翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

小笠原定期 (3)

 南鳥島は、絶海の孤島である。珊瑚礁の島である。
 硫黄島から南鳥島へは、ほぼ真東に子午線を一二本横切る。距離七〇〇マイル弱、この間、島はおろか岩ひとつない。
 上空から近づいて行くと、白い波頭、エメラルドグリーンの礁湖、そして真っ白な砂浜と三本の縞に取りまかれた三角形の、小さな、偏平な島が見えてくる。本州や九州近海の島とそう変わりのない硫黄島に比べて、海の色、砂の色、礁湖の色すべて底抜けに明るい南洋の島のたたずまいである。
 中央に立つロランアンテナとそれを支えて八方に広がるワイヤーが、島全体を覆っているように見える。アンテナは硫黄島のそれと同一サイズだが、なにしろ島の一辺が一・五キロあるかないかなのである。
 ここには硫空基分から派遣された隊員で構成される南空派のほか、気象庁の観測員、米国の統治時代からの米沿岸警備隊員がおり、硫黄島と同じく他に民間人は住んでいないが、ここもまた東京都である。
 ほぼ北側に当たる一辺の端から端までをいっぱいに使って、滑走路がある。長さ一三七〇メートル、YSの離着陸にはまったく問題のない長さである。
 ただ滑走路の西端付近にコアジサシ(小型の海鳥)の営巣地があって、へたに脅かすと数千羽の大群が雲のように沸き立つ。ほとぼりが冷めるのを待つか、余裕がないときにはぶつからないことを祈って着陸するしかないことになる。
 幸い島の付近では、上空とは反対に東の風が吹いていることが多いので、手前から徐々に高度を下げて、直線進入でスーッと滑り込む。テキが気づいて飛び上がるころには、通り過ぎて着陸しているという寸法である。
 余談になるが、この営巣地に踏み込んで、ギャアギャア騒ぎ立てる声もウンチ爆弾もものともせず、卵を略奪してきた不届き者がいた。
「茄で卵にして皮を剥いてみたら、目があるのや羽が生えたのばかり、食えたのはほんの一二個だったが、ニワトリの卵とほとんど変わらない味だった」
 そうである。野鳥の会その他には、内緒にしておいて欲しい話である。
 滑走路の真ん中辺り、滑走路にくっついて五〇メートル四方ほどの舗装面があり、これがエプロンである。
 ここでの燃料補給は、後にタンクが完成して直接ホースで給油できるようになったが、当初はドラム缶給油であった。トラックに搭載したドラム缶から小型の給油ポンプで搭載する。約一〇〇〇ガロン、ドラム缶二〇本を積み終わるのに、相当手際よくやっても一時間と少々かかる。
 暑い。硫黄島も暑いが、こちらは緑が少なく、下がすべて白く晒されたサンゴの破片で、その照り返しもあって、暑さは硫黄島の比ではない。燃料補給は汗だくの作業になる。わがクルーと南空派の隊員との共同作業である。機長の私は、口も手も出せば迷惑がられるだけなので、見物に回るしかない。
 燃料搭載が終わって昼弁当、一服して帰途につく。

 午前東に向かい、午後西に向かうこのルートは、行きも帰りも太陽を正面に見るまぶしいルートである。もやなどで視界が悪いときは、なかなか島が見つからなくて苦労する。タカンで方向も距離もわかっていても見えないのである。
 本当は直線進入で降りたいのであるが、飛行場を確認するまでは高度を下げられないので、見付けたときは高度が高すぎ、やむなく一回りということもある。
 こんなこともあった。
 南鳥島から硫黄島への帰り、いつものとおり手前で徐々に高度を下げた。ところが向かい風が強くてなかなか行き着かない。
「いやに視界が悪くなったな」
「はあ、でも硫黄島の気象実況では視程良好となっていますが」
「おかしいなあ」
 ふと風防のワイパーに目をやって、あっと気が付いた。ワイパーのすぐわきに幅数ミリだけはっきりと外が見えるところがある。ということは、ここ以外は風防ガラスが汚れていることになる。原因は塩、低空(と言っても三〇〇〇フイート、約九〇〇メートルである)で飛行するうち、強風に吹き上げられた塩分が風防についたというわけである。ワイパーの起こす気流の乱れでそこだけ塩がつかなかつたのである。
判断の悪さから、わずかに残る隙間からのぞきながらの着陸を余儀なくされ、ドッシャーンとお粗末な接地をして恥ずかしい思いをすることになった。
 それから数力月経って、硫黄島滑走路が修理されることになった。工事部分は東端の一部なのでYSの運航に支障はないので、定期便は予定のとおり運航された。
 行って見て驚いた。ロープを張り巡らして工事しているそこは、かつて私がドッシャーンとやったところではないか。聞くと、最近その辺りが陥没して、下に地下壕があることが判明したのだという。私はツイていたようである。

 南鳥島では、返還の一年後には新しい庁舎が完成して、海自、気象庁共に、隊員はそれまでの米軍施設での間借り生活からおさらばした。新庁舎は大きくはないが、空調完備、こぢんまりと住みやすそうな建物である。
 硫黄島の施設も逐次改善、新設されて、いまでは離島とは思えないほど立派になって、当時を知る者には隔世の感がある。空自部隊の配備もあって隊員の数も当初の一〇倍以上に増えている。