翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

操縦基礎課程 ―― 館山 (2)

 増崎達矢一尉、この人が分隊長。「指揮官先頭」が制服を着たような人である。小柄ながら全身のそこここにTNT火薬が仕込んであるかと思われるバネの利いた行動派、ただしあまリガラはよろしくない。
 正帽を少しアミダに被って、ドカドカと講堂に入ってきたと思うと、そこにあった椅子にドンと片足を上げ、我々に向けてカミソリのような眼光をギリッと射込んで、
「オレが今日からおまえたちの指揮をとる。気合いを入れてついて来いッ」
 皆毒気を抜かれてタジタジとなる。
 分隊士は、呉教育隊に引き続いて面倒を見てくれることになった藤井薫二尉、こちらは物静かな紳士である。何もかもお見通しの注意力、推理力の持ち主であり、それでいて面倒見のいい人である。
 配合の妙を得た分隊長、分隊士の下、我々の館山生活は始まった。
 起床は呉教育隊と同様に〇六〇〇である。体操、駆け足、甲板掃除は呉でのやり方と同様である。駆け足の距離は次第に延びて、 一番長いときで八キロ前後であった。これ以上になると時間的に以後の日課を圧迫することになるはずで、この辺りが限度だったのかと思う。
 食事はこれまでの食卓当番方式と違って、めいめいで食堂に行き自分で受け取って食べる。
 〇八〇〇、課業整列を終わって教務。 一二〇〇昼食。通常の時期だと昼休みの後一三〇〇から再び教務、ということになるが、今は夏、午後は水泳訓練が入る。その代わりでもあるまいが、昼休みは昼寝の時間である。念のため言うと、自衛隊の昼寝の時間というのは「寝てもいい」のではなくて、「寝なくちゃいけない」のである。話でもしていると、どこで聞き付けるのか、
「黙って寝ろッ」
 と教官の声が飛んでくる。地獄耳、千里眼。教官は超能力者じやないのかと疑いたくなる。
 起こされる。水泳パンツ、水泳帽でグラウンドに整列、「スベリ」に向かう。スベリとは、漁船を海に下ろしたり陸に引き上げたりするのと同様、水上飛行機の発進、収容に使用した場所で、コンクリート舗装がゆるやかな傾斜で海中に入り込んでいる。この館山基地は、海軍の飛行艇基地でもあったのでいまだにそれが残っているのである。
 準備体操の後、基地の北側、漁港の脇にあるそのスベリから海中に入る。四列縦隊、列を整えて、館山湾のほぼ中央にある北条桟橋に向けて平泳ぎで進み始める。急病人の発生や足がつつたりした場合に備えて警戒の小舟が随伴している。
 白い水泳帽が規則正しくならんでストロークにしたがいヒョコヒヨコ上下する。その外側にぼつぽつ浮かんでいる黒い水泳帽は教官のものである。
 水泳帽には赤いのもあるが、これは「赤帽」といって水泳未熟者が使用する。「未熟者」とは自由形、平泳ぎのいずれかでも五〇メートルに六〇秒を切れない技量の者をいう。同期生にも何人かその赤帽がいて、 一部は呉での特訓の甲斐あって自帽に昇格したが、いまだプールでの特訓に参加中で海上訓練に参加できない者もいる。(その連中も逐次白帽を獲得し、水泳訓練期間の終わる頃には全員が海上訓練に参加できるようになった)
 隊列を組んでの遠泳では、ペースが難しい。早すぎるとバテる者が出るし、遅すぎると身体が立ってしまい進み具合のわりにえらくくたびれる。先頭を泳ぐ者の責任は重大である。
 ときに列を離れる者がいる。
「おおい、どうかしたか」
 すぐに随伴の舟から声が飛ぶ。
「はあ……、あの……」
 みなまで聞かず、なあんだというように向きかけた船首を返す。つまり、オシッコなのである。水泳の最中に自然の呼び声がかかっても、海上には公衆便所も電柱もないから具合が悪い。かといって、いくら希釈されるとはいっても後続の同期生に飲ませるにはしのびないので、やむなく列を離れて用を足すのである。
 たしかに行儀の悪い話ではあるが、海洋汚染防止法の成立は後年のことで、法の不遡及の原則からすれば、我々は今後とも安心していてよさそうである。
 スベリから北条桟橋までは一・五キロ程ある。泳いで行くにつれ、いつもこの時分桟橋に着いている伊豆大島行き連絡船の姿がだんだん大きくなる。やがて「橘丸」という船名が読めるまでになり、乗客が見分けられるようになる。ここらでビッチもぐんと上がる。
「あ、可愛い子が乗ってるぞ」
 などとわかるようになると折り返しである。初日、てっきり桟橋に上がって休めるものと思っていた我々には、この敵前大回頭は青天のヘキレキで、気落ちしたあまりあやうく水没しかかつた者もいたほどである。
 帰り着いてペンギンのような足取りでスベリから上がり、部隊に戻ってさっと塩気を流したら別課である。