翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

操縦基礎課程 ―― 館山 (3)

 別課は前述のとおり柔道、剣道、ラグビー、サッカーの四つの部に分かれて行なう。柔道、剣道については詳しいことはわからないまでも、ここでの一年弱で有段者はそれぞれ昇段し、初心者もみな初段を取得したところを見れば、結構シビアな訓練を積んだと考えてよさそうである。
 サッカー、ラグビーともに、高校での経験者は二、三人、あとはルールも知らない者ばかりのチームが、ほどなく近隣の高校をまるで相手にしないまでになり、海上自衛隊最強レベルの軍団になった。当時の海自の競技レベルを考慮に入れたとしても、その鍛えられ方がおよそ想像できるはずである。
 特に私の所属したラグビー部は、稽古の質、量ともにメニューたっぷりであった。我々が石灰をまぶしたボールを追いかけているのを尻目に、他の連中は湯道具を抱えて浴室へ、というのが毎日のことであった。
 ボールに石灰をまぶすのは、薄闇のなかで少しでもボールを見やすくするためなのだが、受け損ねて石灰が目に入りえらい思いをするくらいで、視覚効果のほうはそれほどのことはなかった。
 他の部の連中が早めに風呂に急ぐのには、別に理由がある。それは我々ラグビー部が風呂に押し掛けると、たちまち洗い場に砂が筋をなして流れはじめ、浴槽の底がザラザラしてくるのである。それを敬遠して他の部の連中が早目に切り上げるせいで、我々は風呂場で遠慮なくユニフォームを洗濯することができるのだった。
 食事は当然他の部より遅くなり、もちろん他の一般の隊員などは影も形もない食堂でセルフサービスである。幸い烹炊所の先任海曹が親分肌の、我々に極めて好意的な人で、
「おまえらには、たっぷり食ってたっぷり鍛えてもらわにゃならん。だから腹がへって元気が出んと言わせるようなことはしないから安心しろ。足りないときは貯蔵庫を破らん限りそこらにあるものはなんでも食っていい」
 おかげで、いつも飯はたっぷり残してあり、おかずは足りないこともあったが、そんなときはそこらを探しまわると、ちゃんと卵、豆腐、佃煮、漬物などがさり気なく冷蔵庫の中に置いてあるのだった。
 グラウンドは広さこそ不自由はなかったものの、裸土のうえそこら中小石が転がっているというひどいもので、生傷が絶えなかった。おまけに土にか、海水にかしつこいバイキンがいるらしくて傷の治りがひどく遅く、治りきらない傷の上にまた傷をつくるということになるのが常であった。しかし、悪条件は精神力でカバーするというのが旧軍以来の伝統である。
「気合いを入れてやれ。気を抜くと怪我をするぞ」
 教官、先輩のこれは口癖。実際に猛練習の割りには、誰一人として骨折などの大きな怪我はしなかった。
 私には、これを忘れた、苦くてお粗末な経験がある。
「おい、PXに西瓜でも食いに行かないか」
「今からか。もうすぐ自習が始まる時間だぜ」
「今日は水曜だから自習はないよ。忘れたのか」
「バカ。今日は木曜だ。さてはおまえ、昨日の一件で頭がおかしくなったな」
「何のことだ、それ」
「今日は一見普通だからもう治ったと思ってたんだがなあ。しようがないな、この話、もう五回はしたんだぞ」
 と言って、彼は次の話をしてくれた。
 昨日の別課の時間、タックルの練習をやっていたときのことである。私はタックルの受け役をやっていた。私は誰かのタックルを受けて倒れ、脳震盪を起こしたらしい。しばらくして起き上がった私は、
「ちょっと頭が痛むから、少し休む」
 とグラウンドの外に出て座り込んだ。が、結局そのまま練習が終わるまでグラウンドには入らなかった。
 夕食後、「今日は自習がないからそのまま寝ろ」という友人のすすめで、風呂にも入らずにベッドに入った……。
 私は倒れる前、タックルを受けながら誰かと言葉を交わしていたらしい。まさに気を抜いていたわけで、天罰てきめんというところである。
「今朝ベッドのシーツが妙にザラついてると思ったが、風呂に入らなかったので砂が落ちたのか」
「それに昨夜のおまえは、『記憶喪失になったかも知れん。今朝からのことを全部話してみてくれ』ってうるさいんだ。話してやって五分も経つとまた同じことを言うんだぜ」
 聞くうちに、記憶の断片が見えてきた。
「そうか、悪かった。多少思い出した。なんか倒れたとき、女の子が介抱してくれたろう。例の笑顔のいい彼女……」
「あはは、本気にしてたのか、あれは誰かの作り話だ。からかわれたのさ」
 聞かされた作り話と、本物の記憶の断片がごっちゃになっている。
 この一件で、私は人生のまるまる一日をどこかへ失ってしまったことになる。