翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

またまた地上勤務 (4)

 八戸の気象条件は厳しい。
 冬は雪。
 積もるとすぐに除雪する態勢は整っているが、吹雪が来れば飛行場はすぐに降りられなくなる。多少とも雪が残った朝は、エプロン、滑走路、誘導路のそこここが凍結する。離陸滑走を開始する辺りと、着陸してあるいは故障で離陸を中止する場合ブレーキを使用する辺りには、融氷剤を散布してからでないと、飛行作業は開始できない。
 その他の季節は霧。
 春の終わりから秋にかけて、三陸沖から北海道南方に至る太平洋には、「移流霧」と呼ばれる海霧が発生する。南の暖かい気団が冷たい海上に移動して来てできる、ポタージュスープのような濃い霧である。厚させいぜい数十メートルの、海面にベッタリはりついた霧。
 これが東寄りの風に乗って、しばしば上陸して来る。そうなるとお手上げ、飛行場の上空に来ても見えるのは付近の製紙工場の煙突の頭と格納庫の屋根だけ、ということになる。なにしろ犬連れの散歩で、鎖の先の犬が見えなくなる(私は犬を飼っていなかったから、この話には責任が持てない)。ソフトボールをやっていてもこの霧が寄せてくると、バッターボックスから内野手の下半身が見えなくなる。ゴロはすべてヒットになる。
 こういったことで、訓練に出て行った航空機が、帰れなくて隣の三沢(すぐ近くにあるが、なぜか、こっちが悪ければあっちが良い、あっちが悪ければこっちが良い、という関係なのである)、下総、千歳などに降りてしまうケースがしょっちゅう発生する。あるときなど飛び立った飛行機がすべてよその飛行場に降りてしまい、八戸がカラになってしまったこともあった。

 年が明けて昭和五十九年(一九八四年)、P‐3の配備開始に備えての飛行場の補強工事が始まった。滑走路、エプロンともに使えないため、下総、三沢に一個航空隊ずつおいての運用である。三沢は米空軍の基地なので、日米安全保障条約の地位協定に基づくややこしい手続きがあったが、それもなんとか処理して、共同使用に漕ぎつけたのである。
 三沢は八戸から通える(もちろん応急出動待機など所要の要員は泊まり込みである)ので、家族持ちに不公平にならないように、一カ月ごとに三沢と下総の部隊を交替させる。
 なんとか正月は皆八戸で、という祈りが通じて年末ご用納めの二十八日、装いを新たにした飛行場に二空、四空の面々を迎えることができた。
 そして、私自身は年明けの一月下旬には、鹿屋の第一航空隊副長に転出が決まっている。いい正月になった。