翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

入隊教育 ―― 呉(2)

 たったの三カ月、以後もお世話になることになった藤井分隊士を除いて、ほとんど会うこともなかった分隊長以下の人たちではあるが、中学、高校の恩師なみに懐かしい存在になったのは、考えてみれば不思議なことではある。
 平成元年の春、入隊三〇周年の同期会を熱海のホテルでやり、そのときこれらの方たちのほとんどが元気な顔を見せられた。
 ちょっと見には班長とそう変わりのない外見に育ってしまつた我々一同、入隊当初の昔に戻って、いつ果てるとも知れぬ思い出話に花が咲いたのであった。
 一驚したのは、三〇年を経てなお、我々の大部分の名前を覚えておられたことで、我々の教育に注がれた情熱の深さに思い至り、深い感銘を受けたことであつた。
 さて、講堂と寝室は教部ごとに分けられていたが、訓練、行事、作業については、たとえばカッター訓練、掃除区域の割り当て、食事及びその準備や片付けなど、班が行動単位となることが多かった。
 私は六班に入れられ、したがって二教部に所属することになった。
 航空学生教育の課程は、ここ呉教育隊での「操縦基礎前期課程」に始まり、千葉県館山市の館山術科教育隊での「操縦基礎後期課程」、奈良にある航空自衛隊幹部候補生学校での「操縦英語課程」と続き、入隊後約一年半を経て下関市小月の航空自衛隊第一一飛行教育団での「基本操縦課程」に至り、ようやく実地の飛行教育にたどりつく仕組みである。
 ここ呉での課程は約三カ月で、「操縦基礎課程」と銘打ってはいるものの、その実態は海上自衛隊員としてのイロハの教育であった。
 西も東もわからない新前隊員に、制服の着方、畳み方に始まり、気をつけ、休め、前へ進め、さらにはベツドメイクから靴の磨き方に至る海上自衛隊の生活習慣の一切合切、隊員としての心構え、海上自衛隊の部隊編成から任務の概要、基本的な術科の知識まで、たったの三カ月で教え込もうというのだから、教えるほうも教わるほうも大変である。
 班長は朝から夜まで付きっきりに近い状態で(かなり迷惑な感じは否定できないが)何くれとなく世話を焼いてくれる。隊員から学生入りした連中は、班長助手といった役どころで、これまた自分のことは後回しにして面倒を見てくれる。手とり足とり、日課が進むにつれて一つ一つ対応の仕方を教えてくれる段取りで、噛んで含めるような周到さである。が、中には抜けの出ることもある。
 状況からして初日だったかと思う。夕食が済み、やれやれと浴室に行き、冷や汗、アブラ汗をさっぱりと流して、寝室に戻る途中であった。突如、そこら中のスピーカーがけたたましくラッパの音をふりまきはじめた。少し離れた港内からも艦艇のものらしいラッパの響きが流れてくる。
「何だい、あれ」
「知らねえ。巡検ってやつじゃないか」
「巡検は寝る前じゃないのか。まだ早いだろ」
 知り合ったばかりの同期生同士、話しつつ歩いていると、
「気をつけ― っ」
 どこからか、バカでかい声で号令がかかった。首をすくめて見回すと、そこの建物の陰から年期の入っていそうな作業服が、目を三角にしてにらんでいる。
「気をつけ― っ」
 再び顔中かくれるような大口でどなる。あわてて教わったばかりの「気をつけ」の姿勢をとる。くだんの隊員が、ラッパの音が止んだところで、つかつかと我々の所にやって来て、
「国旗が降りるときは、その方角を向いて気をつけをするっ。わかったかっ」
「はいっ」
 本当はよくわかってない。わかってないのだが、ともあれ返事だけはする。
「なんだ、その返事はっ。声が小さい。はっきり返事しろ― わかったのかっ」
「はいっ」
「よ―し」
 今朝から、こんな調子で何度となくやられ、返事さえしておけばその場はなんとかなることが多いらしいと、我々は賢明にもすでに読み取っている。
 解放されて、
「国旗を降ろしたのか。で、気をつけか。だれも教えてくれなかったよなあ」
「うん、それにはんばな時間だぜ」
「おれたちは、まあよかったけどよ。でも風呂にいた連中どうしたんだろうか」
「素っ裸で、か。まいるぜ」
「そんときはムスコにまかせて、オヤジは気をつけしなくっていいんじゃないか」
 そんなこんなで、国旗は〇八〇〇(軍隊用の時刻表記で八時○分を表わす。以下これで表わす。当初奇異に感じたが慣れると便利である。だいいちコロンがないぶん字数が少ない)の課業開始時に掲揚するが、降下は日没時なので、その時刻は日々少しずつ変わること、その掲揚降下時には何はともあれ「気をつけ」をし、国旗が見える場所では挙手注目の敬礼をすべきであることを学んだのだった。
 また、あの「パンパカパーン」とけたたましいラッパが「ラッパ君が代」と呼ばれ、国歌の代わりに吹奏する曲だと聞かされたが、「君が代」と似ても似つかないあのメロディーがどうして「ラッパ君が代」なのかはいまだによくわからないでいる。