翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

P2V‐7 (5)

 そんなある日、司令部からお呼びが掛かった。
「南極観測支援のため南極に向かう砕氷艦『ふじ』が、奄美大島の南東海上を南下中だ。越冬隊長と艦長あてに群司令のメッセージを伝えること、最近の新聞雑誌を届けること、航行中の写真を撮影してくること。これが任務だ。会合時刻は○○、会合点は○○」
「ふじ」は、老朽化した初代南極観測支援艦「宗谷」に代えて新造された海上自衛隊唯一の砕氷艦である。「ふじ」は昭和五十八年、三代目の艦である「しらせ」にバトンを渡すまでに都合一八回にわたって南極観測の支援に当たることになるが、昭和四十年(一九六五年)のこれが最初の南極行きである。
 二、三日前、東京の晴海埠頭を出発するときの様子をマスコミが伝えていたのは見ている。
 メッセージのメモと新聞雑誌を詰めた物量投下用コンテナを受け取って、張り切って出発する。天候は良好、「ふじ」とは簡単に会合できた。
 無線でメッセージを伝え、低空で艦の後方から前方にすりぬけつつコンテナを投下する。
 コンテナはパラシュート付きで、サンドバッグほどの大きさの円筒形、防水のうえ水に浮く構造である。
 武器員に指示して最後部の小窓から写真を撮影させる。安全ベルトを着け小窓を開いての撮影である。プラスティックの窓を通してでは細かなキズのためにどうしても明瞭度に欠けるのである。
 着水したコンテナが甲板に引き揚げられるのを確認し、艦からのお礼のメッセージを受領して帰途につく。
「任務終了、人員器材異状なし」
 そこで、「ふじ」からのメッセージを記録したメモを提出して一件落着、と思いきや、エプロンに戻ったとたん、大勢の記者連中に取りかこまれた。
 場所は、時間は、どんな様子でしたか、メッセージの内容は、などとひとしきり質問を浴びて解放されたが、初めての経験で多少上がり気味であったことは否めない。
 翌日、部隊から提供した写真を入れた記事が全国版に載った。
「澄み切った秋空の下、青い海に白い航跡をひいて進むオレンジ色の船体、非常に印象的でした」
 機長の岡崎三尉はこう語った、と名前入りの報道である。
 そんな詩的なことを言った覚えはないのだが、ともかく早速に故郷のおやじから手紙が届いた。
「新聞でおまえの名を見て、元気にやっているのがわかり安心した。おまえの弟たちも学校で、あれはおまえの兄貴だろうと聞かれて、ちょっと鼻が高かったと喜んでいた」
 なんの手柄を立てたわけでもないが、こんなことも親孝行に類するのかも知れない。