓練の日の当直学生は、船溜まりから警戒用の伝馬船を少し離れた訓練開始場所まで回航しなければならない。当直学生は二人で一組である。
「頼むよ。おれは伝馬船は漕げない。いや、漕げるけど思う方に行けない」
「えっ、おれも漕げない。まるきリダメだ」
「前のときはどうした?」
「相棒が漕いだ。なんとか漕げた。おまえは?」
「おれも相棒に頼んだ。漁師の息子だとかいってスイスイ漕いだ。おれは座ってただけ」
顔を見合わせていても仕方がない。なんとかなるかも、と二人で乗り込んでまず相棒が艪を握る。なんとも危ない腰つきで艪を押すが、舟はまったく進まず揺れるだけ、そのうち近くにもやってあった伝馬船と防波堤の間に艪が挟まって、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
「交替。おまえの漕ぎ方を見てたらわかってきた。うまい人のを見るのもいいが、下手ッピイのを見るのも理解の助けになるな」
などと減らず口をたたいて、私が立ち上がる。わかったつもりが、やはり駄目。舟はあちらに向き、こちらに向き、まるで言うことを聞こうとしない。舳先を防波堤にぶつけたり、他の船をもやってあるロープで首を吊りそうになったり、二人して汗ダクで悪戦苦闘するうち、教官が自転車でやって来た。
「何をやっとるか。とっくに訓練開始の時間を過ぎたぞ。皆待っているんだ、急げ」
「はあ、急げと言われても……。伝馬船がいうことを聞かないもので……。そうだ、教官。替わって下さい。自転車は私があっちに回しておきます」
 この後、遠泳訓練の期間中に当直が回って来ることはなかったので、私はいまだに伝馬船を漕げない。いや、漕げないと思う。あれから漕いだことがないので正確にはわからない。
 遠泳訓練の仕上げは、江田内をグルリと回る一周一一キロのコース。無事に皆完泳してめでたしとなった。