翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

またまた地上勤務 (3)

 昭和五十八年(一九八三年)四月下旬、八戸に赴任。
 八戸基地は二度目、と言っても二〇年ぶりのこと、基地の中も街の様子もすっかり変わってしまって、土地カンなど有って無いに等しい。
 基地は市街地の北数キロの、ちょっと高台になった場所にある。滑走路が西から海に向かって東北東に延びており、その北側に隣接して小型機用の飛行場もあるが、これは陸上自衛隊八戸駐屯地のものである。つまり、飛行場を挟んで南に海自部隊、北に陸自部隊という配置である。
 海自八戸基地には二つの航空隊がある。二空と四空、いずれもP‐2Jの部隊である。そして第二支援整備隊と八戸航空基地隊。これら四つの部隊で第二航空群を構成している。ほかに大湊地方隊に属する八戸航空工作所と航空集団司令官直轄の航空施設隊が所在している。
 第二航空群司令部運用幕僚、これが私の今度の配置である。
 航空群の幕僚組織は、監理、情報、作戦、後方、通信の各幕僚部からなっていて、それぞれに所要の作業班がつく。そしてこれを首席幕僚(作戦幕僚兼務)が統括する。運用幕僚は、作戦幕僚部で、飛行場を含む基地全般の機能発揮、部隊の訓練、行動などに関して群司令を補佐するのが役目である。群司令は寺井愛宕将補(幹候六期、海保大二期)である。私のS2F時代の一四空司令でもある。
 まずは群司令に、着任の報告。
「ご期待に添えるかどうかわかりませんが、精一杯努めます」
「うむ、期待に添えないときは、すぐに追い出すから心配しなくていい」
 こちらとしては心配になる。
 一を聞いて十が読めるタイプの上司は、自信のある仕事ができているときはやりやすいが、手を抜くとそれがみなお見通しなので、ゴマかしは効かない。しかし大筋において意を体した仕事ができたということなのか、随分と思いどおりの仕事をさせていただいた。
 これまでのやり方とは全然違う案を出しても、
「よかろう。やって見ろ」
 頭も神経も使ったが、やり甲斐もあった。
 一、二の例を挙げる。
 部署訓練は、火災、航空機の事故、災害派遣など不測の事態発生に、遅滞なく対応するために重要である。このため、部隊では年間計画に基づいて、各種の部署訓練を実施する。訓練は、事態の推移を想定したシナリオに沿って進められるが、そのシナリオは訓練する部隊には知らされていないのが普通である。
 私は、そのシナリオを事前に示して訓練をするという方法をとった。どの時点で事態がどうなる、ということを予め知らせ、それぞれに腹案をもって訓練に臨んでもらおうと考えたのである。このほうが、事態の思わぬ進展にオロオロしただけで終わる訓練よりもずっと効果があるはずである。
 つまり、このやり方によれば、①腹案なしの実施―②一部問題点が判明―③腹案の作成―④実施により更に問題点が判明―⑤より現実性のある腹案の作成、という従来のパターンの①と②が省略できる、というのが私の目算である。
 さらに、訓練終了後はすぐに関係者に集まってもらって、検討会をやる。米海軍でいう
「ホット・ウオッシユアップ(HOTWASH―UP)」である。まだ記憶が生々しいうちに開くのがミソで、こういう考えでいたらこういう不具合があった、あそこではここの部署はこう動いてもらいたかったなど、今後に役立ちそうな話が続出して、なかなか有効であった。
 対潜訓練でも、哨戒に出発する機長に、ブレーンストーミング的なアイデアを求め、結果はどうあれ、それを試してみるという方法をとった。
 逆探知を避けるためレーダーをまったく使用しないで目視捜索に徹する。航空路を飛行している民間機に見せかけて飛行する。海域のこっちで戦術を実施しているふりをしつつ、じつはあっちに張った網のモニターをしている。などなど司令部としての指示をできるだけ控えて、機長の判断で潜水艦を探知するための、思い付く限りのダマシの方策を試みてもらうのである。
 結果は、その年秋の海上自衛隊演習で、八戸の部隊始まって以来という、津軽海峡西口での潜水艦捕捉撃破という快挙につながった(と思っている)。