翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

YS-11 (4)

 海自唯一の航空輸送部隊ということで、VIP (要人)輸送もいろいろとやった。海自部隊の上級指揮官はもとより、防衛庁長官、海外武官団などである。
 今は亡き高松宮殿下と妃殿下をお送りしたこともあった。昭和四十五年(一九七〇年)、奄美大島南方の徳之島に戦艦「大和」の記念碑が建立され、その除幕式に参列される両殿下の送迎である。話が本決まりになって、群司令の直接指揮の下に事前準備が始まる。
 まず機内の改装。武骨一方の機内のままでは具合が悪いというので、中央の八席分をパーティションで仕切り、テーブル、カーテンなどを取り付ける。
 次にはクルーの教育。機上での接待のために行儀作法、言葉づかいから服装、髪の手入れまで粗相のないように万全を期する。
 ブルーマウンテンコーヒーがお好みだということで、市内の喫茶店に依頼して、機上でのコーヒー係のレディオマン(通信員)にコーヒーのいれ方の特訓を受けさせるという念の入れよう。
 さて当日、両殿下とお供のご一行が到着される。
 機長は先任パイロットの宮内三佐(昇任)、私がコパイロットである。宮内三佐は快活、磊落、生一本、竹を割ったような性格で、物怖じなどという言葉は辞書にないという人だから、ごくごく自然な応対、両殿下も気さくなお人柄で、にこやかに乗り込まれる。
 離陸。水平飛行に移って、機長がコーヒーをお出しするようクルーに指示する。
 しばらくすると、給仕役の海士が上気した顔でコックピットに報告に来た。
「どうした。うまく行ったか」
「それが……」
「失敗したのか」
「それが……失敗というか、コーヒーをお出ししたのはいいんですが、振動でカップが皿の上で踊るんです。ビリビリビリッと賑やかに。仕方ないので紙の皿を間に挟んでようやく・・・・・。」
「おさまったんだな」
「はい。でも妃殿下とお付きのご婦人は、茶碗の踊りが面白いと手を打って喜ばれて……」
 彼は思い出して吹き出す。赤い顔は笑いをこらえてのものだった。
「あら、見晴らしがいいこと」
 妃殿下がコックピットに顔をお出しになった。
 あれが種子島、あれが屋久島などと説明するうち、妃殿下はこちらの肩に手を掛けて身を乗り出される。思わず座ったままの「気を付け」になる。
 一泊の後、島から鹿屋経由羽田までお送りしたが、
「本当に楽しい飛行でした。どうもありがとう」
 両殿下から親しみのこもった笑顔で挨拶をいただき、クルー一同大いに面目を施した。

 YS‐11Mは、最初の四一号から、四十七年装備の四四号まで四機あるが、面白いことにこれがみな少しずつ違う。
 四一号は、離陸重量二四・五トン、四二号と四三号はほぼ同じ機体であるが離陸重量二五・五トンと一トン多く人員貨物が搭載できる。
 最終の四四号も二五・五トン型であるが、こちらは他の三機の貨物区画が後部にあるのに対して、操縦席のすぐ後方にあり、座席のある客室との間に着脱式ではあるが隔壁がある。またこれまでの三機が、飛行中、翼に付着する氷を除去するのにエンジンから取り出した熱風で暖めて溶かす方式であったのに対し、四四号機ではゴム製の気室(ブーツ)を空気でふくらませて割る方式に変わった。翼の前縁に黒いブーツが付いたせいで、見た目も少し精悍になった。
 昭和四十五年(一九七〇年)、これにYS‐11Tというバージョンが加わる。P2V‐7に代わる海自哨戒機の主力として部隊配備の始まったP‐2Jの、乗員養成用の機体である。広い機内を生かして、各種の機器を複数積み込み、乗員教育の効率化を図ろうという発想である。

 YS‐11Tの機内右側には、対潜戦用の機器類がズラリと取り付けられ、その前に横一列に座席が並んでいる。教育を効率よく進めるため、機器類の多くはダブルで搭載してある。輸送型に標準装備のエンジン駆動の発電機では、とても電力が足りないので、発電機専用の小型タービンエンジン(APU)を装備している。
 ただし、自動で展張収納するタラップ、機内与圧装置、オートパイロットなどが省略されていて、飛行の快適性はM型に比べて数段劣る。
 昭和四十六年(一九七一年)に入って、YS‐11Tが四機に増え、YSによるクルー教育が軌道に乗ったのを機に、部内航空輸送を独立した専門の部隊で、という構想が実現に向けて動き始める。第六一航空隊の構想である。
 以後、古参パイロットは六一空要員で航空輸送専門、後にYSに移ってきた、部隊でASWの経験のある若いパイロットは二〇五教空残留要員でYS‐11Tでのクルー教育のフライト専門、と明確に乗務区分されるようになる。
 輸送型のYS‐11M、これに専従するパイロットその他の隊員が厚木に移駐、六一空が新編されたのは昭和四十七年(一九七二年)三月のことである。