翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

訓練・戦術・応急出動 (12)

 昭和五十九年(一九八四年)二月末の早朝。前夜からの風雪は、朝を迎えても一向に止む気配はなかった。出勤しようとしているところへ、緊急呼び出しの電話。災害派遣の要請が来ているという。
「内容は、いい。行ってから聞く」
 出勤を待ち兼ねたように電話が鳴った。八戸海上保安部からである。
「パナマ船籍のオリオントレーダー号という四五〇〇トンの貨物船が、激しい風浪で走錨(錨が効かずに滑ること)を起こして、八戸港の八太郎岸壁に乗り上げたんです。無鉄砲なのが一人泳いで上陸したんですが、これは無事だったのが不思議なくらいで……凄い高波で、とても泳げる状況じやありません。船は二〇度ほど傾斜していて、しかもエンジンルームに浸水しているそうで、残る一九名の乗員が危険です。こんな天候ですが、ヘリコプターでの吊り上げ救助をお願いできませんか」
 外は相変わらず横なぐりの雪が降りしきっている。雲は低く垂れこめて、視程もやっと二キロというところか。普通なら一も二もなく、フライト中止を宣言する状況である。
 ちょっと待ってもらって、救難飛行隊長の内堀隆三佐に電話で相談する。彼は私の一期後輩に当たる航空学生四期生、豪放と細心、熱血と沈着をセツトで持ち合わせている、超の字の付くベテランパイロツトである。
「大文夫、飛行場のすぐ近くだし、不可能と見たらすぐに中止させます。命令は早くして下さい。どっちかと言えば、天候はまだまだ悪くなりそうだ」
 急いで群司令、航空基地隊司令(救難飛行隊は航空基地隊に所属している)の了解を得て、海上保安部にその旨を返事する。折り返し塩釜の二管本部長から正式の要請が来た。直ちに救難飛行隊長を通じて、待機中の救難ヘリに出動命令を伝える。
「出してくれ。くれぐれも無理させないでくれよ」
 電話でそれだけ。一分とは経たないうちに離陸して行くヘリの爆音が響く。やる気満々、応急出動クルーは、エンジンを起動して待機していたのである。窓からのぞいても吹雪に遮られて機影は見えない。
「現場到着。救出にかかる」
 わずか一、三分後、ヘリの機長から無線で報告が入る。それもそのはずで、現場の八太郎岸壁は飛行場のある高台のすぐ下、産業道路と若干の平地を隔てるだけの所にある。
「船はひどく傾斜して堤防に寄り掛かっている。船体は波をかぶっているので、ブリッジに上らせてそこから吊り上げる」
「一六人救助した。満パイ状態だが日没が近いのでこのまま全員救助するまで続ける」
「次直機はもうそこに行っているはずだが、交替しなくていいか」
「いや、要領がわかっている本機がこのまま続けた方がいいと思う」
「了解」
 ついに一九人全員を救助、着陸したときも吹雪は続いていた。
 このとき機上から撮影した救助の模様はビデオ放映され、決死の救助活動としてひとしきり市民の話題をさらった。