翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

入隊教育 ―― 呉(4)

 夕食の前の別課体育は柔道、剣道、それにラグビーのうちどれかを選んで行なう。私は高校時代少しだけ柔道をかじっていたのだが、同期生に国体出場経験者が数名いる診いわかったので、班長や教官に絞られたうえ、同期生にまでしごかれるのはたまらんと、急違ラグビーに変更した。
 しかしここでの別課は、後に館山で経験したそれに比べるとそれ程ハードなものではなかった。
 夕食の後、入浴としばしの休息があり、自習がある。終わって甲板掃除(寝室、講堂、階段、廊下、便所等屋内の清掃)、巡検、三二〇〇消灯。
 これらの日課は、すべて隊内スピーカーで伝達される。ごく一部を除いて「五分前」の号令もかかる。これは、時間になると同時に、作業などにかかれるように心の準備、物の準備をするという「五分前の精神」という海軍伝統のしつけ方針に基づいており、現在も続いている。
 ただ、この五分前の精神を強調し過ぎると、五分前の五分前が必要になり、さらにその五分前が必要になったりして、儀式などの場合、所要の整列時刻の一五分も二〇分も前から仕事を止めて待つなどの不都合も出てくるので、注意が肝要である。
 念のため言っておくと、「課業止め五分前」等の場合は、「後片付けにかかれ」という意味であって、休む準備でカードを配り始めたりしてはいけないのである。
 さて、土曜日の午後から日曜日いつぱいは休養で、朝の体操、甲板掃除、巡検それに食事時間のほかは消灯まで自由である。もちろん祝祭日も同様である。
 我々の場合、入隊わずか数日後に皇太子のご成婚行事があり、この日は休日になって、全員に紅自の餞頭が配られた。
「自衛隊は、いいねえ。皇太子殿下にはちょくちょくご成婚してもらいたいね」
 などととんでもないことを言い合ったりして、二重の喜びに浸ったのだった。
 外出は、当初の一カ月間は、なし。班長の言では「おまえたちの娑婆ッ気を抜くため」ということなのだが、日課に追いかけられて、このまま続けられるものかどうか否安を持っている時期に外出させると、自由でのんびりした空気に触れて里心がつくかも知れないということである。
 五月に入ってからは、日曜日の日中のみ外出が許可になったが、映画を見るか、食堂に入って、いつもは口に入らないものを食うか、公園を散歩するかぐらいでさしたることもないのだが、部隊の空気から一時的にでも逃れられるとあって、PXでの束の間の飲み食いと並んで最大の楽しみであった。
 たったの三カ月ではあったが、その割りには行事も盛り沢山にあった。焼山(市街のすぐ南にある)登山、灰ケ峰(呉市の東方)登山、近在の部隊研修、江田島大原射撃場での射撃訓練、さらには水泳、カッター、マラソン、相撲などの体育競技。
 それらの行事を含め、厳しく忙しい訓練の中、辛さ、楽しさ、喜び、悔しさなどを分かち合いながら、我々は同期生としての絆を強めていったのだった。
 入隊に先立ち多少の覚悟はしていたのだったが、海軍精神注入棒の登場もなく、ビンタも飛ばない教育に、かの名宰相吉田茂の有名な国会答弁「自衛隊ハ軍隊デハナイノデアリマス」を、事実として認識できたのだったが、暴力行為に類する体罰は一切なかったものの、先に述べた毛布を抱いてのビル内一周に類することは日常茶飯事であった。
 多くの場合、何かの作業で他の大多数より完了が遅いと、
「最後の五人、グラウンド一周。急げっ」
 などとやられる。毛布のケースでは、みんなが畳み方に習熟してからはほとんどなくなったが、作業などでは具合の悪いことに、仮りに皆揃って相当に上達したとしても、必ずなにがしかの遅速は出るわけで、対象者は未来永劫なくならないことになる。
 競争させて作業に早く慣れさせる、きびきび作業をする習慣をつけさせるなど、善意にとればそれなりの理屈もメリットもありそうだが、習慣的、無目的にやらされたケースも少なからずあつたように思う。
 それはともかく、皆どうやら自衛隊員に見えなくもないというところまでになり、七月中旬、呉教育隊を無事修業して、次の課程の始まる千葉県館山に向けて勇躍旅立ったのであった。