翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

基本操縦課程「前期:T-34」―― 小月 (2)

 戻って見れば一緒に奈良を出た連中はもちろん次のクラスもすでに飛行教育に入っており、その次のクラスでの課程開始ということになった……のだが、またまた身体検査不合格。今度は仮性近視による視力不足である。
 もちろん勉強し過ぎでは、ない。テレビの見過ぎじゃないか、パイロットになろうという者が目を大事にしなくてどうする、などと医官から小言を食う。
「筋力や心肺機能などは鍛えれば強くなるのに、目だけが鍛えれば悪くなるというのはどういうことでしょう」
 と質問したら、奇妙な動物でも見るような顔をされたので慌てて撤回する。
「仮性だから視力回復の望みがないわけじやない。これからは、テレビや本を見るのは控え目にして、ビタミン類を多く採る。遠くを見て目を休めるようにする、もちろん酒などは控える」
 はいはい、わりました、ということで大体においてそれを守って、一カ月後、次のクラスと一緒に再検査を受ける。なんとか合格。
 で、そのクラスに編入されての課程開始となる。
 ここでのクラス名は、N ‐○○期といった具合に呼ばれる。NはNAVY (海軍)のNでもあろうか、また期番号は当初からの通し番号である。
 ともあれ私は、N‐四四期要員としてここに来て、結局はN‐四七期として課程を開始したことになる。
 N‐四七期は、幹部学生と我々航空学生の混成である。
 幹部学生は竹添長和三尉、中山泰彦三尉(いずれも防大三期)、八木宣明三尉(後に庄司と改姓。海保大五期)である。一0期幹部候補生課程出身で、遠洋航海から戻り奈良の英語課程を同期の先頭を切って出てきた面々である。
 我々とこの人たちとは、以後メンター、SNJ、SNBと、共に課程を進むことになるが、我々にとって終始頼りになる助言者であり兄貴であり、また良い遊び仲間でもあった。
 まず課程の前半は、メンターと搭載機器の性能や構造、操縦法の座学、終わって後半はいよいよ飛行教育に入る。
 飛行教育に入ると、食事が変わる。つまり搭乗員食になる。これまでとは一品か二品、品数が増えるのである。それからベッドも変わる。これまでのわら入りのマットがスポンジ製のマットになって、すこぶる寝心地がいい。
 それはともかく、第一回目のフライトは飛行機に慣れ、地形に慣れるための慣熟飛行である。縦に二つある座席の前席に学生が座り、後席に教官が座る。
 手順は一応習ってはいるが、まともにできるわけもないので、この日だけはほとんど教官の操縦である。離陸し上昇しながら飛行場を離れる。
 ……ふ―む、海岸線というのは地図そっくりにできているもんだな。
 などと妙な感心をしつつ、教官の指示に従って上昇、降下、旋回などをやってみる。
 そのうちに胃の具合が妙になってきた。空酔い(エアシック)である。
 ……そうだ、乗艦実習では、船酔いでボロ雑巾のようになったのだった。それに子供の頃は至って乗り物に弱かった。とんでもないことを失念していたようだぞ。
 耐えて耐えて、やっと着陸まで持ちこたえた。
「酔ったようだな。そのうち慣れるから心配するな」
 ならいいが……半信半疑だったが、事実翌日からはなんともなかった。実際に操縦桿を持たされて、ああだっけ、こうだっけと必死に記憶の中から手順をまさぐって操作をするうち、空酔いがどこかへ消えてしまったようだった。