翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

小笠原定期 (2)

 硫黄島は、太平洋戦争末期、沖縄戦に先立つこと二カ月の昭和二十年(一九四五年)二月、日米両軍の間で壮絶な攻防戦が行なわれたことで有名である。
 東西も南北もわずか数キロしかないこの島は、どうやらマグマが沸騰している上に鎮座しているらしく、そこここから蒸気が噴き出し、硫黄の匂いがたち込めている。
 地下には日本軍の守備隊が掘った地下壕が縦横に巡っており、いまだに収容しきれない遺骨が眠っているという。この地下壕に一歩足を踏み込むと、サウナ風呂のような熱気、湿気に顔を打たれて、思わず回れ右をしたくなる。孤立状態になったこの島の、このような地下壕の中で圧倒的な火力を持つ敵を迎え撃った日本軍将兵の気力、体力には、まさに凄いという他に言葉が見つからない。
 島の南西端には、有名な橘鉢山(海抜約一六〇メートル)があり、山頂には日米双方の記念碑、慰霊碑が建立されている。
 米軍の艦砲射撃の凄まじさは、この山の形を変え、島内の樹木をほとんど吹き飛ばしたと言われる。が、いまは全島緑に覆われている。ただし、九九・九パーセントがギンネムの木である。日本軍全滅の後、米軍が飛行機でネムの木の種子を散布したのだという。それが、南の暑い太陽を浴びて、しっかりはびこっている。
 現在は民間人はいないが、戦前は硫黄採取の作業をする人が住んでいたといい、ネムの林に分け入ってみると、石垣の跡が残り、ガジュマルや夏ミカンの木があって民家の庭であったらしいたたずまいに出合うことがある。

 この島は、関東の南七〇〇マイル弱(約一二五〇キロ)にあり、成田からグアム島へ向かう航空路の下にある。距離は、中間よりもややグアム島寄りというところである。
 下総から硫黄島へ向かう我々のYSは、館山の上空を経由して太平洋に出る。伊豆七島を右に見て、一路南下する。
 八丈島の南にある青ケ島を過ぎると、ベヨネイズ列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩、西ノ島、北硫黄島と連なる島や岩礁を辿るように南下する。
 ベヨネイズ列岩は一群の岩礁で、すぐ側に明神礁がある。海底火山の爆発で海面上に現われた岩礁で、その名は爆発時にあおりを食って遭難した漁船「明神丸」にちなんでいる。
 鳥島は、新田二郎の『火の島」という小説にも描かれている、アホウドリの繁殖地として有名な火山島である。
 孀婦岩は、天下の奇勝といってよさそうな岩の柱である。作家開高健は、「太平洋の感嘆符」と評しているが、そのとおり高さ約一〇〇メートル、海上にただ一本、ヌッと突っ立つ大ロウソクのような姿は、視覚的にも心象的にもまさに「!」である。
 ノンリターンポイントを過ぎて、西ノ島が右下に見えると硫黄島まではあと一四〇マイル、三〇分余りの距離である。天候が絶好であれば、東の方はるかに母島列島を見ることもできる。
 この辺りで硫黄島のタカンが受信できる。タカンは方位と距離を知ることができるので、ここでホッと安心する。ここまではロランで位置を確認しつつ飛行している。
 ロランは、数百マイル間隔で設置された局から同期して発信される電波の受信時間の差を測定して位置を求めるカラクリである。しかし電波は、電離層と地表で反射を繰り返して伝わるので、直接届いたものと反射回数の異なるものが数個、行列をなして受信されるので、これをよくよく見極めないと、とんでもない誤差が出る。
 一度など、慣れてない人間に任せていたら、コース上にいるはずが、数十マイルも外れた父島の上に出て、びっくり仰天したことがあった。
 ともかくタカンが受信できたところで、それにしたがって島に向けて高度を下げる。硫黄島の北約五〇マイルに、北硫黄島。二等辺三角形の小さな島である。天候が良ければ、硫黄島の南、北硫黄島とちょうど対称の位置に南硫黄島も見える。この二つの島はまったくの一卵性双生児である。
 硫黄島の飛行場は、島の概ね中央に位置している。滑走路は、やや古びてはいるが(近年NLP[米軍の夜間離着陸訓練]のためもあって補修されて立派になった)、長さも幅も国内の大抵の飛行場に負けない規模である。
 着陸して広いエプロンに進む。このエプロンは、航空機を駐機するほかにもう一つ、基地運営に不可欠な用水を確保するという役目を負っている。南国特有のスコール性の雨がやってくると、このエプロンはアツという間に水浸しになる。そして端にある排水口に流れ込み、プールに蓄えられる仕組みである。
 エプロンの南端に沿って、数棟のカマボコ型の建物が並んでおり、これとその背後、島の南岸に向けて緩やかに傾斜している斜面に建ついくつかの建物が、海上自衛隊の施設である。
 米沿岸警備隊の施設は、少し離れた島の北東部に位置している。
 エンジンを停止して下り立つと、南の太陽を浴びて見事に日焼けした隊員たちの笑顔に迎えられる。彼ら、外見は真っ黒クロスケでも、この小笠原諸島は東京都の施政下にあるので、正真正銘の東京都民である。
 生鮮食料品の補給はほとんど航空便に頼っているので、その運航に当たる我々の受けがいいのはわかるのだが、大物釣りなど本土とは違う多少の楽しみがあるとはいえ、変化のない生活、暑い毎日、もっとずっと我々に要求があってもいいと思うのに、それは一切ない。
 ともかく、「エアコンの調子はどうですか。何か不自由はありませんか。あったら何でも言って下さい」などとじつに親身に面倒を見てくれる。はるかに恵まれた環境で生活している我々としては、嬉しいには嬉しいが、申しわけない思いが先に立つ。
 キキキともリリリとも聞こえるヤモリの声を枕近くに聞きながら一泊、明ければ、南鳥島往復である。