翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

操縦英語課程 ―― 奈良 (2)

 古都奈良は盆地である。盆地の気候は冬寒く夏は暑いと言われるが、なるほどこの年のここの暑さは特筆ものであった。
 エアコンはおろか一扇風機さえ夢のまた夢という太古の時代、寝るときは窓を全開にするのが唯一の対策。風はほとんどない。あちこちからウシガエルの声が響いてくる。
 これは近くにある古墳の周囲に巡らした濠に棲みついているやつである。なにしろ、この学校を取り巻くかたちでコナベ古墳、ウワナベ古墳、磐媛命(仁徳天皇の皇后)古墳と三つも古墳があってそれぞれに濠があり、おまけに付近に水上池なる池まである。したがってウシガエルはそこら中にいて、日がな一日「ウオンウオン」と鳴いている。
 彼らのエサは主としてボウフラではないかと推測するのだが、どうやらボウフラの増勢を食い止めるほどの効果はないとみえて、辺りはおそろしく蚊が多い。セスナ機のように魁偉雄大なやつである。
 網戸などもこれまた誰一人思いつきもしない時代なので、それぞれのベッドに蚊帳を吊って寝る。それでなくても動かない空気が、蚊帳のせいで、寝ている身体の周りに澱んで居すわっている。汗が首筋からみぞおちからベツドのシーツに伝い落ちるのが感じられる。

 休日はせいぜい古都巡りに活用した。東大寺、興福寺、春日大社、奈良公園、少し足を延ばして唐招提寺、薬師寺、法隆寺など。徒歩か、せいぜいバスを使ってのぶらり散策は、抹香くさくはあるが、暇がつぶせてしかも金がかからないのがいい。
 幹部候補生学校のある法華寺町界隈にも名刹がある。海竜王寺、不退寺、それに地名になっている法華寺もそうである。
「法華寺の本尊は国宝の十一面観音像、光明皇后がモデルと言われる日本一の美人観音だ。それにここは尼寺なんだが、これがまたなぜか若くて美人揃い、一見の価値があるぞ」
 誰かが教えてくれる。話の前半もさることながら、後半にはちょいと心が傾く。ぜひ一度見参、と思っているうち、早々と出掛けたやつがおり、そいつが首を振り振り帰ってきたので、美人観音とも、したがって美人の尼さんとも結局お目見えは果たさなかった。
 新来者に対するこういった他愛のないダマシは、どこの部隊にでもある。私の出合った傑作の一つは、鹿児島県鹿屋基地でのこと。
 新しく着任した若い隊員に先任海曹が質問する。
「おまえ、釣りが好きか」
「はい、大好きです。こちらでは磯釣りが盛んだと聞いて楽しみにしてきました」
「おお、そうか。海の釣りだけじゃなくて、池や川の釣りも盛んだ。あそこにも結構大物がいる。ついこの前も○〇三曹が大きなコイを釣り上げた。ありゃ七〇センチはあったな」
 彼は窓の外を指差す。そこはグラウンドである、普段は……。それが前日までの大雨で水浸しになり、さながら大きな池のようになっている。
「竿の丈夫なのを買ったほうがいいですね……」
 期待に眼を輝かしている様子に、周りにいた我々は笑いをこらえるのに必死である。水が引いて本来の姿に戻ったグラウンドを見たときの、彼の顔を見損ねたのが今でも残念である。
 他にも、潜水艦で、新前の乗員に浮上用の空気ポンプが不調だと偽って配管の隙間に突っ込んだゴムホースを吹かせるという話。隊員以外居住していない離島に赴任する隊員に、あちらの若い娘はプレゼントに弱いなどとだまして、それ用の品を用意させる話など、枚挙にいとまがない。
 そういえば、この奈良にももう一件あった。
 ここの体育館は、あの朝鮮戦争の際、氷詰めで後送された米軍戦死者の遺体を縫い合わせる作業に使われたことがあり、そのせいか米兵の亡霊が出現する。実際、黒人兵の亡霊を何人かが目撃している……。
 我々学生には、学生隊当直というのが輪番で回ってくる。このときはこの体育館を含めて、夜間の見回りがあるので、気味悪がって尻込みする者も出たのだが、私は最初から、この話は二つの点で信用できないと思っていた。
 第一に、近くに飛行場もない奈良がそんな作業の場所に選ばれるはずがなかろうではないか。
 第二に、亡霊の目撃者がいるということであるが、ほんとに見えるの、闇の中で、黒人がそんなこんなで、勉強らしい勉強もしないまま、私の操縦英語課程は終わった。おかげで私は、今に至るも英語の方はさっぱりで、赤身の魚の刺身と並んで苦手の筆頭格である。
「やっと飛行機に乗れる」
 八月下旬、勇んで奈良を後にする。この後小月で、私は思いもかけないピンチに見舞われることになるのだが、そんなことは知る由もなく……。
 現在では、呉、館山、奈良と我々がここまでたどって来た課程が、一括して小月基地の小月教育航空隊で行なわれている。
 我々の時代、ここまでに要する期間が平均して一年半であったが、後には小月の二一一教空(小月教空の前身、平成九年[一九九七年]三月、部隊名改称)で、約一年に集約して実施された。ただ、これは各期の約半数についての話で、残りの半数は次の初級操縦課程の受け入れの都合上、「飛行準備課程」なる約三カ月の課程がプラスされる。
 なお、小月教空の課程は平成七年(一九九五年)入隊の第四六期生から、内容を充実することを目的として、二年に延長されている。