翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

派米訓練――ハワイ (3)

 この後も各種の訓練項目は残っているものの、比較的余裕のある日程で、街に遊びに出る余裕もできた。機長の農塚一尉は派遣部隊の主要メンバーの一人なので、そちらの方の付き合いが忙しく、多くは私と平野二尉の二人での行動である。
 なにしろ一ドルが三六〇円の時代、給料も安く今の女子大生よりもふところは涼しい。グルメなどは思いもよらず、いきおいブラブラ歩きかカフェバーでビールを飲むくらい。
 あるときワイキキビーチの近くで、日本から浮きドックを曳航してきたというタグボートの船員たちと出くわした。行きつけの店に案内するといって我々二人をタクシーに押し込む。
 驚いたのは、この連中、英語のエの字も知らない様子で、使おうとする努力も一切なし、手まねもなし、一切が日本語、それも日本人に言うのとまったく同じ調子である。
「運ちゃん、そこ曲がれ、そこそこ」
 などとやっている。大男のタクシー運転手は苦笑しつつ相手しているが、これがなんとなく通じているらしいのが不思議である。
 ともかく連れて行かれたのがダウンタウンのどんづまりの、いかがわしいとも見えないが、決して上等とはいえないバーである。従業員の女性はみな日本人。話を聞くと、それぞれに違うルートながら、流れ流れの浮き草で、今はここに引っ掛かっているといった身の上である。
 くったくなくしゃべってはいるが、こっちの方がなんとなく佗しい気分になってきたので腰を上げる。
「もういい時間だ。帰ろうか」
「バスターミナルはどっちになるのかな」
 キョロキョロしていると、巨大な白バイにまたがった警官が、日本語で話しかけてきた。
「あんたたち、どこへ行くの。ここらは低い(ガラが悪いということらしい)所だからね。
 あまり歩かない方がいいよ」
 顔を見れば日系人で、しかし体格は欧米人なみの立派な体格である。
「いや、バーバースポイントヘ帰るんですが、バスターミナルがわからなくて」
「バスターミナルはすぐそこね。もう最終の時間よ、急いで」
 彼は、あっちあっちと指差しながら走り去る。急ぎ足にその方角に歩いて行くと、すぐ左手に入った所がそうだった。
 切符を買い求めて教えられたバスの所に行くと、なんと、さっきの警官がバスが発車できないように白バイでバスの前をふさいでいる。
「やあ、間にあったね。じゃあ、元気でね」
 何者かと見詰める他の乗客の視線に少しバツは悪かったが、すっかり嬉しい気分になって基地に戻ったことであった。
 三週間ほどの滞在が終わり、帰路につく。
 行きと違って偏西風を受けるので、ウェーキ島からグアム島に回るコースをとる。行きよりは一日長い四日がかりの航程である。グアム島で残り少ないドルをすっかり使い切り、咲き乱れるハイビスカスの花に見送られて帰って来たが、さて鹿屋に帰り着いてみると、南国とはいえまだ一月、梅もほとんど咲いていなかった。
 この派遣訓練では、我々一空のチームは優秀チームということで、航空集団司令官の特別表彰を受けた。どうやらソ連原潜探知の一件がものを言ったらしい。
 その後ずっと海外の訓練はもとより、旅行の機会もなかった。
「あなたはアメリカに行ったことがあるか」
 アメリカ人から何度か聞かれたことがある。
「ハワイに一度だけ」
「ハワイはアメリカじゃない」
 その度に鼻で笑われた。
 そんな理由からでもあるまいが、現在の派米訓練はアメリカ西海岸まで出掛けて行なうことが多い。海自の艦艇部隊も加わって、規模も大きくなってきた。何もかもが米海軍に教わる状況であった当時と違い、装備、技術の面ではもちろん、意識の面でもまったく対等に共同の要領を演練し、腕を競える時代になってきている。