翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

S2F‐1 (1)

 グラマンS2F‐1。
 トラッカー(追跡者)のニックネームを持つこの飛行機は、本来は艦載機で、対潜機である。主として外洋の広い海域で行動するVP、海峡や港湾など限定された海域で行動するHSに対し、このS2Fはその中間、沿岸(米軍にあっては、空母の周囲) 一〇〇マイル内外を守備範囲として対潜捜索、攻撃に当たる。
 特筆すべきは、そのMAD(磁気探知機)作戦で、搭載MADの高性能もさることながら、S2Fの低空での安定性と俊敏な飛行性に加えて、三機、四機の編隊による「面の捜索」は、演習でもしばしば成果を上げたものであった。
 ずんぐりとしたスタイル、大きな垂直尾翼、バラバラバラという特有のエンジン音、VS育ちのパイロットにはどれ一つとして懐かしくないものはないらしく、VS課程出身のパイロットが集まって、話がS2Fに及ぶと、
「あれは良い飛行機だった。MAD戦術でこう、グーッと高度を下げて行くと、不意に大きな手に支えられたように機体が安定するんだな」
「そう、かなり海上模様が悪くても、低空では機体が跳ね回るようなことはなかった」
 話は弾み、古い恋人をしのぶような目になる。未練があるどころじゃないが、仕方なく別れたという恋人である。それほどに搭乗員に懐かしまれる機体である。

 昭和四十七年(一九七二年)暮れ、私は幹部中級課程という江田島での六カ月の教育課程を終えて、第一四航空隊に発令になった。一四空は、厚木(同年春、下総から第四航空群の一部が移動していた)に所在するS2Fの部隊である。
 意外であった。YSに乗っていたとはいうものの、私はVP課程出身である。
「同じ厚木に今はYSの六一空がありますが、その間違いじゃないでしょうか」
 教官に問い合わせてもらつたが間違いないという。首をひねりつつ着任したが、後から考えれば当時の事情からしてしごくもつともな仕儀であった。
 私が飛行学生だった時分には、計器飛行課程修了後の進路がVP課程、VS課程、HS課程と三つあったことはすでに述べた。
 それぞれに進む学生の数は、際立ってどの課程が多いということもなく、ほぼ同数であったように記憶しているが、それはP2V、S2F、HSS‐1の三機種の部隊が、対潜航空戦力の三本柱として整備を進められていたということでもあったろう。
 しかしあれから一〇年、S2Fも旧式化した。米軍にはすでにS‐3ヴァイキングという後継機が配備され活躍し始めていたが、海上自衛隊にはVS部隊存続の構想はなく、将来はVPとHSの二本立て体制に移行しようとしていたのである。
 それが「大は小を兼ねる」という考えの上に立つものであったか、HSの性能向上と艦載化の進展を見越してのものであったかは私にはわからない。
 ともかくVS部隊は将来の消滅に向けて漸減の道をたどり始めており、搭乗員、整備員もまた相対的に増勢されるVP部隊に移りつつあった。そこで私などに、そのお留守番の役目が回ってきたということなのであった。

「頭はVP、ウデはVS」
 当時は一般にそう言われていた。しかしこうでつフレーズの真意は、得てして言葉の裏にあるもので、
「VPのパイロットは下手クソ、VSのパイロットは頭がカラッポ」
 と受け取るのが正しいらしい。と言ってもそれほどの悪意はなく、他愛のない憎まれ口、けなし合いのたぐいである。
 複雑な戦術を一二名のチームで遂行するP2Vでは、どうしても勉強が必要でもあり、対潜戦での航空機の運動もそれほど際どくはなく、S2Fに比べれば悠長とさえ言える。これに対してS2Fではパイロットニ名を除けばクルーはたった二名、そう複雑、高度な戦術が実施できるわけもなく、いきおいMAD戦術に頼ることが多くなり、編隊での行動が多いということもあって、操縦技量が対潜戦実施上最も重視されるファクターになる。
 かと言って学生の要員区分でも、VPに行った学生が例外なく学科の成績が良かったとは言えず、VSに行った学生に操縦の成績が良い者が集中していたとも言えない。もし学科が良ければVP、操縦技量が良ければVSということであれば、残るHSには中途半端ばかりということになるが、もちろんそんなこともなかった。
 したがって、さきのフレーズの示すところは、部隊勤務でどちらが有用かといったことと、そのためのパイロットの努力の指向の方向でもある。
 とは言っても、飛行隊の雰囲気は、VP部隊とVS部隊では明らかに違った。
 机の上に物を広げている者が多かったVPの飛行隊に比べて、こちらはダム建設現場の飯場もかくやというふうで、声高に口喧嘩だか議論だかが飛び交っている。
「おまえ、もう少しピッタリ(編隊に)付けや。あれじゃ間を潜水艦がスリ抜けるぞ」
「しかし、あれより近いと旋回の内側に入ったとき危ないですよ」
 編隊運動だからこその、擦り合わせが常に行なわれているのである。